
マット・バーニンガー(ヴォーカル)、アーロン・デスナー(ギターなど)、ブライス・デスナー(ギターなど)、ブライアン・デヴェンドーフ(ドラムス)、そしてスコット・デヴェンドーフ(ベース)という不動の5人で20年近く活動を続けているザ・ナショナル。オハイオ出身の男たちが99年にNYブルックリンで結成したザ・ナショナルは、グラミー賞の受賞は言うまでもなく、いまや人気と評価の両方でアメリカン・ロックを代表するバンドだ。
そんな彼らのファースト・アルバム『The National』(2001年)、セカンド・アルバム『Sad Songs For Dirty Lovers』(2003年)、『Cherry Tree』(2004年)が、アビー・ロード・スタジオでのリマスタリングを施されて4ADよりリイシューされた(ビートインクからリリースされた国内盤CDでは、『Sad Songs For Dirty Lovers』は『Cherry Tree EP』との2枚組仕様)。いずれも、この後大きな成功を手にするバンドの胎動や原点を伝える、必聴の重要作である。
今回はこのリイシューを機に、ザ・ナショナルの魅力を深く掘り下げるべく、国内盤CDのライナーノーツを執筆した音楽ライター/評論家の岡村詩野と木津毅の対談を実施した。彼らのキャリアから独自の音楽性、リベラルなバンドとしての態度、米国全土やヨーロッパで厚く支持される理由まで、ザ・ナショナルというバンドの全体像をあますことなく伝える決定版的な内容になったと思う。
ザ・ナショナルとテイラー・スウィフトの意外な邂逅
――まずは、ザ・ナショナルについての最近のトピックから始めましょう。昨年はフロントマンのマット・バーニンガーが初のソロ・アルバム『Serpentine Prison』をリリースしました。なにより話題だったのは、アーロン・デスナーがテイラー・スウィフトの新作『folklore』『evermore』をプロデュースしたことですよね。2作にはザ・ナショナルのメンバーもがっつり参加しています。
木津毅「驚きました。もちろんアーロンはボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンと〈PEOPLE※〉を主宰するなどインディー・ロック・シーンのまとめ役としてネットワークを築いてきた政治力のある人ですが、それがテイラーまで届いたのかと」
岡村詩野「私も驚きましたが、そこまで意外ではなかったです。テイラーとザ・ナショナルはアメリカーナという音楽的な志向性の根っこで繋がっていると思ったので。特に今回リイシューされた3作にはカントリーやフォーク調の曲が多くて、テイラーがザ・ナショナルの素質や志向にシンパシーを感じていたこともよくわかります」
木津「たしかに、僕もすぐに納得しました。というのも、両側からの動きがあったと思うんです。
アーロンとブライスがプロデュースしたグレイトフル・デッドへのトリビュート・コンピレーション『Day Of The Dead』(2016年)※。あれは、アーロンたちがUSインディーのリベラル勢力をまとめ上げたように見えたんです。
一方でカントリー・ミュージックを背負っていたテイラーは、〈保守派の女神〉と誤解されていた。その状況に対してテイラーが〈そうじゃないんだ〉と政治的な態度の表明を決断した経緯は、Netflixドキュメンタリー『ミス・アメリカーナ』(2020年)で描かれています。同時に、テイラーは過去音源の権利についてスクーター・ブラウンとの間でトラブルがあって、彼女がインディー・スピリットを見つけ出そうとしていたタイミングでもあった。なので、テイラーがリベラルでオープンな精神性のザ・ナショナルと合流したのには合点がいったんです」
岡村「たしかにそうですね。私は、テイラーは初期からソングライターとして優れたものを持っているのに、それがインディー・ロックなどの熱心な音楽ファンに届いていないと思っていました。
