勢いが止まらないUKのインディロックシーンを、いまや牽引する存在と言っていいブラック・ミディ。2021年にリリースしたセカンドアルバム『Cavalcade』が絶賛されたことも記憶に新しいが、そんな彼らが早くもニューアルバム『Hellfire』をリリースした。これまでよりも想像力豊かに、過剰に拡張した驚くべき音楽性と怒涛の演奏は、バンドのさらなる進化を語っており……とはいえ、ブラック・ミディのなかに渦巻くこの創造的な混沌、奇妙に歪んだ折衷性どこから来ているのだろうか? 音楽ZINE「痙攣」の編集長・李氏が、唯一無二のバンドの特異性を論じた。 *Mikiki編集部
前時代の遺物がたどり着いた最果ての場所
鮮やかなマゼンタピンクの黄昏の海景をバックに、異臭漂う無数の漂流物に囲まれ一人の男が鎮座している。その佇まいは冥界の王のようにも、うらびれた浮浪者のようにも見える。恐らくどちらでもないのだろう、黒衣の彼の眼差しは読めない。
英国ロンドンのロックバンド、ブラック・ミディのサードアルバム『Hellfire』は、まさしくデヴィッド・ラドニック(David Rudnick)の手掛けたアートワークのような、どこか彼岸めいた場所で作り上げられたように思える。前時代の遺物のたどり着く、最果ての場所。
そのような一種のアナクロ感は彼らのサウンドからも確かめられる。アヴァンプログに、ラテンを含めたフォークロック、チェンバーポップがミックスされた音楽性に70年代のプログレバンドを連想する人もいるかもしれない。
ブラック・ミディの現在のエクストリームなスタイルは段階的に形作られていった。
バンドが注目された最初のきっかけである〈KEXP〉のライブ動画を観れば、今日のスタイルに繋がるフリーキーさと同時に、ある種のミニマリスティックな抑制がやや残っているのが分かる。2019年当時、ブラック・ミディはスクイッドやフォンテインズD.C.といった英国とアイルランドを中心とする新興ポストパンク勢の一つとして迎えられた。
しかしファーストアルバム『Schlagenheim』(2019年)のリリースを経て、ギタリストのマット・ケルヴィンが休止状態に入り、代わりにキーボードとサックスをサポートに擁した現在の体制になってからは、その音楽性はより異形化していくこととなる。カンのダモ鈴木との親交や、キング・クリムゾンへの敬愛を隠さない姿勢からも彼らの元々の志向は明らかだったが、セカンド『Cavalcade』(2021年)に至ってもはやポストパンク的なミニマリズムは、アヴァンプログのマキシマリズムに完全に取って代わられてしまっている。この変化の意味するものは大きい。
そもそも彼らが頭角を現したテン年代末にいわゆるポストパンク的なサウンドを選択することは決して目新しいことではなかった。同じ英国でもアイドルズやキング・クルールがすでに高い評価を獲得していたし、テン年代中盤にはアイルランドのガール・バンド(現ギラ・バンド)やデンマークのアイスエイジといったノイズロック的アプローチのポストパンクバンドが注目を集めていた。さらにゼロ年代に話を広げれば、インターポール、LCDサウンドシステム、ザ・ナショナルに代表されるポストパンクリバイバルも例に挙げられるだろう。21世紀に入ってここまで何度も参照され続けてきたジャンルはそうはない。
翻ってここ20年のアヴァンプログ的なサウンドの位置づけはどうか。ゼロ年代以降のマグマの活躍など見るべき点の多いジャンルではあるものの、いわゆる批評筋から取り上げられやすいインディーロックとの接点はマーズ・ヴォルタといった例外を除いて皆無に近い。