©Marc Domage

今秋フランスから要注目の現代ダンス公演がやってくる!

 この10月、京都と埼玉で海外の振付家によるふたつのダンス公演が行われる。彩の国さいたま芸術劇場ではクリスチャン・リゾーとラシッド・ウランダン、そして京都芸術劇場 春秋座でもKYOTO EXPERIMENT 2024の一環としてリゾーの公演が行われる。さほど関連もなさそうに思えるのだが、並べてみると興味深いつながりが浮かんでくる。まず、それぞれの作品を見てみよう。

 

クリスチャン・リゾー「D’après une histoire vraie本当にあった話から」

 〈2004年、夏。公演が終わって劇場の外に出たら、どこからともなく男たちの一団が現れて、ほんのつかのま民族舞踊を踊り、すぐに姿を消した。私はほとんど忘れかけていた深い感情に襲われる。私を打ちのめしたのは彼らの踊りなのだろうか、それとも彼らが消えた後の誰もいない空間の方なのだろうか?〉

 リゾーはそんな記憶に導かれながら、この作品を作りはじめた。ステージに8人の男性ダンサーが次々に現れる。髪の長さも髭の長さもまちまちで、色味に乏しいシャツとパンツに身を包んでいる。彼らは床の上で伏せ、立ち上がり、また床に転がる。座り、また立ち上がり、肩を抱き合う。ふたりのドラマーが叩き出すトライバルなリズムにのって、ダンサーたちはアンサンブルの相手を一心不乱に変え続ける。その動きは感情的でもなければ、機械的でもない。まるで人が織りなすあやとりのようだ。

 あやとりは日本固有のものではなく、全世界に見られる遊びだ。両端を結んだだけの1本のひもと両手の指からさまざまな形が生まれ、それが人間の想像力を刺激し、また新たな形を呼び起こす。誰もがそれを分かち合い、増殖させることができる。リゾーはふと目にした民族舞踊を再現しようとしたというよりは、あやとりの中にひそんでいるようなしなやかな知恵にふれ、その可能性を展開してみせたかのように見える。

 もうひとつ、この作品には女性が出てこない。ミュージシャンを含め、登場するのは男性ばかりだ。だが、本作で男性性が称揚されているのかというと、そうではなさそうだ。飾り気がない服装の彼らがからみあうさまを見ていると、そこにあるのはひとりひとりの違いだけのように思えてくる。リゾーは民族舞踊の中で男性同士がごく自然に親愛の情を示すさまを目にして、男性/女性を超えたコミュニオン(親交・仲間)の可能性をかいま見たのではないだろうか。

 ドラムスは、インダストリアルメタルバンド、トレポネム・パルのディディエ・アンバクトとエレクトロニカ・ミュージシャンのキングQ4。