ただ、『1989』(2014年)は楽曲の良さがストレートに伝わるプロダクションで、テイラーの音楽ってインディー・ロックの視点からも聴けるんだ、とその筋のリスナーもその頃から気づきはじめた。あのアルバムが、カントリーを出自とするテイラーがコンテンポラリーな音楽を志向するスタイルの伏線になっていたような気もします。そう考えると、現在の彼女がザ・ナショナルと繋がったことは不思議じゃないなと」
木津「ザ・ナショナルはアメリカではすごく人気で知名度もあるので、メインストリームのテイラーはスムーズに繋がれたのかもしれませんね。それと2010年代以降、ザ・ナショナルの楽曲が映画で使われることが多くなったんです。しかも、クライマックスで大々的に使われることも多くて。ザ・ナショナルって、そういうポップな存在感のバンドなんですよね」
――とはいえ、ザ・ナショナルはインディー・ロックの代表的なバンドでもあります。テイラーが“We Are Never Ever Getting Back Together”(2012年)で〈あなたは私のよりクールなインディー・レコードを聴いて自分を慰めているんでしょ?〉とインディー・キッズに当てつけた歌詞を歌っていたことを思い出しました(笑)。
木津「あれって、当時の恋人のジェイク・ギレンホールに当てつけたものでしょ? ハリウッド・スターがインディー・ロックを聴くのがヒップとされる時代もありましたね」
岡村「そういうハイプな人々とザ・ナショナルやボン・イヴェールのようなバンドがまったく別物であることは、当然テイラーも理解していたと思います。
一方でザ・ナショナルはバラク・オバマが大統領選挙のキャンペーンに“Fake Empire”(2007年)を起用したこともあって、リベラルで目線の低いインディー・ロックの良心のようなバンド、というイメージが出来上がっていった。それはつまり、ザ・ナショナルが多くの人々を鼓舞するヒット曲を持ったバンドとして一般層に認知されたことを表していますよね」
木津「僕は、バンドのなかではアーロンがもっとも〈大衆に届けよう〉という意識を強く持っていると思うんですよね。イェール大学の修士号を持っているブライスはアカデミックな方向へ行きがちだし、マットはちょっとナルシストでロックスター志向ですが(笑)。どの方向性にも偏らないのは、バランス感覚に優れたアーロンが中核にいることが大きい」
アメリカーナとオルタナティヴ・ロックの酒場での出会い
――今回、そんなザ・ナショナルの初期作品『The National』『Sad Songs For Dirty Lovers』『Cherry Tree EP』がリイシューされました。
木津「僕は、リアルタイムでは知りませんでした。当時はR.E.M.が大好きな高校生で、ウィルコやスフィアン・スティーヴンスは聴いていたんですけど。ザ・ナショナルを初めて聴いたのは『Alligator』(2005年)で、本格的にハマったのは『Boxer』(2007年)から。そういうリスナーは多いんじゃないかな」
――『Alligator』からベガーズ・バンケットに所属したので、それ以前はほぼ無名と言っていいくらいだと思います。
木津「それ以前は自分たちが運営するレーベル、ブラスランド(Brassland)からリリースしていたんですよね」
岡村「既存のレーベルに頼らずに、自分たちでコントロールして作品を作ったのはおもしろいですよね。ザ・ナショナルが登場した2000年前後といえば、NYではストロークスやインターポール、ヤー・ヤー・ヤーズのようなストレートなガレージ・ロック、ロックンロール・バンドが盛り上がっていました」
――いわゆるロックンロール/ポスト・パンク・リヴァイヴァルのムーヴメントですね。
岡村「なので、音楽性の異なるザ・ナショナルがそのタイミングでレーベルにアピールしても、作品を出せなかったのかもしれません。
その代わりに、友人たちと立ち上げたレーベルを拠点にチームのみんなで浮上していくことを選んだ。ストロークスのようにいきなりメジャーからデビューしたわけではないので、レコードを売ることよりも、仲間たちと一緒にがんばっていくことを優先したのでしょう」
