R&B/ヒップホップとジャズを自在に行き来。現音楽界の、顔役ドラマーの輝ける今。
悠々と周りにあるものを肯定し、それとかかわることを楽しんでいる。2025年12月にモントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン出演のために来日したドラマーのネイト・スミスはああこの人は人生を楽しんでいるなと接する者に感じさせるポジティヴな御仁だった。彼はなだたる現代ジャズ好手の表現を助けるとともに、これまでR&B/ヒップホップとジャズを自在に行き来するようなリーダー作を思うままリリースしている。そこには、独自のスケール感とうれしいお楽しみ感が満載。そして、ポップ・ミュージック側とジャズ側にいる達人たちを自在に自己制作トラックにフィーチャーした新作『LIVE-ACTION』もまた彼ならではのマルチ感を鮮やかに押し出した仕上がりだ。そんなネイト・スミスが抱えるバックグラウンドを問うてみた。
なお、『LIVE-ACTION』は、2026年2月発表のグラミー賞で〈最優秀オルタナティブ・ジャズ・アルバム賞〉と〈最優秀インストゥルメンタル/ボーカル・アレンジメント賞(セージュをフィーチャーした同作収録の“BIG FISH”が対象)〉、2部門の大賞を見事射止めた。

――ぼくはロックやファンクの大ファンで、年を取るとともにジャズやワールド・ビートの仕事が増えて今はジャズをメインに書いているんですが、ジャズはいかにポップミュージックと並走するかということをずっと音楽を聞く際のテーマに置いているんです。あなたはそれを体現しているような人で、今日お会いできて光栄です。
「そうかあ。そりゃ、いいね」
――いろんなキャリアを重ねていて、これはターニング・ポイントだなって思えるのはどういうことでしょう。
「最初は、1996年にベティ・カーターと会ったこと。ベティ・カーターは素晴らしいジャズ歌手(カサンドラ・ウィルソンの根にある人でもある)で、ジャズ・アヘッドというプログラムをやっていた。そこでは選ばれた世界中の音楽家たちと一緒にオリジナルの音楽を作り、そして一緒に実演をすることができた。あの年齢(彼は20代前半だった)で素晴らしい音楽家とやりとりし、大きな影響を受けたよね。2番目のターニング・ポイントは、(ベーシストの)デイヴ・ホランドと出会ったこと。彼は僕がプロフェッショナルのレヴェルで働いた、初めてのバンド・リーダーだった。彼とは10年間一緒にやった」
――あなたは、大学院も出ていますよね。
「大学ではコミュニケーションを専攻した。音楽だってコミュニケーションあればこそだし、音楽について学ぶということはコミュニケーションについての学習にほかならない。映画の流れについても学び、やはりコミュニケーションの重要性を感じた。その流れで、作曲とか宣伝とかも学んだわけだね」
――そもそも、なぜドラムが一番のメイン楽器になったのでしょう。
「兄がドラマーだったので、彼を見て、まずは真似た。それがきっかけだね。父はグローヴァー・ワシントンJr.、デイヴィビッド・サンボーン、ボブ・ジェイムズとかを聞いていたけど、やはりそこではイケてるドラマーが演奏していた。その大好きなドラマーたちに近づきたいと思った」
――あなたのバイオグラフィを見ると、マイケル・ジャクソンの“ヘヴン・キャン・ウェイト”(2001年作『インヴィンシブル』に収録)の曲作りに関わっていて、それはあなたのキャリアにおいて初期の大きな出来事になると思います。どういう感じでマイケルのレコーディングに関与したのですか。
「あれは、たまたまだった。短く話すと、僕がキーボードやドラム・プログラミングで作ったテープを友達に送ったら、それが他の知人に回り、結果的にレジェンダリーなR&Bプロデューサーであるテディ・ライリーの手元に届いたようなんだ。テディ・ライリーはマイケル・ジャクソンの『インヴィンシブル』の制作もしたんだけど、作った3年後にマイケル・ジャクソンに歌わせてもいいかと連絡があった。マイケル・ジャクソンは大好きだったし、もちろんOKだよね」
――リアルなジャズ・ドラマーを目指すとともに、もう昔からプログラミングや多重録音もしていたわけですか?
「そうなんだ。今はたくさんやってないけど、一時期はビート作ったり、トラック作ったり、曲を作ったりと、マジでいろいろやっていた時期があった」
――そうですか。デイヴ・ホランドのバンドに入ったりクリス・ポッターのバンドであるアンダーグラウンドに入ったり、一方リーダー作では人力ビート・マシン的な単独演奏作品やブリタニー・ハワードらシンガーも起用した総花的プロジェクトであるキンフォークのアルバム群も出していたりもします。
「そうだね。デイヴとの活動はプロとしての出発点だった。彼やクリスとできたのは大きな学びだったと言うしかない。彼らは多くのプロジェクトを持っており、それらすべてに対しての仕事の意識が高かった。彼らと一緒にツアーをしていると、僕も作曲やサウンドやトラック作りをしなきゃと思わずにいられなかった」
――そういえば、ジョン・ゾーンのドキュメンタリー映画(「Zorn (2010-2016)」)にもあなたが出てきて、ぼくはびっくりしました。あのとき、一緒に演奏していた人たちがあなたのドラミングを褒めていましたよね。
「(笑)ジョンは素晴らしい人で、たくさんのアイデアがどれも豊かだった。まるで、それが噴水のようだった」
――一方では、ウルフペックのコリー・ウォンたちのザ・フィアレス・フライヤーズにもあなたは参加しています。彼とはどんな感じで付き合いが始まったんですか?
