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2019年8月4日にロームシアター京都で開催された〈MUSIC TODAY IN KYOTO 2019〉

ロックのために、またはロックをつぶすためにいたい

──おふたりの共演は2017年につづき、2019年の京都を経て、2021年には渋谷WWWの公演〈う       た〉を迎えます。表題から察するに共演を重ねるにつれ〈歌〉へと焦点が絞られていったのではないかと感じました。おふたりのあいだに共通認識のようなものはありましたか。

灰野「それに先立つ何回かのセッションで、僕は歌を歌ってはいたけど、楽器ももっていって試したのね」

蓮沼「灰野さんの地元の川越のスタジオに入ったんですが、けっこうもってきていただきましたよね。エレキギターもエアシンセも、いろいろチャレンジはしているんです」

灰野「僕は人と一緒にやるとき、ことにはじめての人とやるとき、シンガーソングライターでもバンドでも、〈きみたちの曲の歌詞をひとつちょうだい〉というの。そうすると、その日一日だけでも僕の考えるバンドになれる。一緒にやる意味っていうのはすごく出てくる。

蓮沼くんにも歌詞をもらっていて、これなら歌おうかなと思ったの。でも、ただ歌うんじゃおもしろくないから、とんでもないカバーをやっちゃえということで、あるバンドの曲をやったの」

──それが2021年9月の渋谷WWWでの公演ですね。

蓮沼「開演前にセットリストをお客さんに配ったんですよ」

灰野「そうしたら、ウワウワウワってなった。哀秘謡で“いとしのマックス”をやったような感じだったよ」

──哀秘謡やハーディ・ロックスでも灰野さんは他者の作品に積極的に取り組んできました。

灰野「僕が人の歌を歌うということのコンセプトははっきりしていて、ここまでアレンジしても作曲といえないんだよ、というポップやロックの限界に対しての言及なの。たとえば〈アレンジしました〉といって誰かの曲をやって、それが僕らのオリジナルだと勘ちがいされていく。そういうことを見越した、ロックに対しての意見というよりは提言だよね。ハーディ・ロックスの“サティスファクション”なんて、曲名を出して、そうすると、ストーンズのふたりの名前を出さざるをえないわけじゃない。その歌詞をかえて歌えば、もうオリジナル曲なのかも。でも僕はロックのために、またはロックをつぶすためにいたいから。ロックがドアーズとジミヘンで終わっては悲しいのよ」

──逆説的ですね。

灰野「僕はいつでもパラドキシカルでメタフィジカルだよ。だから(カバーでも)みんなが知っている曲じゃないと意味がない。土台としてつかわせて、というよりもあえて〈拝借する〉という感じで、ロックへの愛情の表明と、ロックはそこで終わっているよね、という警鐘だね」

──蓮沼さんは灰野さんの声を通して、ご自分の歌詞をはじめて耳にされたとき、どのように感じましたか。

蓮沼「音になるまでどうなるかわからないので、その瞬間を楽しんでいるだけです。発せられると(音は)消えるわけですよね。その連続です」

灰野「アルトーは〈書かれたものは豚のように不潔〉だといったけど、一回の実践でできちゃったものはもう終わればいいんだよ。あえてこの言葉をつかうけど、〈即興〉の本当の意味を知っている人が何人いるのかということだと思う。自分のつくったものをかわいがって、もちあげてほしがっている。僕らの場合、歌ったら次はもうちがう。それだけはいい切れる」