――コミュニティー的な在り方を初期から貫いていたのだと。
木津「今回ライナーノーツを書くにあたって当時のレビューなどを調べていたら、ザ・ナショナルの音楽はアメリカーナとオルタナティヴ・ロックのバールーム(酒場)での出会いだ、と書かれていました。
21世紀に変わる頃のアメリカではウィルコの存在感が大きくて、彼らこそがオルタナティヴとアメリカーナという2つの文脈を繋いでいたんですよね。なので、ウィルコの音楽は当時ロックを志していた若者の指針になったはず。ガレージ・ロックのシーンとは別にアメリカーナ系のロック・アーティストが育ちはじめていて、ザ・ナショナルもそれと同期していたと思いますね」
岡村「その一方で、ザ・ナショナルはイギリスのニューウェイヴ/ポスト・パンクが大好きなので、ダークでひんやりとした感覚も持ち合わせている。先日ベーシストのスコット・デヴェンドーフにインタビューをしたら、〈初期はバンドの在り方なんて考えずに録音していたんだ〉と言っていました。なので、木津くんが言ったような資質は自然と出たものなのでしょうね。初期3作は助走段階だと思います」
木津「いま聴くと、試行錯誤しているのを感じますよね。ザ・ナショナルにも初々しい頃があったんだなって。でも、セカンドでは要素がかなり出揃っています――オルタナティヴ、アメリカーナ、英国ニューウェイヴ的な感覚、そしてなによりストリングスのアレンジですよね。これらが、ブライスが加わって5人のバンドになったことでうまく組み合わさった※。ストリングスといっても、ブライスのアレンジは音楽をゴージャスにするためのものではなくて室内楽的なもので、同世代のバンドの作品と比べても洗練されていますね」
岡村「私はリリース当時、正直に言って、〈すごくいいバンドが出てきた〉とは思わなかったんです。でも、だからこそ、いま聴くとザ・ナショナルの素質が展開されている作品として聴けるので、すごくおもしろいんですよね」
木津「この頃はキラーな曲があまり多くないので、仕方ないと思います。ただ、そのなかでも『Cherry Tree』に入っている“About Today”は素晴らしいですよね。映画で何度も使われていますし、ミニマルな言葉でザ・ナショナル的な文学性を表している曲です。その後の方向性を決めた重要な一曲だと思います」
岡村「セカンドには、9.11を受けて書かれたダークな“It Never Happened”があります。絶望的な感覚が自然と表れているのは、当時の彼らがNYという9.11の現場にいたことが大きかった。その体験が、リベラルなバンドとしての自覚を強めたのかもしれません」
2000年代のバンドが失速するなかザ・ナショナルが人気バンドになれた理由
――では、2000年代のザ・ナショナルを取り巻いていた音楽シーンや、当時のアメリカの政治・社会状況についても話しましょうか。
木津「ザ・ナショナルが注目されはじめた2000年代半ばは、当時活況だったこともあって、ブルックリン・シーンのバンドとして紹介されることが多かったんですよね。いま思えば、そのイメージはあまりなかったけど」
――アニマル・コレクティヴ、グリズリー・ベア、ダーティ・プロジェクターズ、TVオン・ザ・レイディオ……。ブルックリン・シーンのバンドは、日本でも注目されていましたね。
岡村「ハイブリッドな感覚を持ったアニマル・コレクティヴなどとはちがって、ザ・ナショナルはもっと土着的だと思います。それは、カントリーやフォークなどのルーツ音楽に対する態度だけではなく、ウィルコがシカゴのバンドであるように、ザ・ナショナルはオハイオという地元への愛着が強いことも含めた見立てです。ブルックリンで結成されたので、そこはわかりにくいかもしれませんが」
――シーンの末っ子的なバンドとして同じNYから現れたヴァンパイア・ウィークエンドは、大きな成功を手にしました。でも、現在はエズラ・クーニグのソロ・プロジェクト化していますよね。
木津「ザ・ナショナルは、メンバーがソロ活動をしつつもあくまでバンド。そこは対照的ですね」
