〈0点事件〉が解放したメタル界のしがらみ
以上のような話をふまえて考えてみてほしいのが、日本を代表するHR/HM専門誌「BURRN!」が『悪魔が来たりてヘヴィメタる』につけた〈0点〉レビュー(100点満点中の0点。評者は前編集長の酒井康※6)だ。この件に関しては、2020年12月19日の広島公演に現編集長の広瀬和生が登壇し陳謝したことで双方の確執に終止符が打たれ、同誌の2021年3月号では聖飢魔IIの表紙&巻頭特集が組まれている(先の登壇はこの前フリでもあったのだろう)。
日本のメタル領域で極めて重要な立ち位置にあった「BURRN!」に一切取り上げられなくなったことは、当時のメタルファンと聖飢魔IIの間に極めて深刻な分断をもたらした※7。しかし、それは結果的には必ずしも悪いことではなかったのではないのかもしれない。
例えば、アイアン・メイデンの『Somewhere In Time』(1986年発表)やジューダス・プリーストの『Turbo』(1986年)といったアルバムは今でこそ高い評価を得ているが、当時は〈シンセサイザーが入っている〉というだけの理由でメタルヘッズから叩かれることも多かった。その一方で、エクストリームメタルの先駆けとなったコアな作品が「BURRN!」のレビューで酷評されることも多かったわけで、当時のHR/HMファンに歓迎される作風の幅はかなり狭かったと言わざるを得ない。
そうした状況のなかで『悪魔が来たりてヘヴィメタる』が高く評価されていたら(作品の内容的には十分にあり得ることでもあった)、聖飢魔IIも保守的なHR/HMファンを多く抱えることになっただろう。そうなると、越境志向を前面に出し始めた4th『BIG TIME CHANGES』(1987年発表)以降の作品はうまく受け入れられなかっただろうし、そもそもジャンルの重力圏から逃れられず、先述のような音楽的放蕩を試みることもできなかったのではないか。
聖飢魔IIはデーモン閣下の卓越した芸能力によりお茶の間に活路を見出し、そこに5th『THE OUTER MISSION』や第六大教典『WORST』(リミックス&新録を含むベスト盤のようなもの)のポップな作風が絶妙にハマったわけだが、そうした時流との噛み合いとはまた別に、各構成員の多彩な音楽素養を生かすにあたっては、ジャンル的なしがらみはないほうがよかった。怪我の功名みたいな話ではあるが、『悪魔が来たりてヘヴィメタる』が伝説的な酷評を受けてしまったことは、聖飢魔IIというバンドにとって※8、そしてメタルの世界全体にとっては、むしろ重要なきっかけになったのではないかとも考えられるのだ。
聖飢魔II vs BABYMETAL公演が示した深いリスペクト
聖飢魔IIとBABYMETALの対決ライブ(筆者は2日とも参加した)が〈悪魔が来たりてベビメタる〉と名付けられたのは、単に語呂が良いということを超えて、以上のような流れを見事に総括するものだった。そもそもBABYMETALのプロデューサーKOBAMETALは聖飢魔IIに大きな影響を受けており、楽曲※9やライブの映像演出で聖飢魔IIをたびたび意識してきたのだが、当日のBABYMEATLのセットリストはそうした思い入れや理解の深さを極めて高い次元で示していた。
BABYMETALの選曲は音楽スタイルの点では聖飢魔IIとあまり被らないのだが、曲ごとに異なるビートに取り組む姿勢とその多彩さは聖飢魔IIの音楽的放蕩にそのまま対応している。聖飢魔IIが1990年に発表した6th『有害』や、1994年に発表した8th『PONK!!』あたりを想起させるグローバルメタル感は、BABYMETAL自身が結成当初から(特に、2016年発表の2nd『METAL RESISTANCE』から)意識していたものでもあるのだが、今回のセットリストでは、そうした志向のルーツに聖飢魔IIがあったのだということが示唆されていたように思われる。
90年代前半の聖飢魔IIは一般的には最も聴かれておらず、ファンの間でも賛否が分かれる時期なのだが、そこに照応する楽曲群を並べ、言外に再評価を促すなんてことができるとは。自分はこんなリスペクトの示し方を見たことがなく、共演相手のことをここまで理解したうえで対バン企画を組んだのかと唸らされるばかりだった。『悪魔が来たりてヘヴィメタる』のタイトルをもじったイベントにこのような文脈表現が付与されたのは、聖飢魔IIの歴史においても、メタルの歴史全体をみても、本当に意義深いことだったと思う。