Manfred Eicher with Arvo Pärt and Bruno Ganz, Badenweiler 1994
©Robert Masotti

(Part 3からつづく)

マーカス・ミュラー「マンフレート、君が避けようとする問題に戻りたいな。それはプロデューサーの哲学のことについて。事業計画はなかった。ではマンフレートというプロデューサーを一言で言うと?」

マンフレート・アイヒャー「プロデューサーは不明瞭な用語で、表現媒体が異なれば違った役割を意味します。音楽ではプロデューサーはレコーディングのアーティスティック・ディレクターです。献身、音楽と音楽家たちへの共感が不可欠です。私が理解しているこの役割ですが、プロデューサー自身が音楽家であれば、うまくいくのです。プロデューサーというのは、音楽家たちが理解され尊重されていると感じるように音楽や彼らとの対話を真摯に受け取り、耳を傾けるべきです。おそらく正しいタイミングで人々を集め、彼らと何かを生み出す才能が私にはあるのでしょう。だからそういう意味では、この仕事を映画監督、あるいは演劇監督の役割と比較してみることができる」

ミュラー「信じがたいことに、もう1人ECMのプロデューサーが席についています。マンフレートが会社を形にしたのは明らかですが、スティーヴも2、3の素晴らしいレコーディングに関わっています。どのように関わっていますか?」

スティーヴ・レイク「マンフレートは私がこの分野に取り組むよう勧めてくれました。実際には1970年代のことですが、私がこの会社に初めて加わったとき、当時、我々はJAPOレーベルのもう一つの制作シリーズを模索していました。時々企画を提案してはいましたが大抵、応援してくれました。私と一緒にマンフレートがジョン・スティーヴンス、トレヴァー・ワッツ、ハワード・ライリー、そしてバリー・ガイの最初のセッションに参加したときのことを思い出します。1978年のほずです。初日に私がセッションを始められるように手伝ってくれて、あとは自分でなんとかするよう私1人を残しました。それ以来このアルバム以降、おそらく40枚の制作に関わってきました。

もし私がプロデューサーだったとして、私は自分のことを小文字のpで始まるプロデューサーなのだと思います。ライターとしてやってきた仕事の延長であり、この仕事のことを音楽に対する熱意を表現するもうひとつのメディアだと考えています。レコーディング・スタジオに入って、私は〈建設的な〉批評がどんなものかを理解し始めました。結果が出た後でそれについて考えるというより、ある結果を出そうとしている誰かを手助けすることができる。だから、そう、そういうことをやってきました。

現在も気に入っているいくつかのシリーズがあります。一連のロビン・ウィリアムソン、ジョー・マネリ、ハル・ラッセル、エヴァン・パーカーやロスコー・ミッチェルとか」

カール・リッツペガウス「君はとても強烈な個性の持ち主のエヴァン・パーカーと、一連の制作全てを手掛けた。たとえばエヴァンのような人物や大編成のアンサンブルがあなたの目の前にいたりする場合と、よく知らない音楽家が1人か2人いる場合とでは、どんな風に役割は変わるのだろう?」

レイク「エヴァンとのレコーディングでさえ、全てが大きく異なっていました。何故ならエレクトロ・アコースティックの分野から始めたとき、それは誰にとってもまったく新しい領域でしたし、エレクトリックな手法で処理された即興音楽によるこうしたレコーディングの作業中には、私たちは広い帯域を使って録音し、私はある選択をするために、何時間にも及ぶテープに耳を傾けて、それからどうするのかを議論し、ミックスするのです。

時が経つにつれエヴァンは以前にも増して作曲家としての比重が大きくなり、規模の大きい、さらに大きくなっていくバンドのために曲を書いていました。プロデューサーとしての私の職責はある意味小さくなってゆきましたが、ECMでこの音楽を世に送り出せたことは本当に幸せなことでした」

 