岡村「〈バンド〉というものに対して逆風が吹いているなかで、ザ・ナショナルはずっとバンドでありつづけている。いまロック・バンドがかっこよくあるためには、もうザ・ナショナルのような在り方しかないんじゃないか……と思えるくらいにジャスト。
いかにも〈アメリカ中西部の男たち〉という出で立ちなのが、かえっていいのかもしれない。いまはデスナー兄弟の雰囲気もずいぶん変わりましたし、マットにいたってはセックス・シンボルですからね」
木津「マット、いい男なんですよね(笑)。ザ・ナショナルは、かつてのロック・バンドが持っていたセクシュアルな魅力のあるバンドだと思います。マットのバリトン・ヴォイスもあいまって、すごくセクシーなバンドなんです」
岡村「対照的に、ヴァンパイアのエズラは少年性を残していますよね」
――実は、ザ・ナショナルのほうがヴァンパイアよりTwitterもInstagramもフォロワー数が多いんですよ。
木津「そうなんだ! でも、それもザ・ナショナルの音楽がアメリカ全土の大衆、〈普通の人々〉に届いていることを表していますよね。ヴァンパイアの音楽には、やっぱりインディー・エリート的なところもあるじゃないですか」
岡村「そう。ザ・ナショナルのライブには、親や子どもと一緒に観に行ける感じがありますよね」
木津「あと、ザ・ナショナルはフィービー・ブリジャーズのような下の世代の女性アーティストからも支持されていますね」
岡村「ザ・ナショナルは女性アーティストとの親和性がすごく高いですよね。フィービーのようにツアーのサポートをしているのは女性アーティストが中心ですし、ディス・イス・ザ・キットやブライスの奥さんであるミナ・ティンドルなど、アーロン&ブライスがプロデュースや編曲で関わっているアーティストには女性がすごく多い。ザ・ナショナルはけっしてマッチョではない、フェミニスト的なバンドなんですよね」
木津「しかも、〈権力を持っている中年男性が若い女性をフックアップする〉というふうにはけっして見えない。そこも気を遣っているのでしょうね。男性学に関心がある僕のアングルから言うと、それは〈男性性の更新〉で、ザ・ナショナルはそのアイコンであるように見えます。たとえば、セカンドの“Trophy Wife※”にはトキシック・マスキュリニティー(有害な男性性)に対する批判的な感覚がすでにある。
2000年代はうまく人間関係を築けない混乱した未熟な男性アーティストが持てはやされる向きもありましたが、2010年代はトキシックな男性アーティストが失速して、ザ・ナショナルのような成熟したバンドが信頼を勝ち得た。それも、少年性と成熟した男性性との対比だと言えますね」
村上春樹を愛読? 知的でポップなマット・バーニンガーの歌詞
――ザ・ナショナルは歌詞が高く評価されているバンドです。マットのリリシズムについてはいかがですか?
木津「僕は、2000年代半ばは『Michigan』(2003年)や『Illinois』(2005年)をリリースした頃のスフィアン・スティーヴンスに近い感覚で聴いていました。ラスト・ベルト※で生きる人々の悲哀とアメリカ文学的感性を接続させて、ロックでどう表現するかに挑んでいたのがスフィアンです。
一方ザ・ナショナルはといえば、地元オハイオの名を冠した“Bloodbuzz Ohio”(2010年)は〈NYに住んではみたものの、オハイオの保守的な感性が俺の血には流れているんだ〉というような歌だと僕は解釈しています。そこにザ・ナショナルがアメリカで成功した理由があると思うんですよね。つまり、アメリカという国で生きること、その引き裂かれた複雑な感情をロックで文学的に表現している。そういう文学性は初期作品では未完成なのですが、芽生えてはいますね」
岡村「ラスト・ベルト的感覚や文学性という点で、セカンドの収録曲“Murder Me Rachael”にはアメリカン・ゴシック的な田舎の陰鬱さや血生臭さ、ダークな死のにおいが表れていますよね。あの独特の情緒が米国内のある地域やある世代の人々にヒットするのは、よくわかります」
