現役バリバリなマルコス・ヴァーリの豊かな音楽ライブラリー
1964年、21歳を迎える年、ボサノヴァのシンガーソングライターとしてファーストアルバム『Samba Demais』を発表したマルコス・ヴァーリは、音楽に加えスポーツも万能で、プロ並みのサーファーでもあった。そんな〈リオの若大将〉は翌年、ヒット曲“Summer Samba (Samba De Verão)”を含むセカンドアルバム『O Compositor E O Cantor(シンガー・ソングライター)』を発表した後に渡米。帰国後のアルバム『Viola Enluarada』ではボサノヴァを卒業、デビューから間もないミルトン・ナシメントと共作・共演し、軍事独裁政権に支配されたブラジルの人々の思いを代弁する社会派の曲も歌った。
その後、ほぼ年に1枚のペースで新作を発表していった。USAポップの要素も反映した『Mustang Côr De Sangue』。人気曲“Os Grilos”を含む『Marcos Valle (1970)』。黒人讃歌からアントニオ・カルロス・ジョビンに捧げたボサノヴァ曲まで多彩な『Garra』。ロックトリオのオ・テルソ(ドラムスはヴィニシウス・カントゥアリア)と組んだ『Vento Sul』。サイケからプログレまで交錯する『Marcos Valle (1974)』。それぞれ異なる方向性のアルバムで、マルコスの音楽ライブラリーの豊かさに陶然とさせられる。リズムコンシャスな作風や演奏、とくにブラジル北東部のリズムの生かし方は一級品だ。
マルコス・ヴァーリは今も現役バリバリ。最近では、孫世代のアナ・フランゴ・エレトリコからラブコールを受けて共演した。
衰えと無縁なカエターノ・ヴェローゾの傑作群
昨年8月、83歳を迎えたカエターノ・ヴェローゾの歌声と行動力は衰えと無縁。若い聴衆が集まるフェスティバルに積極的に出演する一方、反民主主義の憲法改正案に反対する音楽家たち(オールスターズ!)の集会を組織するなど、今も時代の先端に立っている。
70年代を代表する3タイトル、まず『Jóia』(1975年)。間を生かし言葉の数を選び抜いた、シンプルな曲と静かなサウンドで、父になったカエターノの柔和な表情もうかがえる。ビートルズの“Help!”のカバーも聴ける。6分半を越す壮大な抒情詩“Terra(地球)”で始まる『Muito (Dentro Da Estrela Azulada)』(1978年)はレギュラーグループ、オウトラ・バンダ・ダ・テーハ結成第一作。カエターノの全アルバム中、最も内面的な広がりを感じさせる。『Cinema Transcendental』(1979年)はバイーアでの生活感に根ざした曲を軸に名曲、ヒット曲が満載。日本のティン・パン・アレーやシュガー・ベイブに通じる時代性もある。
80年代からは、まず『Cores, Nomes』(1982年)。映像性が強いカエターノのアルバムの中で、最も絵画性が強いアルバムだ。当時10歳の息子モレーノと共作したバイーアのアフロ音楽文化団体、イレ・アイェ讃歌、作者ジャヴァンを迎えてデュエットした“Sina”など、様々な楽器と歌声がパレットの上で溶け合い、穏やかな色彩を醸し出す。一方、『Caetano(フェラ・フェリーダ)』(1987年)は、究極の〈聴くニューシネマ〉。90年代の超名盤『Livro』や最新作『Meu Coco』へと連なる、アフロバイーアの音楽と同時代ポップを融合した傑作。“Eu Sou Neguinha?”には〈アート・リンゼイに捧ぐ〉との副題があるが、1987年11月、僕がリオで聴いて完全に心を持ってかれた本作のリリースライブで、カエターノはアートのアンビシャス・ラヴァーズの、当時は発売前だった曲“Copy Me”も歌った。後日、アートが教えてくれた裏話。このアルバムの、グラウベル・ホーシャ(ブラジルのニューシネマの巨匠)の映画のスチールを思わせるジャケット写真の裏側に写っていたのが、アートがカエターノに送った“Copy Me”のデモテープだった。
歌詞、サウンドからジャケットのヴィジュアル面まで含め、カエターノの音楽には様々な謎かけがある。CDを繰り返し何度も聴き、ジャケットを見返しているうちに突然、新たな発見と出会えることがあり、それがカエターノの音楽の深い魅力にもつながっている。
RELEASE INFORMATION
タワレコ名盤チョイス! ~タワレコ限定再プレス~
追悼ロー・ボルジェス編&ボサノヴァ名盤!