オクウィ・エンヴェゾー「私たちがまだ吟味していなかったと思う問題の一つが、ECMと映像との関係です。あなたは1、2本の映画作品の監督を務めましたが、数多くの映画製作者たちとも仕事をしました。映画のために音楽をプロデュースすることとは、どんな違いがあるのか教えてください。というのも映画はいろんな点で、すでに空間化されています。あなたの映画との関わりについて教えてください」

アイヒャー「実のところ、そんなに違いはありません。私がマックス・フリッシュの小説に基づく映画『Holozän』を作ったとき、あまりにたくさんの類似点があって驚きました。スイス人の監督、ハインツ・バトラーと私はこの映画を共同で監督しました。私たちは台本を書き、すべてを一緒に制作しました。

映画の編集にはイザベル・デデューを採用しました。彼女の、アラン・カヴァリエの『テレーズ』での仕事を気に入っていました。本当に私はその映画のリズムがとても好きだった。私たちは、映像、音楽、そして自然音をどうやって選んでいくのか、互いにとてもよく理解し合っていました。

私は映画の中で作業しても、サウンドの中で作業しても、ミュージシャンたち、あるいは映画製作者たちと働いても、まったく同じプロセスを辿ります。私はベルリンで学びましたが、夜になるとスタインプラッツ・キノに出かけ、ロッセリーニ、ブレッソン、ベルイマン、ゴダール、トリュフォーたちの映画を発見しました。昼間、私はベース奏者で、そして夜になると映画狂でした」

リッツペガウス「ECMと映画は互いを見つけたんだと思う。ドイツ語ではTonspuren(オーディオトラック)が映画音楽だけど、新しいものが本当に必要とされていた。大勢の映画製作者たちがECMに近づいて、こう打診する。〈ECMの音楽を使えますか?〉。フェリーニがやったように、俳優たちに演奏させるために映画のセットで演奏した映画監督の例もある。ウディ・アレンのように編集しながらジャズのレコードを聴いているような人たちもいた。

ECMの音楽、つまりECMの音楽について我々は語り合ってるんだけど、アーティストがECMに録音した音楽、その音楽にはすでに映画的な質が備わっていること、私はそのことが興味深い。これは部分的にマンフレートが長年にわたって映画に並々ならぬ関心を寄せてきたことに起因していると思う。多分、私たちは映画製作者たちを面白がらせる音楽に内在するクォリティについて少しは語せるんじゃないかな」

エンヴェゾー「映画製作者たちだけにとって面白いことではなくて、音楽自体に内在するクォリティ。私が言いたいのは、今日、ECM以外のレコーディング手法と今も違うECM内部の制作の、決定的な特徴とは何かということなんです。そこに内在するクォリティとは何か? 映画のためだけではなくて、音楽の制作自体の価値。

遡って簡潔に質問させてください。デジタル流通が氾濫する中、ECMが始めた芸術的な文脈は今日可能でしょうか? あるいはインディペンデント・レコード・レーベルは時代遅れの概念なのでしょうか?」

リッツペガウス「信じられないペースで才能を買い漁るいわゆるプロデューサーやレコード会社のオーナーたちがいる。僕はとりわけ1人のことを考えている。ご存知の通り彼らは才能を買うだけ。彼らはいいなと思う何かを耳にして、そいつを買う。彼らは契約を提示する。

我々がフリー・ミュージックにおけるマルクス主義について語り合っていたとき、僕が実際に考えていたのはアーティストに忠誠でアーティストが信頼する誰かのことについてだ。つまり、それが電気のない部屋に集めることよりも、はるかにマルクス主義を実践することだ。握手ひとつで契約し、25年間その契約を守り続け、作品自体が世界中からの関心に応え続けている事実……。

私たちは、世界的な規模で聴き手と繋がっている人々のことについて話している。キース・ジャレットは世界の至る所で知られている。インドやブラジル、アフリカでさえも。あるいはアート・アンサンブル・オブ・シカゴ。西アフリカでテープを聴いたんだ。アフリカの人たちがECMのアート・アンサンブル・オブ・シカゴのカセットテープを聴かせてくれた。つまり音楽に関心のある聴き手たちにこんなに影響を与えているという事実……。