木津「ただおもしろいことに、歌詞を書いているマットは意外にも文学青年ではなかったそうです。その代わりに、ニック・ケイヴやボブ・ディラン、レナード・コーエン、R.E.M.のマイケル・スタイプの歌詞が好きで読み込んでいたのだとか」
岡村「奥さんのカリン・ベッサーがジャーナリストですし、適度な上昇志向とインテリっぽさがあるんですけど、それだけではないと」
木津「マットは知的だけど、アカデミックというよりはポップな感性の持ち主で、僕が取材したときは〈ハルキ・ムラカミ〉と名前を挙げていました。日本のジャーナリストへのサーヴィスもあったと思いますが、〈ああ、村上春樹を読むタイプ!〉って思ったんです(笑)。そこも彼のポップさに繋がっていますね」
――マットの歌詞はどこか大衆小説的というか、俗っぽいパルプ・フィクション的なムードがありますね。
岡村「最初から老成していた部分があって、いい意味でおっさんっぽいといいますか(笑)。その気取らない良さが、ザ・ナショナルが〈ダッド・ロック〉としても評価される理由ですね」
――マットはファーストをリリースした2001年の時点で30歳でしたし。
木津「セカンドでは歌詞に〈ハズバンド〉と〈ワイフ〉という言葉がたくさん出てくるように、マットのリリックって中年夫婦のすれちがいなどを描いているんです。でも、私小説的にはならずにフィクショナルに描く。フレッシュな恋愛ではなく、年を重ねた者どうしの関係性だからこそ抱え込む難しさを初期から描いていたのは、マットがバンドのスタート時から若くなかったがゆえでしょうね」
岡村「そういえば、木津くんと初めて会ったザ・ナショナルの初来日公演(2011年)で……」
木津「そうだ。初対面がザ・ナショナルのライブでしたね(笑)」
岡村「あのとき何がおもしろかったって、他のメンバーはみんなラフな格好なのに、マットだけ三つ揃いのスーツでキメていたこと(笑)。お酒が入ったグラスを手に持ってステージに出てきたんですよね。粋な男って感じで」
木津「“Bloodbuzz Ohio”のビデオのあのまんま(笑)。あれはアメリカのダンディーな男のパロディーではあるんですけど、マット本人もまんざらではないのでしょうね。僕のフェティシズムにヒットしたのは完全にそこで、彼が醸している中年男の悲哀です(笑)。それを、あれだけ丁寧な音楽性と高い文学性で見せてくれるバンドはそういません。
その哀愁はジョージ・W・ブッシュ政権下の時代精神を反映していましたし、オバマが“Fake Empire”を大統領選のキャンペーン・ソングに使ったのも、〈虚構の帝国〉という言葉が、当時のリベラルが置かれている状況と重なったからだと思うんですよ。そういった意味でも、ザ・ナショナルが2000年代後半以降に高く評価されたのは必然的でした。
また、2000年代後半はアメリカが閉塞していくなかでアメリカーナ系のアーティストたちが〈私たちはどこから来たのか〉を見つめ直していて、ザ・ナショナルはその動きともリンクしていたと思います」
ジャンル、世代、人種の壁を超えるロック・バンド
――音楽性についてはどうでしょうか。
岡村「私がザ・ナショナルをおもしろいと思うのは、やっぱりサウンドなんですよね。特に、ブライスの才能が素晴らしい。結果として、アカデミックな現代音楽とインディー・ロックとの有機的な接合をやれているバンドというポジションにいます。しかも、そういう音楽性になればなるほどセールスも上がった。そこにもっとも貢献しているブライスの試みをメンバーが許容して、ロック・バンドとして音楽をやっている点が興味深いんです。たとえば、テイラーの『evermore』には室内楽アンサンブルのyMusicやパーカッション・カルテットのソー・パーカッション(Sō Percussion)のメンバーが参加しています。