「コーリー・ウォンがEメールを突然くれたんだ。僕のヴィデオを見て、あなたのキック(・ドラム)とスネアとハイ・ハットを僕達のバンドと組み合わせていと言ってきた」
――また、タイニー・デスク・コンサートでは日本人シンガー・ソングライターのさかいゆうとも共演しています。その幅広さや許容性には感心します。
「サカイは〈TBN〉トリオ(ピアノの大林武司とダブル・ベースのベン・ウィリアムズとのトリオ)で日本に来たときに話を始めた。彼が僕たちのショウに来たんだ。で、サカイの音楽を聞いたら、魂深いところから歌っていて、好きになったんだ」
――そんな感じであなたはいろんなミュージシャンをお手合わせしていますが、この人とは一緒にやってもいいかなという、基準のようなものはあったりするのでしょうか。
「いい質問だ。僕がやりたいと思う人は、その表現が誠実かどうかだね。たとえば、僕が一緒にやったブリトニー・ハワードはとても真実な音楽を書いていた。僕は音楽を作る際、誠実なものを作りたいんだ。さらには、相手が大きな視点を持っているということも僕にとっては重要だ。あと、僕の叩き方が大好きで、それを求めてくる人とやはりやりたい」
――あなたの叩いいてる姿を見て、心躍らない人なんていないと思いますよ。
「そうなら、本当にうれしいことだね。僕は自分のスタイルを追い求めている。それを必要とする人がいるのは幸せだな」
――さて、新作『LIVE-ACTION』についてお聞きします。いろいろな人と絡んでいいて、あなたの多彩な歩みや興味を凝縮したような内容です。データーの交換もしていると思いますが、かなりアナログなテイストを求めたんですよね。
「うん。アナログで録ったのはノスタルジアや温かさを求めようとしたからだ。昔のカセット・テープや2チャンネルのテープで録音したような暖かい、ある種夢のような手触りや親密な感覚があるものにしたかった」
――マイケル・リーグとリオネル・ルエケとで作っている“MAGIC DANCE”はリズム・マシーンのような音から始まりますが、それはスライ・ストーンを思い出させます。
「ああ、スライの“イン・タイム”(1973年『フレッシュ』に収録)だよね! あの曲が、僕が最初に聞いたドラム・マシーンの音かもしれないね。“MAGIC DANCE”は1960年代から作られているマエストロのリズム・キングというドラム・マシンを使っている。それって1ループしか作れないんだけど、それを複数混ぜたものをベースにしているよ」
――今回のモントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパンで、あなたはマイケル・リーグとジェイムズ・フランシーズとのトリオで出演しましたが、鍵盤奏者のフランシーズはあなたも叩いたパット・メセニーのサード・アイで知り合ったのですか。
「その前からジェイムズを知ってたよ。最初に会ったのは、クリス・ポッターと一緒にやっていた2013年か2014年かな。すぐに、すごい才能を持つのは分かった」
――今回、同じフェスに出たハービー・ハンコックのバンドには、あなたと旧知のリオネル・ルエケとクリス・ポッターがメンバーとして入っています。いかにあなたが優れた人とやっているかという証明になっていると思います。
「それは、幸運な事実だ。実は、彼らが来ているのを知らなかった。ここで会えてうれしかったね」
――シンガーのジャーメイン・ホルムズ、特殊ギタリストのチャーリー・ハンター、ブッチャー・ブラウンのキーボード奏者であるDJハリソンとの“JUKE JOINT”は、ディアンジェロへのオマージュですよね。
「ディアンジェロは同じ出身、ヴァージニア州なんだ。僕は今リッチモンドに住んでいるんだけど、ディアンジェロはリッチモンドの生まれで、まさに伝説の人。そして、ジャーメインは彼の『ブラック・メサイア』(2015年)で歌っていて、ディアンジェロとは深い絆の持ち主なんだ(15年のディアンジェロの来日公演にも同行している)。DJハリソンもリッチモンドに住んでいるんだよ」
――なぜ今、リッチモンドに住んでいるんでしょう? ツアーに出ることも多いので、落ち着けるところに住んだほうがいいという判断でしょうか。
「そう。特に年を取ってくると、そういうことが大切になるよね。落ち着きと心の平静が肝心。ニューヨークには19年住んだ。9.11の1週間前にニューヨークに引っ越し、パンデミックに入り地元に戻った」
――『LIVE-ACTION』には多様な人との様々なアイデアが入っています。やっぱりパンデミックで時間があったというのは反映されているんですよね。
「そうだよね。Covid-19の際、僕はネットでいろんな人を発見したんだ。今回参加してもらったキーファーもセイジュもジョシュ・ジョンソンもそうなんだ」
――最後の曲“SUPERMOON”にはストリングスが入っていますが、そのアレンジもしているんですか。
「うん。ストリングスのアレンジもできる。参加している弦の奏者たちはリッチモンド・シンフォニーのメンバーだ」
――過去作でもそういう側面は出していましたが、『LIVE-ACTION』はドラマーだけではない作曲家/音楽デザイナー/プロデューサーとしての才能をきっちり出しているレコードだなと思います。
「だって、僕のヒーローはクインシー・ジョーンズだからね。彼のように才ある人たちを集めて活躍の場を与え、盛りだくさんのアイデアを結晶させたいんだ。あらゆる音楽に対応しながら、ね」