
©Dániel Vass / ECM Records
(Part 1からつづく)
オクウィ・エンヴェゾー「いろんな角度から振り返ることは、さまざまな関連性、ネットワークとでも言いましょうか、そうしたことを明らかにし、ネットワークとさらに繋がり始めます。いわゆるアーティストと芸術的瞬間を繋げるネットワークなのですが。おそらくあなた(カール・リッツペガウス)がおっしゃるように、こうした音楽家たちがスターではなかった事実へと遡ることは重要でしょう。しかし60年代という文脈、つまりあらゆることを過激に再構築し、まさに芸術作品の文脈を考え直した時代の流れに置いてみることも重要だと思います。
ジャズにおいて、フリー・ジャズは、標準化された手順や調和的なグループ演奏の規範化した構造に疑問を投げかけました。政治的なことでは、いわゆる第三世界の脱植民地化、アメリカの市民権運動、フェミニズム、性の革命によって社会構造が再定義されました。文化、政治、社会学的な、あらゆるレベルで信じられないような熱狂を迎えた瞬間でした。
小説の概念ですが、マンフレートが先ほど指摘した、彼がECMを始めた1968年に〈ジャズは死んだ〉という考えと並行するのがロラン・バルトの〈作者の死〉です。同時代の思想には既に根本的な亀裂が続けざまに生じていました。つまり文化の領域は、本当に深いレベルで揺らいでいました。ですがこの揺らぎは生産的な揺らぎでした。言わばこの揺らぎはアーティストと音楽家があらたな領域を目指すために利用していた何かだった。
そして私はこの特別な瞬間に立ち戻ってみたいのです。まさに音楽自体の構造が分解されて、再構築されたあの時に。マンフレート、あなたはあの時、何を聴いていたのでしょう?」
マンフレート・アイヒャー「あらゆるもの、どんなものでも聴いていました。ジャズ、クラシック、ボブ・ディラン、アルバート・アイラー、ジョン・ケージ、ドン・チェリー、カーラ・ブレイ、マイク・マントラーにセシル・テイラーのようないわゆる ジャズの十月革命に参加したミュージシャンたち。さまざまなことが同時に起きていました。スコット・ラファロとポール・モチアンがいるビル・エヴァンス・トリオ、スティーヴ・スワロー、ポール・ブレイのジミー・ジュフリー・トリオ、マイルス・デイヴィス・クインテット、それに偉大なコルトレーン・カルテット。それからクラシックではグレン・グールド、ラモンテ・ヤング、ジュリアード弦楽四重奏団にファイン・アート四重奏団。そしてモダン・アートではサイ・トゥオンボリやアントニ・タピエスが、私にはとても重要でした」
エンヴェゾー「ではしばらくあの時代のことについて話し合いましょう。多分あなたは、いろんなことが起きていて、とても過激なものがたくさんあったという事実についてもう少し話せるでしょう?」
スティーヴ・レイク「全てが重要だという感覚がありました。ジョン・コルトレーンが音楽を変化させれば、その変化の賛否を判定する評論家たちを目の当たりにすることになる。ミュージシャンたちはどんなことを演奏しているのか説明し、正当化するための立場を表明しなければならない。
おそらく、現在と比較してみると、芸術においては、概ね、最悪のポスト・モダン的な意味で、なんでもいいというところに私たちは辿り着いた」
エンヴェゾー「しかし私は言わねばなりません、この音楽はポスト・モダンだった、まさしくポスト・モダンだったとはいえ、もしあなたがやってみせたような区別を解体するポスト・モダニズムの本質的なパラドックスについて私たちが本当に議論するのであれば、でもスティーヴ、続けてください……」
レイク「同時に発展しつつあったたくさんの潮流がありました。だからECMの初期にエヴァン・パーカー、デレク・ベイリーとジェイミー・ミューアといったイギリスの即興演奏家たちが、シュトックハウゼンのアンサンブルを離れたばかりのライブ・エレクトロニクスを使用するヒュー・デイビスと演奏するザ・ミュージック・インプロヴィゼーション・カンパニーのようなグループをマンフレートは持てた。現代音楽の作曲の技術と、数十年後には大きな影響を与えることになった、新しい言語に発展しつつあったフリー・ジャズの最も極端な要素を発展させた即興のようなものとのインタープレイが実際に実現できた。
そうこうしている間に、こういうイギリスのインプロヴァイザーたちと演奏経験のあるデイヴ・ホランドがマイルス・デイヴィスに加わるために旅立ち、マイルスのバンド内に解放された即興の異分子の種を蒔き始め、マイルスの〈商業的な〉匂いに異を唱え始めたプレイヤーたちがバンド内に現れた。 この流れの中からサークルのように、フリー・ジャズの諸要素をアンソニー・ブラクストンの音楽においてアーノルド・シェーンベルクの考えや音列主義とを結びつけるグループが誕生する。こうしたことすべてにヨーロッパとアメリカの、異種交配のような側面がある。それがECMがその最初期から取り組み、発展させてきたことのひとつです」