そうしたネオ・クラシカル周辺だけではなく、『Dark Was The Night』や『Day Of The Dead』などのコンピレーションを聴いてもわかるように、本当にいいものを作っているアーティストとアーティストを、世代やスタイルを超えて結びつける役割をザ・ナショナルは果たしている。R.E.M.のような国民的なバンドになりうるポテンシャルを持ったバンドがそのミッシング・リンクを埋めていることは、すごいことだと思います。その予兆は初期作品からありますね」
木津「90年代末から2000年代に活躍したバンドが失速していくなかで、ザ・ナショナルだけが生き残った。メンバーが年を重ねていくなかでバンドの間口を広げつつも、音楽的な基盤を失わない稀有なバランス感覚を持っていたのがザ・ナショナルです。その点は、ジョニー・グリーンウッドがいるレディオヘッドに近いかもしれませんね」
――ジョニーはポール・トーマス・アンダーソン監督の映画音楽をずっとやっていますし、オーケストラとのコラボレーションなども積極的に行っていますよね。たしかに、〈レディオヘッドのジョニー〉と〈ザ・ナショナルのブライス〉という構図は似ているかも。
岡村「両バンドともメンバー・チェンジをしていないですしね。ザ・ナショナルはオハイオ出身の仲間どうしの絆で結ばれていて、そこもオックスフォード出身のレディオヘッドに似ている」
木津「レディオヘッドのジョニーはコリンの弟で、バンドの重要なピースです。そういうメンバー編成の在り方は、意外と長く続くのかな」
岡村「ザ・ナショナルは、アーロン&ブライスの双子とスコット&ブライアンの兄弟にマット、という編成が稀有すぎですけどね(笑)。それほど濃いファミリー感のあるバンドだということなのですが」
木津「インディーのネットワークを広げているザ・ナショナルの在り方は、比喩的にもファミリー的です。コミュニティー・ミュージックを体現しているバンドだと思います」
岡村「しかも、どんどん周囲を巻き込んで、その繋がりを広げている。マットのソロ・アルバムで驚いたのは、ブッカー・T・ジョーンズがプロデューサーだったこと。世代も人種の壁も超えて、リズム&ブルースの大ベテランを引っ張ってきたのは本当にすごいことですよ」
――アメリカ音楽の懐の深さを感じる取り合わせですよね。それと、ザ・ナショナルは情熱的なロックンロール・バンドとしてシンプルにかっこいいと思います。たとえば『Cherry Tree』に収録されている“Murder Me Rachael”のライブ音源では、マットの力強いシャウトを聴くことができますし。代表曲のひとつである“Mr. November”(2005年)などもパワフルな曲ですよね。
木津「ブライアン・デヴェンドーフの手数の多いドラミングとか、ロック・バンド然とした魅力がありますよね。ザ・ナショナルはバラードや室内楽的なサウンドについて語られがちなのですが、ポスト・パンキッシュな勢いも持ち合わせているのがおもしろいところです」
岡村「大規模フェスのヘッドライナーを張れるのは、エモーショナルでパッションあふれるロック・ナンバーをしっかりパフォームできる力と信頼感があるから。いろいろな持ち札を持っていて、あらゆる点で過不足がないバンドですね」
イギリスのレディオヘッド、そしてアメリカのザ・ナショナル
――今回リイシューされた初期3作は素晴らしいとは思うのですが、ザ・ナショナルはデビュー直後にいきなり成功したバンドではありません。この3作は、アメリカを代表するバンドになっていった彼らのポテンシャルや芽吹きを感じる作品だと思います。
木津「アメリカのロック・バンドって、モデスト・マウスのように3、4作目でいきなり化けるじゃないですか。草の根で活動してきたバンドが、あるとき突然爆発的に大きくなる。そのロール・モデルのひとつがザ・ナショナルだと思います。それは、アメリカのロック・ミュージックを聴くことの醍醐味ですね」
岡村「一作聴いておしまいとか、一枚出して解散してしまうとか、そうではなくて、ひとつのバンドの作品を長く辛抱強く聴くことのおもしろさ。ザ・ナショナルやウィルコは、まさにそういう魅力を持ったバンドです」
――最後に、ザ・ナショナルをロック史的に位置づけるとしたらどうでしょうか?
