〈文学的〉という形容詞を聞くと少しうさん臭さや気恥ずかしさを感じたりするかもしれない。〈文学的なバンド〉なんて耳にした日には、お高くとまりやがって、などと気炎をあげたくもなる。けれどもフォンテインズDCはまぎれもなく文学的で、なおかつ素晴らしいバンドだ。
20世紀最大の作家の一人ジェイムス・ジョイスと同じくアイルランド・ダブリン出身で(バンド名のDC=ダブリン・シティ)、最初のリリースが音源ではなく〈詩集〉という筋金入り。音楽的にはポスト・パンクと括られるが、乾いた質感とともに存在する、どこかメランコリックに滲んだ音像こそがこのバンドの本領である。
その新作『Skinty Fia』は聖歌を思わせる“In ár gCroíthe go deo”で始まる。この時点で音のテクスチャーが以前に比べてさらに磨き上げられていることがわかる。2曲目“Big Shot”の歪んだギターなどはざらついた音の粒が一つ一つ際立ち、レベルアップした音の〈滲み〉を聴かせてくれる。ラッドなヴォーカルが魅力的な“Jackie Down The Line”、ブレイクビーツ風のドラムが新機軸の表題曲など嬉しい驚きも存在する。
そしてこのアルバムにはザ・スミスや初期のオアシスに存在した、ある種の閉塞感のうちにこそ生じる美しい切なさがある。そういった意味で彼らはブリテン諸島の由緒正しきロック・バンドの血脈をしっかりと受け継いでいるといえる(元はと言えばモリッシー、ギャラガー兄弟もアイルランドにそのルーツを持っている)。
もちろん“Bloomsday”、“Nabokov”といった楽曲のような文学的モチーフも健在である。今年は“Bloomsday”の由来となったジョイスの「ユリシーズ」出版100周年のメモリアルイヤーなので、本作を聴きながら「ユリシーズ」を読破すれば、あなたも文学的リスナー免許皆伝である。〈フジロック〉出演も決まったので、今年は絶対に見逃したくないバンドだ。
そんな曇り空が似合うフォンテインズDCとは打って変わって、デッド・オーシャンズからリリースされるトロ・イ・モワの新作『MAHAL』は基本的には陽性の音楽で、陰りはあれどそれは夕暮れの心地良い切なさである。
今作ではまず、ど頭の濃厚なサイケデリック・ロック“The Medium”に度肝を抜かれる。しかし、3曲目の“Magazine”で残響感のあるローズ・ピアノが溶けていく頃には、穏やかなグルーヴのリラックスしたムードに包まれていく。プリンス風ファンクの“Postman”、完璧にアーバンなベースラインを持つ“The Loop”などは面目躍如たる出来栄えだ。冒頭にもあったサイケな意匠が全体のスパイスとして機能している。
チルウェイヴというムーヴメント自体は恐らく過去のものになってしまったが、このアルバムには形を変えてより成熟した形で、あの〈永遠に終わらない夏〉とでも言うべき感覚が息づいている。
【著者紹介】岸啓介
音楽系出版社で勤務したのちに、レーベル勤務などを経て、現在はライター/編集者としても活動中。座右の銘は〈I would prefer not to〉。