私たちはECMのアルバムをまるで新聞のように読み、新しいことを求めて、数々のアルバムにそれを発見した。しかも音楽は音楽が作られた時間を写真のように記録するけれど、同時に時間を奪う(timeless=永遠にする)という事実。どうすれば3時間のうちに、その瞬間に自然と生まれたある音楽が、永遠の記録となるのか? 本当に驚異的だが、そんなことが起きたんだ」

エンヴェゾー「そして、それは今も起きている」

リッツペガウス「こういうことには、プロデューサーが必要だ。それなのに、そんなにたくさんいない。たくさんビジネスマンはいるが、おそらくとても優秀なビジネスマンでないとね。40年間もうまく続けるにはね」

 

エンヴェゾー「プロデュースすることへの関わり、まるで作家のように、まさに音楽を作る技巧についての概念ですが、マンフレートの精巧さに興味があります。まったく共通点のないことを寄せ集めるのではなく、作家という概念に焦点を絞って、ということですが。あなたのやっていることと関連する範囲で、あなたと同じようなプロデューサーとは誰でしょうか?」

アイヒャー「比較するのはむずかしい。あらゆることにはそれぞれまっとうすべき命が宿っています。どんな音楽を聴いていて、その音楽がどこに向かおうとしているのか、あるいはどこで遮られているのかを適切なタイミングで理解する能力と親和力が、良いプロデューサーの条件だと私は信じています。作曲されたもの、即興、ジャズ、フォーク、音楽の種類は関係ありませんし、風の音、水の音、あるいは鳥の鳴き声であろうとも、こうしたサウンドのすべての形(shapes)は形式と文脈に関わっています。注意を怠らないプロデューサーは、それが何かを聴きとることができるのです」

ミュラー「文化に悲観的な考えを持っているように思って欲しくはないけれど、明日のマンフレート・アイヒャーは誰かというあなた(オクウィ・エンヴェゾー)の質問は、臆病者に向けられたものではないですね。この質問はまさに、今日の制作の文脈の核心にも触れるものだと思います。

振り返って、ECMを起業してあなたが(チック・)コリア、ジャレット、そして(ヤン・)ガルバレクのような人たちとこんなにも長期間にわたって仕事をし、経済的にも非常に成功したコラボレーションとなっているという紛れもない事実は、実際のところ今日の音楽シーンで想像することは難しい。私が言いたいのは、カールが2012年の始めに、まさに現実のドイツのジャズ・シーンの惨状について書いているのですが、音楽、たとえばジャズが演奏されその演奏が行われている流れを調べると、我々は1960年代、1970年代、そしておそらく1980年代でさえ、間違いなく豊かだったある種の文化に大きな変化が起きていることを認めなければなりません。たとえばECMが1970年代にやっていたように、誰かがあるレーベルの、3つのバンドのツアーを計画したとして、ヨーロッパで演奏する場所を10ヶ所見つけるのは大変なことは明らかなのです」

リッツペガウス「そうじゃなくて、ミュージシャン、つまり才能は存在するけれど、誤った方法で紹介されていると思う。事物をフレームに収めること、時間を超えた方法によって記録として事物を提示するという〈事物のフレーム化(the framing of things)〉について話したときに言いたかったのはそのことだった。

ジョン・アバークロンビーの最初のアルバムは『Timeless』(1975年)だった。これを今出したとしても、出来ればアナログ盤がいいけれど、あたかもまるで昨日レコーディングしたかのように聞こえるだろう。偽りなく、そのアルバムは、昨日、録音したものだったかもしれないという印象を持つ。ミュージシャン本人がそのクォリティに驚いている。アバークロンビーの最近のインタビューを読むと、彼は〈信じられないよ。『Timeless』は今でも新鮮に聞こえるアルバムだ〉と言った。Verfallsdatumは、ドイツ語で〈有効期限〉だけど、いつまでも有効だ。