岡村「音楽的にはR.E.M.などとの共通点を見出せるかもしれませんが、冒頭で言ったように、ザ・ナショナルはチームで活動してファミリーを築いているバンドです。スコットは〈初期からのライブ・クルーが10人はいるんだ〉と言っています。コロナ禍以降、彼らはいち早くライブ映像やレコードを販売してクルーに還元していました。ああいった〈みんなで幸せになろう〉という現代的な姿勢は、過去のどのアーティストともちがうかもしれません」
木津「いままで思い至らなかったのですが、こうして話していると、バンドの在り方としてはウィルコやR.E.M.よりもレディオヘッドに近いような気がします」
――アーロンやブライスのようなプロデューサー的な才覚を持ったメンバーがいるザ・ナショナルは、〈ナイジェル・ゴドリッチがメンバーにいるレディオヘッド〉と言えるのかも。
岡村「アメリカらしからぬ部分を持ちつつも、アメリカらしい土地性に根差した連帯感や一体感を体現するバンドでもあると思います。個を重んじる姿勢とチームでまとまっている感覚の同居したバンドは、イギリスにはあまりいないような気がしますね。それは、イングランドに対して敵対心を持ったスコットランド人の連帯感に近いかもしれない。
でも、ザ・ナショナルには〈オハイオ対NY〉とか、そういう感覚はない。ブルックリンでスタートしているわけですし、仮想敵を作り上げているバンドではないですよね」
木津「う~ん。総体としてはポップな存在感があるから気づきにくいのですが、細かく見ていくと、本当に不思議なバンドですね」
岡村「でも誰もが楽しめるポイントを見つけられる、多面的な魅力を持った稀有なバンドだと思います」
RELEASE INFORMATION

THE NATIONAL 『The National (2021 Remaster)』 4AD/BEAT(2021)
リリース日:2021年2月26日
■国内盤CD(高音質盤)
品番:4AD0312CDJP
価格:2,000円(税抜)
■輸入盤CD
品番:4AD0312CD
価格:1,900円(税抜)
■輸入盤LP
品番:4AD0312LP
価格:2,470円(税抜)
TRACKLIST
1. Beautiful Head
2. Cold Girl Fever
3. The Perfect Song
4. American Mary
5. Son
6. Pay For Me
7. Bitters & Absolut
8. John’s Star
9. Watching You Well
10. Theory Of The Crows
11. 29 Years
12. Anna Freud

THE NATIONAL 『Sad Songs For Dirty Lovers (2021 Remaster)』 4AD/BEAT(2021)
リリース日:2021年2月26日
■国内盤2CD(高音質盤)
品番:4AD0344CDJP
価格:2,500円(税別)
■輸入盤CD
品番:4AD0313CD
価格:1,900円(税別)
■輸入盤LP
品番:4AD0313LP
価格:2,470円(税別)
TRACKLIST
CD 1
1. Cardinal Song
2. Slipping Husband
3. 90-Mile Water Wall
4. It Never Happened
5. Murder Me Rachael
6. Thirsty
7. Available
8. Sugar Wife
9. Trophy Wife
10. Fashion Coat
11. Patterns Of Fairytales
12. Lucky You
CD 2 (Bonus Disc For Japan)
1. Wasp Nest
2. All The Wine
3. All Dolled-Up In Straps
4. Cherry Tree
5. About Today
6. Murder Me Rachael (Live)
7. A Reasonable Man (I Don’t Mind)

リリース日:2021年2月26日
■輸入盤CD
品番:4AD0314CDS
価格:1,900円(税別)
■輸入盤LP
品番:4AD0314T
価格:2,470円(税別)
TRACKLIST
1. Wasp Nest
2. All The Wine
3. All Dolled-Up In Straps
4. Cherry Tree
5. About Today
6. Murder Me Rachael (Live)
7. A Reasonable Man (I Don’t Mind)



