Page 2 / 4 1ページ目から読む

ソウル~ファンク~ディスコの隆盛におけるニール・ボガートの功績とは?

 企画から20年近くを経て、今春全米公開された映画「Spinning Gold」。ボードウォークを設立したニール・ボガートの半生を描いたこの伝記映画は、主にカサブランカ創設者としての偉業にスポットが当てられている。82年に39歳の若さでこの世を去った彼のキャリアは短くも濃密で、同じNYのブルックリンで生まれたユダヤ系のレコード・エグゼクティヴとしてクライヴ・デイヴィスと並ぶ存在と言っても大袈裟ではない。

 1943年生まれのニールは、60年代前半にニール・スコットの名でシンガーとして楽曲を出す一方で、MGMの要職も務めていた。66年にはカメオ/パークウェイのA&Rとなり、主に中西部のシーンを開拓。鍵盤も操る彼は楽曲制作者としても活動し、ガレージ・ロック・バンドのクエスチョン・マーク&ザ・ミステリアンズなどを手掛けるが、カーティス・メイフィールド主宰のウィンディ・Cを配給するなどしてソウルとの繋がりも深めていく。

 カメオ/パークウェイが閉鎖した67年にはブッダのエグゼクティヴに就任。ウィンディ・Cにいたファイヴ・ステアステップスを呼び寄せ、グラディス・ナイト&ザ・ピップスにトニー・キャミロを紹介してさらなる成功に導いたほか、アイズレー・ブラザーズのT・ネック、ハニー・コーンなどを抱えたホット・ワックス、先ごろ他界したクラレンス・エイヴァント主宰のサセックスをブッダの傘下に置いたのもニールの功績だろう。

 そうした経験をもとに、73年に設立したのがカサブランカである。レーベル名は、設立に出資したワーナー・ブラザーズの名作で、自分と同じ名字のハンフリー・ボガートが主演を務めた映画「カサブランカ」に由来。まず契約第1号のキッスが成功を収めるが、ジョージ・クリントン率いるパーラメントと契約してからはソウル~ファンク系に力を入れ、ドナ・サマーで大当たりしてからは、ヴィレッジ・ピープル、サンタ・エスメラルダ、リップスInc.などを招き入れ、ディスコ・レーベルのイメージを強めながらシーンを盛り上げていく。いずれもクセの強いアーティストばかりなのは、好奇心旺盛で破天荒なニールの気質が反映されたのだろう。75年からは、共同設立者のセシル・ホルムズが運営するチョコレート・シティを傘下に置いた。

 社内ではコーヒーブレイクの際にコカインが配られていたというエピソードは笑えないが、結局ニールは金銭に係る不正を含めた放蕩経営が祟って解雇されてしまう。その後設立したのがボードウォークだった。ここでもさまざまなジャンルに手を伸ばしたが、短命ながらソウル~ファンクの歴史に名を刻む名盤が生まれたのは、彼がキャリアを通して黒人音楽の進化・発展に立ち会い、鋭い嗅覚を失わなかったからだと言っていい。 *林

左から、ファイヴ・ステアステップス&キュービーの69年作『Love’s Happening』(Curtom/Buddah)、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの編集盤『On And On』(SoulMusic)、アイズレー・ブラザーズの69年作『Get Into Something』(T-Neck/Buddah)、パーラメントの75年作『Mothership Connection』、ドナ・サマーの76年作『Four Seasons Of Love』、ヴィレッジ・ピープルの78年作『Cruisin’』、リップス・インクの79年作『Mouth To Mouth』(すべてCasablanca)