さまざまなことが流行し時代遅れになるけれど、マンフレートとスティーヴ、彼らはラップの流行(rap train)に飛び乗ったりしなかった。DJの流行(DJ train)やヒップホップの流行(hip hop train)にも飛びつかなかったけど、彼ら以外はみんな飛び乗って、みんな失敗した」

エンヴェゾー「しかし、必ずしもヒップホップやラップの流行が悪いわけではない」

リッツペガウス「乗ってもいいけれど、覚悟が必要」

エンヴェゾー「……しかし違う音楽には、それぞれ異なる生存環境があると思う」

レイク「その文脈に馴染まなければ、うまくいかない」

リッツペガウス「異なるフレームということだね」

エンヴェゾー「そうです。異なる音楽の生態系があって、だけどおそらく重要となるのはタイムレスだということではなくて、新鮮に聞こえるという意味において同時代のものだということだと私は思います」

リッツペガウス「両方かな」

エンヴェゾー「なるほど、納得できますね」

アイヒャー「しかし映画のように、古くならないものもあるし、なるものもある。40年、50年経って観ても」

リッツペガウス「まさに。良い映画であっても」

 

エンヴェゾー「言うなれば、おそらくECMが優れているのは、ある概念的な文脈があったし、あるという事実です。つまり、価値観の中心にあるのは音楽の経験だということ、そこへ持てるすべての技術、聴き手にこの音楽を伝えなければならないという使命感を注ぎ込む。親近感を感じる人たちと働く。時には音楽家たちが自身を乗り越えるための機会を与えてきた、あなたが手塩にかけた音楽家たち。これは独自のことだと私は考えています。あなたがそうしているにしても、していないにしてもね。つまり、それは産業ではありません。そして、これがこの独自性を形作るのです」

レイク「背景には、そういうことを実現するにはいったいどれくらい懸命に働く心構えがあるのかという問題がある。なぜなら、音楽が受け入れられるための文脈を生み出すために注がれた大変な量の仕事があるのだから」

エンヴェゾー「そう。まさにそのことが言いたいし、それが独自性なのです」

アイヒャー「やがて新しい言語になる音楽言語の断片が最初にあった。いたるところにあるアイデアの断片の数々。私たちは、異なる文化、異なる地域のミュージシャンを集めました。そして彼らが突然、互いに刺激し合えることがわかる。文脈は実は当初からそこにありましたが、モザイクをどの順序で組み合わせるのかは、必ずしも明らかではなかった」

リッツペガウス「それは僕の問題なんだろうな。ECMの印象は、アーティスト自身にとってどれほど威圧的なのか。たとえばラジオでよく出くわす状況、もしくは新聞に何かを書くと……。あるミュージシャンが最近、私に〈あなたはECMの3枚のアルバムレビューを書いた〉と言い、私は〈そもそも、それは4枚のうちの2枚のレビューでしかなかったし、それは本当に気に入ったアルバムだ〉と応えた。ジョン・サーマンのこのアルバム『Saltash Bells』(2009、2011年に録音。リリースは2012年)のことをとても強烈に感じていたときだった。

このミュージシャンは、女性のサクソフォン奏者だったけれど〈3枚のECMのアルバム〉と彼女は言う。だけど文学では、誰かが新しい小説を出版する。たとえば、フィリップ・ロスとしよう。〈ズーアカンプの新刊〉なんて言わない。それは〈フィリップ・ロスの新しい小説〉と言う」

アイヒャー「まさにそのとおり」

エンヴェゾー「私たちは大概のことを網羅したと思います。私の提案ですが、展覧会が初日を迎えて時が経つにつれ、また別な議論の可能性が開くでしょう。なかでも、ECM作品の持つ文化横断的な側面を掘り下げる議論。

何故なら私たちは、即興された音楽と作曲された音楽を際出たせてきましたが、私たちが触れることがなかったのは、とりわけECMがたくさんのアルバムを制作してきた分野――中東、民俗音楽、アフリカといった分野です。おそらく、結論としてECM作品における、この系譜のことについて少し話してください」

