かつて僕らは兄弟だった――自伝の刊行とドキュメンタリー映画の公開
2000年にドリーム・ワークス・レコーズのクリエイティブエグゼクティブに就任して以降、ソロ活動は鈍化するものの、新人の発掘などと平行してサウンドトラックの仕事を継続。2011年には久々のソロアルバム『How To Become Clairvoyant』をエリック・クラプトンの全面協力の元リリース。全米13位という驚異的なチャート順位を叩き出す。

翌2012年、かつての兄弟だったリヴォン・ヘルムの危篤が報道されると、ロビーは死の前日に病室に駆けつけ最期の時を過ごす。リヴォンが1993年に出版した自伝の中で、先述のクレジットの問題や「ラスト・ワルツ」の内幕などを告発したことで、より一層の関係悪化が伝えられていたが、最後に2人は兄弟に戻ることができたのだろうか。
2016年にはロビーが自伝「ザ・バンドの青春」を刊行、これを元にした映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」が2019年に公開される。これまであまり明かされてこなかったザ・バンドに対するロビーの苦悩、それでもなお美しい思い出として描かれるメンバーたちの姿が印象的だった。

最後のソロアルバムは2019年リリースの『Sinematic』。タイトルはSin=罪とCinema=映画を組み合わせた造語で、自身がスコアを手掛けたスコセッシ監督のギャング映画「アイリッシュマン」(2019年)に着想を得たこともあり、まさにロビーが志向したストーリーテリングの世界。LPに封入されていたロビー自身による画集が、まるで物語の挿絵のように作用する。


2曲目の“Once Were Brothers”は自伝映画の原題でもあり、ザ・バンドの仲間たちに捧げられている。〈かつては兄弟だった/もう兄弟じゃない〉という悲しいリフレインに泣かされる。
〈ロビー・ロバートソン〉という物語が遺された
思えば、ロビーが何かを大きな行動を起こす時――ロニー・ホーキンスに自作曲を披露したり、ボブ・ディランのバックを務めたり、ツアー活動を終わらせたり――、その行動がやや強引に感じつつも、事がうまく運んでしまうのは、ロビーの頭の中に完璧な物語が描かれていたからではないか。ストーリーを進めるために隠し事をすることはあれども。リヴォンの告発にすぐに反論せず、時間をかけて自伝を書き上げたのも、泥試合を避けて、美しい思い出を守りたかったからかもしれない。現に、ロビーは再びコンサートツアーに出ることなくこの世を去ったのだ。この一点だけにおいても、兄弟との約束を果たしたことにはならないだろうか。
かくしてロビー・ロバートソンは、〈ロビー・ロバートソン〉というストーリーを、生涯をかけて書き上げたのだ。今やロックンロールの神話となったロビーに対して、あらゆる真偽を問うのは野暮なこと。ロビー・ロバートソン、稀代のストーリーテラー。彼が遺した音楽とその物語を、僕はこれからも愛し続けるだろう。
参考文献
バーニー・ホスキンズ(1994年)「流れ者のブルース ザ・バンド」大栄出版
ロビー・ロバートソン(2018年)「ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春」DU BOOKS
リヴォン・ヘルム(1998年)「ザ・バンド 軌跡」音楽之友社
ポール・マイヤーズ(2011年)「トッド・ラングレンのスタジオ黄金狂時代 魔法使いの創作技術」スペースシャワーネットワーク
クライブ・デイビス(1983年)「アメリカ、レコード界の内幕―元CBS社長クライブ・デイビスの告発」スイングジャーナル社
ミュージックライフ・クラブ(2020年)〈ザ・バンドのロビー・ロバートソン、故リヴォン・ヘルムとの確執について語る〉 https://www.musiclifeclub.com/news/20200526_04.html