ミネアポリスを拠点にアンダーグラウンド・ヒップホップの粋を90年代から見せつけてきた老舗レーベル、ライムセイヤーズ。今回はその看板ユニットとなるアトモスフィアの新作に絡めて、重要作と近年の注目タイトルを中心に、インディペンデントの雄による偉大な歩みを改めて振り返ってみよう!
数の論理のみが音楽業界の主流になった昨今から思えば贅沢な昔話だが、90年代半ばから00年代にかけてヒップホップがメインストリームで飛躍的に成長するのに比例して、そうした商業規範の外側にあるコアなシーンも盛り上がっていた時代がある。US西海岸にはアンチコン、NYにはデフ・ジャックスがいて、ニンジャ・チューン系列のビッグ・ダダや、デンジャー・マウスらが在籍したワープ傘下のレックス、さらにはビビオやファット・ジョンを輩出したLAのマッシュ、シカゴのモールメンやチョコレート・インダストリーズ、マイアミのカウンターフロウ……などなどのレーベル/クルーがブランドとしての信頼を得ていたものだ。現在はそれらの多くが活動を終了/路線変更しているなか、90年代からアンダーグラウンド・ヒップホップの牙城として並び称されてきたライムセイヤーズの息の長い活動っぷりは賞賛に値するものだろう。そして、ミネソタ州ミネアポリスを拠点とする同レーベルの看板アクトとして、長らくそのアイコニックな威信を保ってきたのがスラッグとアントのデュオ=アトモスフィアだ。
もともと80年代末からDJとして活動していたスラッグ(ショーン・デイリー)とMCのスポーン(デレク・ターナー)がウォッシュバーン高校で出会って意気投合し、何度かのユニット名変更を経てアーバン・アトモスフィアを結成。その過程でスラッグもマイクを握るようになり、ラッパーのビヨンド(ムサブ・サード)とストレス a.k.a. シディーク(ブレント・セイヤーズ)、DJ/トラックメイカーのアント(アンソニー・デイヴィス)が加わって楽曲を制作していくようになる。そして、彼らを含むコレクティヴ=ヘッドショッツの拠点として設立されたのがライムセイヤーズであった。その最初期の作品となるヘッドショッツのミックステープ『Vol. 1 The WBBOY Sessions』(95年)は当時のNY産の王道曲に自分たちのフリースタイルなどを交えたもので、それに続いてはビヨンドがソロ作『Comparison』(96年)を発表。それらが地元で評価を得て、自宅がクルーの溜まり場だったシディークはやがてスタジオを構え、ライムセイヤーズはアイデア&アビリティーズ、ブラザー・アリら多くのアーティストを抱えるレーベルへと成長していく。
そのなかでアトモスフィアは97年に初のアルバム『Overcast!』をリリースするも、スポーンはこれを最後に脱退。エンジニアやデザインを担当していたシディークもレーベル運営に専念するためメンバーからは外れ、グループは正式にスラッグとアントのデュオとなった。当初カセットテープのみだった次作『Headshots: Se7en』(99年)が出るまでの段階でデュオは(あの)ファースト・アヴェニューを含むミネアポリスのライヴ・スポットでパフォーマンスを展開し、スラッグはアンチコンの面々と組んだディープ・パドル・ダイナミックスでもアルバムを発表するなど、彼らの評判はエリアを越えたヘッズ層の間で徐々に広がりはじめる。
ファット・ビーツ経由で発表した2作目『God Loves Ugly』(2002年)からは全国流通も始まり、同作のリリース後には欧州諸国や日本も含むワールド・ツアーも敢行。この頃には評判を聞きつけたメジャー各社から声がかかるもののアトモスフィアはインディーでの活動を選ぶ。そうした広がりも作用してサードアルバム『Seven’s Travels』(2003年)はパンクレーベルのエピタフとジョイント。それに続く4作目『You Can’t Imagine How Much Fun We’re Having』(2005年)からは、リリックにおけるポジティヴな側面を強めて表現のスタンスを確立。以降も幅広いインディペンデントなシーンと連帯しながら途切れることなくライヴ活動を展開し、コンスタントに作品を出し続けて現在に至る。2010年にレーベル活動を停止したデフ・ジャックスのように往年のアンダーグラウンドな名門が収束していくなか、アトモスフィアとライムセイヤーズは別格の存在感を築き上げて時代の波を乗り切ったのだ。
独特の視点から描かれるスラッグのストーリーテリングは、人生における愛やストレス、繋がり、挫折など普遍的な人間の感情を表現するスタイルが身上で、90年代から本人は〈エモラップ〉と呼んでいたもの(もちろん昨今のそれとは角度が違うものだが)。ジェイ・Zにも通じるフロウの芸達者ぶりも彼の重要な持ち味だ。アントがすべてを担うトラックもソウルやファンク、ジャズ、ロック、レゲエなどを素材にオーセンティックなグルーヴが主体で、世代を超えて親しみやすいサウンドを生み出している。
その芯になる部分は、今回リリースされた13枚目のアルバム『So Many Other Realities Exist Simultaneously』でも大きく変わることはない。特に今作ではパンデミックを通じて生まれた不安やストレスを背景に押し潰されそうな感情を表現しつつ、そのなかでも希望を持ってポジティヴであろうとする意志を示している。ポップで温かい“Okay”やソウルフルでスワンピーな“Bigger Pictures”、レゲエの“Holding My Breath”といった先行シングルに違わず、サウンド面の振り幅も実にいいバランスを備えていて、25年以上のキャリアはやはり伊達じゃない。全編を聴けば、真摯に自分たちなりのリアルを追求してきた者たちならではの輝きを感じることができるはずだ。今年は久々に北米ツアーやフェス出演を経てワールドツアーを行うという彼らだが、今後も社会の激変や音楽シーンの趨勢に流されることなく自分たちの表現を続けていくことだろう。
アトモスフィアの作品を一部紹介。
左から、99年作『Headshots: Se7en』、2005年作『You Can’t Imagine How Much Fun We’re Having』、2018年作『Mi Vida Local』、2019年作『Whenever』、2020年作『The Day Before Halloween』(すべてRhymesayers)