アイヒャー「先ほども触れましたが、私は音楽制作することや音楽を聴くことの、いろいろな側面に関心がありました。たくさんの土地を渡り歩きました。ECM以前から、アフリカ、中国、アルバニアや合衆国を旅しました。だから当然、こういう音楽も私たちのフレームの中に収まるのです」

レイク「たとえば、レーナ・ヴィッレマルクとアレ・メッレルを見つけたときの話は面白い」

アイヒャー「スウェーデンの森のことかな? 我々はイングマール・ベルイマンが『冬の光』を撮影したロービュ周辺のシルヤ湖にいました。アルヴォ・ペルトと私は森に向かって湖周辺を歩いていました。すると、とても小さな村に辿り着いたんですが、村ではチャペルの前で人々が踊り回っていたんです。フォーク・フェスティヴァルが開かれていて、我々はチャペルの中に入りました。そして、そこには歌っている金髪の女性といろんな楽器を演奏する男性がいました。それがレーナ・ヴィッレマルクとアレ・メッレルでした。彼らのことを私たちは知らなかった。アルヴォと私は、その音楽に惹き込まれて、とても気に入って最後まで聴きました。それから、その日の夜にはラトヴィア、エストニア、そしてスウェーデンやポーランド出身のたくさんの音楽家たちがステージに登壇しました。数百人の音楽家たちがフィドルを演奏し、踊り、演奏したのですが、信じられない光景でした。その後、私たちはレーナ・ヴィッレマルクとアレ・メッレルにストックホルムで出会いました」

レイク「それがECMでのレコーディングへと繋がり、スカンディナヴィアの音楽制作が強化されることになったんです。レーナ・ヴィッレマルクとジャズ・ミュージシャンのレコーディングで、我々は心の中で、アルバート・アイラーとの繋がりを遡り、極北にいたアルバート・アイラーがスカンディナヴィアの音楽を聴いていたこと、その旋律を取り入れていたことについて考えたりしました。

音楽を知ろうとする興味すべてが結びついていく。それは、まさにこの会社自体が進んできた道のようです。ドン・チェリーもこの分野では刺激的な存在でした。彼はこういったさまざまに異なった環境で活動しましたから。素晴らしい旅行家で素晴らしい情報の運び手でした」

エンヴェゾー「マンフレート、何か最後を締めくるのに言いたいことはありますか?

アイヒャー「締めくくらないほうがいいでしょう。これからも仕事は続きます」

エンヴェゾー「もちろん」

出典:ECM - A Cultural Archaeology

 


EXHIBITION INFORMATION
Ambience of ECM

日程:2025年5月8日(木)~2025年5月11日(日)
時間:15:00~18:00
入場料:無料(要予約)
予約はPeatix特設ページにて受付
https://ambienceofecm2.peatix.com/view
会場:京都新聞社大原山荘(京都府京都市左京区大原上野町238)
注意事項:館内では一部裸足となるプログラムがございます。靴下等脱ぎやすいお履物でお越しください。
主催:東邦レオ株式会社
企画:Rika Ishii/Masaaki Hara/Yuki Tamai
ライブ:岸田繁アンバサード・ストリングス
選曲:岸田繁/三浦透子/岡田拓郎/SHeLTeR ECM FIELD (Yoshio + Keisei)/原雅明
協力:ユニバーサルミュージック合同会社/Audio-Technica/株式会社ジェネレックジャパン/Qobuz
企画協力:dublab.jp/epigram inc.

■プレイリスト情報
selected by 岸田繁 - Ambience of ECM
https://play.qobuz.com/playlist/26925651

selected by 三浦透子 - Ambience of ECM
https://play.qobuz.com/playlist/26925617

selected by 岡田拓郎 - Ambience of ECM
https://play.qobuz.com/playlist/26755879

selected by SHeLTeR ECM FIELD (Yoshio + Keisei) - Ambience of ECM
https://play.qobuz.com/playlist/26715607

selected by 原雅明 - Ambience of ECM
https://play.qobuz.com/playlist/26755947