ブラック・ミディらが生み出す新世代UKロックの熱い流れ
ここ2~3年でUKのロック・バンドが元気だという印象を抱くようになった人は多いだろう。もっとも、特別なヴェテランや大物、あるいは1975のようなモダンなバンドたちは支持を集めながらサヴァイヴァルし続けているわけで、〈ロックが戻ってきた〉という印象がどこから生じたのかを考えれば、つまりはインディー・アクトの活況ということになる。そう考えると、アイドルズやシェイム、(アイルランドの)フォンテインズDCといったポスト・パンク勢が躍進した2019年あたりに転機があったのは間違いない。ただ、彼らが比較的オーセンティックなタイプのロック・バンドとして突破してきたことを考えれば、そこからさらに時代が巡った昨今では、一口に〈ロック・バンド〉〈ポスト・パンク〉といったワードで語ってみても、その内実は多様になってきていて、(かつてのポスト・パンクやノーウェイヴのように)脱ロック的なフォーマットの多様なバンドが主流になりつつあって、だからこそワープやニンジャ・チューンもこのバンド界隈に注目しているのだろう。このたび新作を完成させたブラック・ミディの大きな方針転換もまたそのひとつの表れのように思えるし、この流れはより大きい括りへと繋がっていくかもしれない。
black midi
聴いていておもしろく、まったく新しいものを作るだけだ
個々にある音楽的な野心と意欲に身を任せることでブラック・ミディのセカンド・アルバム『Cavalcade』が完成された。その年を代表する一枚となった前作『Schlagenheim』(19年)を愛する人なら十分に想像できたように、バンドの前進ぶりは新作においても何の躊躇もない。エクスペリメンタル・ロック、ノイズ・ロック、マス・ロック、ポスト・パンクなどと形容される彼らの音楽ながら、そこには彼らのありとあらゆる音楽的興味や嗜好が放り込まれている。ジョーディ・グリープ(ギター/ヴォーカル)は自分たちの創作マナーについてこのように説明する。
「俺たちは、それらすべての音楽から学んだ教訓を組み合わせて、聴いていておもしろく、まったく新しいものを作るだけだ。始める前に心配をしても、自分に制限をかけてしまうだけ。やってみるしかない。狂人の朝食が出来るかもしれないし、素晴らしい万華鏡が出来るかもしれない。どっちになるのかを知るにはやってみるしかないからね。もし失敗したら? もう一度やるだけさ」。
こんな男たちがブラック・ミディを動かしている。2017年、ジョーディ・グリープ、マット・ケルヴィン(ヴォーカル/ギター)、キャメロン・ピクトン(ベース/ヴォーカル)、モーガン・シンプソン(ドラムス)の4人が集まり、現行シーンの震源地とされるサウス・ロンドンのウィンドミルで最初のパフォーマンスを行ったブラック・ミディ。翌年にはダン・キャリー主宰のスピーディー・ワンダーグラウンドからデビューし、2019年にラフ・トレードと契約。同年6月に出した件の初作『Schlagenheim』はマーキュリー・プライズにノミネートされるほどの絶大な支持を獲得する頃にはバンドはもう次へ向けての曲作りを始めていたのだ。
つまりはパンデミックの前に新作はキックオフしていたわけだが、バンドには別の危機が訪れていた。2020年の初頭、マットが精神衛生上の問題を理由に活動休止を申し出たのだ。バンドはカイディ・アキンニビ(サックス)とセス・エヴァンス(キーボード)をサポートに加えてライヴ活動を継続し、彼らも交えて楽曲制作も継続していく。ピンチを別の道へ進むチャンスと捉えた彼らは、そのすぐ後に訪れたコロナ禍に瀕しても新しい制作手法に挑む機会に変えたのだ。
もともとジャムでの創作にマンネリを感じていた彼らには別のアプローチを取りたいという思いがあったという。それもあって、アルバムの後半部分はロックダウン期間中に各々が自宅で作曲を行い、レコーディングのタイミングで素材を持ち寄ったという。
「今回の経験は、『Schlagenheim』の時とは真逆だった。素材の多くは新鮮なアイデアがたくさんあったけれど、今回は俺たちがそれに手を加えていくことでより良いものにして行ったんだ」(モーガン)。
『Cavalcade』に緻密な構築美と放埒なダイナミズムが共存しているのはそれゆえだろう。夏に行われたレコーディングは熟考の成果を全員で爆発させる機会となった。先行シングルにしてオープニングを飾る“John L”はハードな緩急が容赦なく押し寄せるプログレッシヴなビッグ・チューン。その後に続く緩やかなボッサもスロウコアもノイジーなファンクも耳へ流れ込むのを止める術はない。明らかにやりすぎで、10分近い壮大な終曲“Ascending Forth”に辿り着く頃には何を聴いているのわからなくなりそうだが、それすらも心地良い。2枚目のジンクスに悩むどころか、新世代バンドの頭目としての役割は十分すぎる以上に果たしていると言ってもいいだろう。
つまりは、ぶっちぎりである。