
Rudolf Buchbinder
ベートーヴェンのピアノ・ソナタは自分の人生とともにある存在
〈ウィーンの至宝〉と称されるルドルフ・ブッフビンダーは、幅広いレパートリーを誇り、世界各国のオーケストラと共演し、著名な指揮者から共演を願うオファーがあとを絶たない。共演者の多くが魅了されるのは、特質のひとつである弱音の美しさ。繊細さと詩的な雰囲気と静謐な美をただよわせるブッフビンダーの弱音―それは甘美でありながら一本芯の通った凛とした弱音であり、浸透力が強い。そこにはえもいわれぬ馨しい香りがただよい、エレガンスの極致が味わえる。
ブッフビンダーは長いフレーズ感を表現する箇所やテーマが再度同じ音型で登場するところなど、微妙な弱音を用いている。さらに各舞曲の一気にトリルで進めるところなども、柔軟性を備えた弱音で、野生動物の動きのようなしなやかさを見せる。それらはあくまでも自然に流れ、何度も聴きたくなる魔術的な美質を放っている。彼の演奏は常に自由闊達で創意工夫に満ち、洞察力に富んでいる。
ライフワークはベートーヴェンのピアノ・ソナタで、複数回の録音(DVDも含む)が存在する。そのソナタは楽譜を徹底的に検証した成果が美しい響きとなって開花し、聴き手の心に説得力をもって作品の偉大さを伝える。
そんなブッフビンダーが、〈東京・春・音楽祭2024〉で7日に亘りベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏を行う。今回はオンラインインタヴューでその経緯と内容を伺った。
「私は完璧主義者なんですよ。どんな作品でも楽譜を10版ほど研究し、徹底的に作曲家の意図したことを追求していきます。特にベートーヴェンのソナタやコンチェルトは、弾くたびにあらゆる版を見直し、新たな発見を求めていく。少しでも作曲家の魂に寄り添う演奏をしたいと願っていますから。ベートーヴェンのピアノ・ソナタに関しては、これまで39版の楽譜を検証・比較・分析しました。リストが編纂した版は特にすばらしいですよ。リストはベートーヴェンの真意に寄り添い、余分な手は加えていないからです」
こうした研究の結果、ブッフビンダーの演奏はひとつひとつの音が作曲家の声を伝え、響きが生命力に満ち、聴き慣れた作品がいま生まれた音楽のように新鮮な色合いを帯びる。そこには作曲家への深い敬意と愛情、やむことのない探求心が感じられる。
「これまでベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏は、各地で60回以上行ってきました。今回は7日間で全曲演奏を予定していますが、私はこうした短期間で集中して演奏する方が好きなのです。体力も気力も集中力も完璧に保てるからです。演奏順は調性、時間、内容などを考慮して組み立てていますが、最後はやはり後期3大ソナタの第30番、第31番、第32番で締めくくりたいと思います」
ブッフビンダーは幼少時代からピアノに類まれなる才能を示し、11歳のときに名教授として知られるブルーノ・ザイドルホーファーのマスタークラスに入門を許されている。
「ザイドルホーファーのレッスンは、個人レッスンではありませんでした。いつも仲間たちが周りにいて、ひとりが弾くのをみんなが聴講しているスタイル。これはとても緊張を強いられるもので、先生の前でミスをするのは構わないのですが、他の生徒たちが耳をそばだてて聴いているとなると、内心おだやかではありませんでした。もちろんベートーヴェンも勉強し、きびしい指導をされました。でも、当時からベートーヴェンのピアノ・ソナタとピアノ協奏曲は自分の人生とともにある存在だと考えていました。その考えはいまもまったく変わりません。全曲演奏するということは、ベートーヴェンの人生に寄り添うことを意味する。かろやかでみずみずしい初期、苦悩や悲劇が襲う中期、人生を考えさせる後期。すべてベートーヴェンの生き方を浮き彫りにしている。私はそれを表現したいのです」
終演後、席を立てなくなるような深い感銘を与えてくれるブッフビンダーのベートーヴェン。その至福の時間がまたやってくる!
LIVE INFORMATION
東京・春・音楽祭2024
SPRING FESTIVAL IN TOKYO 2024
2024年3月15日(金)~2024年4月21日(日)
■ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全曲演奏会I~VII
2024年3月15日(金)東京文化会館 小ホール
開演:19:00
2024年3月16日(土)東京文化会館 小ホール
開演:15:00
2024年3月17日(日)東京文化会館 小ホール
開演:15:00
2024年3月19日(火)東京文化会館 小ホール
開演:19:00
2024年3月20日(水・祝)東京文化会館 小ホール
開演:15:00
2024年3月21日(木)東京文化会館 小ホール
開演:19:00
2024年3月22日(金)東京文化会館 小ホール
開演:19:00
東京・春・音楽祭で聴けるピアノ公演例
■イノン・バルナタン(ピアノ)
ラモー:“新クラヴサン組曲集”より 組曲 ト長調 RCT6
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
ストラヴィンスキー(G.アゴスティ編):バレエ音楽“火の鳥”より
魔王カスチェイの凶悪な踊り
子守歌
終曲
ラフマニノフ(バルナタン編):交響的舞曲 op.45
2024年4月17日(水)東京文化会館 小ホール
開演:19:00
■小林海都(ピアノ)と仲間たち
ハイドン:ピアノ・ソナタ 第38番 ヘ長調 Hob.XVI:23
シューベルト:楽興の時 D780
シューベルト:ピアノ五重奏曲 イ長調 D667 “ます”
2024年4月6日(土)東京文化会館 小ホール
開演:15:00
東京春祭 for Kids & 桜の街の音楽会
東京春祭は子ども向けのプログラムも充実! 毎年人気の〈東京春祭 for Kids〉は、未就学児から高校生まで、幅広い年代を対象とした多彩なプログラムとなっています。バイロイト音楽祭と提携している〈子どものためのワーグナー〉では、「トリスタンとイゾルデ」をセリフは日本語、歌はドイツ語で、演出付きで上演。また、音楽祭開催期間中を中心に、上野公園や都内各所で無料のミニ・コンサート〈桜の街の音楽会〉が開催されるのも東京春祭の魅力。今年は20周年を記念し、上野公園で行われる〈うえの桜まつり〉で〈Conduct Us!〉も実施の予定。指揮者になったつもりで、オーケストラを指揮できる滅多にないチャンスをお楽しみに。詳しくは東京・春・音楽祭公式サイトをチェック。