マット・バーニンガー(ヴォーカル)、アーロン・デスナー(ギターなど)、ブライス・デスナー(ギターなど)、ブライアン・デヴェンドーフ(ドラムス)、そしてスコット・デヴェンドーフ(ベース)という不動の5人で20年近く活動を続けているザ・ナショナル。オハイオ出身の男たちが99年にNYブルックリンで結成したザ・ナショナルは、グラミー賞の受賞は言うまでもなく、いまや人気と評価の両方でアメリカン・ロックを代表するバンドだ。
そんな彼らのファースト・アルバム『The National』(2001年)、セカンド・アルバム『Sad Songs For Dirty Lovers』(2003年)、『Cherry Tree』(2004年)が、アビー・ロード・スタジオでのリマスタリングを施されて4ADよりリイシューされた(ビートインクからリリースされた国内盤CDでは、『Sad Songs For Dirty Lovers』は『Cherry Tree EP』との2枚組仕様)。いずれも、この後大きな成功を手にするバンドの胎動や原点を伝える、必聴の重要作である。
今回はこのリイシューを機に、ザ・ナショナルの魅力を深く掘り下げるべく、国内盤CDのライナーノーツを執筆した音楽ライター/評論家の岡村詩野と木津毅の対談を実施した。彼らのキャリアから独自の音楽性、リベラルなバンドとしての態度、米国全土やヨーロッパで厚く支持される理由まで、ザ・ナショナルというバンドの全体像をあますことなく伝える決定版的な内容になったと思う。
ザ・ナショナルとテイラー・スウィフトの意外な邂逅
――まずは、ザ・ナショナルについての最近のトピックから始めましょう。昨年はフロントマンのマット・バーニンガーが初のソロ・アルバム『Serpentine Prison』をリリースしました。なにより話題だったのは、アーロン・デスナーがテイラー・スウィフトの新作『folklore』『evermore』をプロデュースしたことですよね。2作にはザ・ナショナルのメンバーもがっつり参加しています。
木津毅「驚きました。もちろんアーロンはボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンと〈PEOPLE※〉を主宰するなどインディー・ロック・シーンのまとめ役としてネットワークを築いてきた政治力のある人ですが、それがテイラーまで届いたのかと」
岡村詩野「私も驚きましたが、そこまで意外ではなかったです。テイラーとザ・ナショナルはアメリカーナという音楽的な志向性の根っこで繋がっていると思ったので。特に今回リイシューされた3作にはカントリーやフォーク調の曲が多くて、テイラーがザ・ナショナルの素質や志向にシンパシーを感じていたこともよくわかります」
木津「たしかに、僕もすぐに納得しました。というのも、両側からの動きがあったと思うんです。
アーロンとブライスがプロデュースしたグレイトフル・デッドへのトリビュート・コンピレーション『Day Of The Dead』(2016年)※。あれは、アーロンたちがUSインディーのリベラル勢力をまとめ上げたように見えたんです。
一方でカントリー・ミュージックを背負っていたテイラーは、〈保守派の女神〉と誤解されていた。その状況に対してテイラーが〈そうじゃないんだ〉と政治的な態度の表明を決断した経緯は、Netflixドキュメンタリー『ミス・アメリカーナ』(2020年)で描かれています。同時に、テイラーは過去音源の権利についてスクーター・ブラウンとの間でトラブルがあって、彼女がインディー・スピリットを見つけ出そうとしていたタイミングでもあった。なので、テイラーがリベラルでオープンな精神性のザ・ナショナルと合流したのには合点がいったんです」
岡村「たしかにそうですね。私は、テイラーは初期からソングライターとして優れたものを持っているのに、それがインディー・ロックなどの熱心な音楽ファンに届いていないと思っていました。
ただ、『1989』(2014年)は楽曲の良さがストレートに伝わるプロダクションで、テイラーの音楽ってインディー・ロックの視点からも聴けるんだ、とその筋のリスナーもその頃から気づきはじめた。あのアルバムが、カントリーを出自とするテイラーがコンテンポラリーな音楽を志向するスタイルの伏線になっていたような気もします。そう考えると、現在の彼女がザ・ナショナルと繋がったことは不思議じゃないなと」
木津「ザ・ナショナルはアメリカではすごく人気で知名度もあるので、メインストリームのテイラーはスムーズに繋がれたのかもしれませんね。それと2010年代以降、ザ・ナショナルの楽曲が映画で使われることが多くなったんです。しかも、クライマックスで大々的に使われることも多くて。ザ・ナショナルって、そういうポップな存在感のバンドなんですよね」
――とはいえ、ザ・ナショナルはインディー・ロックの代表的なバンドでもあります。テイラーが“We Are Never Ever Getting Back Together”(2012年)で〈あなたは私のよりクールなインディー・レコードを聴いて自分を慰めているんでしょ?〉とインディー・キッズに当てつけた歌詞を歌っていたことを思い出しました(笑)。
木津「あれって、当時の恋人のジェイク・ギレンホールに当てつけたものでしょ? ハリウッド・スターがインディー・ロックを聴くのがヒップとされる時代もありましたね」
岡村「そういうハイプな人々とザ・ナショナルやボン・イヴェールのようなバンドがまったく別物であることは、当然テイラーも理解していたと思います。
一方でザ・ナショナルはバラク・オバマが大統領選挙のキャンペーンに“Fake Empire”(2007年)を起用したこともあって、リベラルで目線の低いインディー・ロックの良心のようなバンド、というイメージが出来上がっていった。それはつまり、ザ・ナショナルが多くの人々を鼓舞するヒット曲を持ったバンドとして一般層に認知されたことを表していますよね」
木津「僕は、バンドのなかではアーロンがもっとも〈大衆に届けよう〉という意識を強く持っていると思うんですよね。イェール大学の修士号を持っているブライスはアカデミックな方向へ行きがちだし、マットはちょっとナルシストでロックスター志向ですが(笑)。どの方向性にも偏らないのは、バランス感覚に優れたアーロンが中核にいることが大きい」