薬物中毒から復活、息子との再会とCPR結成
その後はクロスビー&ナッシュやCSNの再集結などでヒットを飛ばすものの、80年代に差し掛かる頃には重度の薬物中毒に。85年には薬物と銃の所持で逮捕され、あろうことか逃亡を企ててしまい、数ヶ月を刑務所で過ごす。この服役生活をきっかけに心身の健康を取り戻したクロスビーは、妻や仲間の支えもあり、89年のアルバム『Oh Yes I Can』で復活を遂げる。

90年代に入ると、バーズ、CSN&Yとして二度のロックの殿堂入りを果たし、93年にはフィル・コリンズやジミー・ウェッブとの意欲的なコラボレーションを含むアルバム『Thousand Roads』を発表。ロンドンのバンド、ガリアーノが“Long Time Gone”をカバーしアシッドジャズ界隈から再評価が高まるなど、クロスビーの完全復活を印象づける。

一方で薬物の後遺症は深刻で、95年には肝移植の大手術を受ける。この治療中に「生物学上の息子」であるジェイムズ・レイモンドと出会う。レイモンドは父親の顔を知らぬまま養子に出されたが、クロスビーの深刻な病状を知り病室を訪ねてきたのである。すでにジャズキーボーディストとして活躍していたレイモンドは、以降クロスビーの作曲パートナーに。98年にはギタリストのジェフ・ピーヴァーを加えた3人でジャズロックバンドCPRを結成し、4枚のアルバムをリリース。CPRの解散後もレイモンドはCSNのツアーでバンドマスターを務めたり、2014年には久しぶりのソロ作『Croz』をプロデュースするなど、クロスビーの活動に欠かせない存在となった。

スナーキー・パピーら新世代ジャズとのコラボ
2016年の『Lighthouse』では、スナーキー・パピーのリーダー、マイケル・リーグをプロデュースに迎えているが、これはクロスビーがTwitterでスナーキー・パピーのアルバム『We Like It Here』(2014年)を称賛したところ、マイケルから逆オファーがあったことがきっかけ。マイケルとはベッカ・スティーヴンスとミシェル・ウィリスを加えた〈The Lighthouse Band〉として活動を共にすることに。同時期にグラハム・ナッシュやニール・ヤングとの関係が修復不可能になったことを思えば、若い世代とのコラボレーションはクロスビーにとってある種の救いとなっただろう。現時点での最新アルバムは彼らとのライブ盤『Live At The Capitol Theatre』となっている。


最後のスタジオアルバムである2021年の『For Free』は、パンデミックの苦しみから自らを救うかのような前向きな曲が並ぶ。再びレイモンドをプロデュースに起用し、同世代のミュージシャンを数多く迎えている。オープニングを飾る“River Rise”では、クロスビーが「最高のシンガー」と称賛するマイケル・マクドナルドがコーラスと作詞で参加。そのマイケルに負けない瑞々しい歌声で、人生の終わりを楽観的に歌い上げるクロスビーが印象的だ。“Rodriguez For A Night”ではドナルド・フェイゲンと初共作。同時代にジャズとロックの融合にトライしてきた両雄が初めて立ち並ぶ形となった。

世代を越えて愛された、正直すぎる男
今年の2月には全く新しい編成でのライブを予定していたそうで、クロスビーにとってもその死は突然だったに違いない。マイケル・マクドナルドの言葉を借りれば「彼は自分の信念を消して曲げなかった」。自分に正直すぎるが故に軋轢を生み、自分に正直な音楽表現が世代を越えて愛された男、デヴィッド・クロスビー。生涯現役を貫いた彼に敬意を表したい。どうか安らかに。