ダンスから立ち現れるそれぞれのアイデンティティ
『ジャスミンタウン』が描くチャイナタウン

横浜中華街。中華料理のレストランが集まり、観光地としても、その規模は世界中にあるチャイナタウンでも有数のものだ。しかし、わたしたちは、その街についてどれだけ知っているだろうか。たとえ中華街を訪れたことがあるといっても、そこに働き、暮らす人びとのことになるとどうだろうか。中華系移民、いわゆる華僑・華人と呼ばれる人たちの街というイメージぐらいではないだろうか。コレオグラファーであり、演出家のヤン・ジェンは、世界中に散らばる「都市のなかの都市」、チャイナタウンで暮らす人びとのアイデンティティをテーマに、舞台を作るプロジェクト『ジャスミンタウン』をはじめた。すでに昨年、YPAM(横浜国際芸術ミーティング)主催のディレクション作品として、ワーク・イン・プログレスが公開されている。2022年12月に世界初演の予定だ。その彼と、この作品のリサーチアドバイザーであり出演者でもある陳天璽(「無国籍ネットワーク」代表、早稲田大学教授)に話を訊いた。


 

――なぜ、この『ジャスミンタウン』を作ろうとしたのか、まずその経緯からお伺いできますか?

ヤン・ジェン「この作品の前に、中国国内の少数民族、もしくは珠江デルタという香港、マカオ、広東省などにわたる地域の人びとをとりあげて、現代の中国社会におけるアイデンティティの多様性をモチーフに作品を作りました。その作品で欧米をツアーしたときに、海外のチャイナタウンに住む華僑の人たちからフィードバックをもらった。そこで彼らのアイデンティティについて知るきっかけを得ました。そのコミュニティの年齢や世代、移動によるアイデンティティの複雑さ、さらにはコスモポリタンな側面を新しい作品で表現したいと思った」

――『ジャスミンタウン』は、世界中に散らばるチャイナタウンで行われるプロジェクトで、第1作目が横浜中華街になると伺っています。どのように創作のプロセスを始めたのですか。

ヤン・ジェン「2020年にTPAM(現在YPAM)に参加したのですが、そこで横浜中華街というアジア最大のチャイナタウンのことを知りました。最初は観光客気分でしたが、その後で、作品のためのコンセプトやキーワードを並べたテクストを作って、アカデミックな部分や理論的な探求を始めた。そして、だれかキーパーソンを見つけて、そこから人脈を広げようとしたとき、YPAMが、陳天璽さんを紹介してくれた」

――陳さんは横浜の中華街出身で、『無国籍』、『無国籍と複数国籍』などの本に代表されるように、かつて自身も無国籍であり、それらの経験も踏まえた研究をなされています。また、「無国籍ネットワーク」というNPOの代表も務めている。ただ、その社会活動と研究ではない、舞台作品への協力は初めてだったのではないですか。

陳天璽「最初は横浜でYPAMというものが開催されていることも知らなかった(笑)。連絡をもらった時もマレーシアに滞在していた。ただ、チャイナタウンがテーマということでしたので、私の博士論文の『華人ディアスポラ』という世界中の華僑・華人のビジネスネットワークとアイデンティティがどのように関わるか、そこで唱えた〈Rainbow Metaphor(虹のメタファー)〉が論文の最終的な核になったのですが、そのメタファーとこの作品はリンクするのではないかと思った。

 チャイナタウンを表現するときに、外側と内側から見るチャイニーズのイメージはちがう。チャイナタウンの歴史をはじめ、どのような人びとが暮らしていて、どのような移住の経歴があるのか。一概にチャイニーズと見られても、移住時期の違いによって、老華僑や新華僑、さらに出身地による差異がある。また通婚によりインド系やコリアン系、日系など、ミックスもいる。アイデンティティをとっても、〈この人はナニジンだ〉と外からみるイメージと、実際はズレていることがある。中華街にいるからといって、みな同じチャイナタウンとしてのアイデンティティを有しているとは限らない。一人一人にはもっと色々な側面がある。だから、ヤン・ジェンのアートを通して、自分の考えていることも表現できるのではないか、研究成果がアートになることは素晴らしいことだと思った。ただ、自分も出演者の一人になるとは思っていなかったですが(笑)」