©KAB America Inc. / KAB Inc.

Where would he go after the last solo performance?

 坂本龍一が自身の作品20曲を演奏した映像だけで構成された映画「Ryuichi Sakamoto | Opus」を観る。しばらくしてグレイ・スケールで描かれたモンドリアンの絵画(そんな作品は存在しない!)のようなスタジオの壁面が映し出される。前半はこの明るさの中で演奏が進む。この明かりの中で演奏する坂本を見ていると、モザイク状のスタジオの壁面は、まるでニューヨークのロフトや、カナル・ストリートのスタジオに差し込む光を和らげる薄す汚れたあの窓のように見えてきた。後半は満月のようなタスク・ライトの灯が坂本を照らす。ジョナス・メカスのフローズン・フレームの明と暗のようだ。

 数多くのピアノ・ソロ・コンサートのアルバムをリリースしてきた坂本だった。だがこの映画では、コンサート・ホールの響きに深く沈むことなく、スタジオの儚いアンビエンスが、あの独特の寂音を響かせるピアノの音色を鮮明に縁取る。寂音と書いたのは弱音と書きたくなかったからだ。それは常に、よ・わ・ねではなかった。その思いを強くしたのは、途中、“Bibo no Aozora”の変奏に納得のいかない彼が演奏を中断し、何事かをつぶやくとまたその気に入らなかったところからなんども弾き直すシーンを観た時だ。しかし結局「もう一度……」と静かに呟くと、彼はこの曲の譜面を閉じる。どこかしこで、彼の〈最後の〉を謳う宣伝文句を目にして辟易していたが、この瞬間、次を期待する本人の強さ、そして長く生きようとする芸術の意志を観たと思った。〈もう一度〉はここでは果たされなかったが、この曲の次はこの映画を観た誰かに手渡される、と感じた。

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 坂本はピアノの音楽に新たな領域を開拓した。さまざまな制作用途の中で揉まれて産み落とされてきた音楽は、ここで、本人の指の動きが解き解すようにしてもう一つの顔を覗かせる。ペダルを踏むとまだ音のないピアノの中に広がる空気のようなサウンドの気配を感じるし、ペダルを戻すとピアノに残った音楽のざわめきは、坂本のタクトの中へと消えていくのが見える。この繰り返しがはっきりと耳に届く環境で聴いて、この音楽のシンプルな息遣いや複雑な響きの混じり合うサウンドや音色の豊かさに驚かされた。それぞれにドイツ的な意志や不安、フランス的な色彩やアジアの強度が備わる。のちにオーケストレーションされる音の対話的な動きは、ピアノが奏でる旋律の中に予め設定されて、運動の開始を予告し、終止を告げているのが聴こえる。

 坂本から〈別れ〉を告げられたのかもしれない。しかし〈終わり〉を見せられたのではない、と思う。自動演奏のピアノが、クレジットを背景に“Opus - ending”を奏で、演奏者不在のまま持続する音楽の生を暗示するかのようだ。

 最後に彼が好んだヒポクラテスの〈芸術は長く、人生は短し〉という言葉が現れて、消えた。ふたたび演奏が終わっただけなのだ。

 


MOVIE INFORMATION
「Ryuichi Sakamoto | Opus」

音楽、演奏:坂本龍一
監督:空音央
撮影監督:ビル・キルスタイン
編集:川上拓也
録音、整音:ZAK
配給:ビターズ・エンド
(日本/2023/モノクロ/DCP/103分/Atmos & 5.1ch)
©KAB America Inc. / KAB Inc.
2024年4月26日(金)109シネマズプレミアム新宿先行公開、5月10日(金)全国公開
https://www.bitters.co.jp/opus/#modal