【’87 ふりだし】

高校の同級生だった和嶋慎治(ギター/ヴォーカル)と鈴木研一(ベース/ヴォーカル)で結成。ブラック・サバスなどのブリティッシュ・ハード・ロック(以下BHR)+大正~昭和初期の日本の怪奇幻想小説を題材にした詞世界+地元・津軽の方言/三味線の奏法から成る音楽性はすでに確立していた。和嶋いわく「当時はいわゆるジャパメタが主流で異和感を覚えてました。BHRにはワウワウ(エフェクター)だろって楽器屋に行ったら売ってなかった(笑)」。

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【’89】

★「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」に出演。同番組が主宰するレーベルより初音源『人間椅子』をリリース

 

【’90】

★ファースト・フル・アルバム『人間失格』(徳間ジャパン)でメジャー・デビュー

 

【’91】

 

【’92】

★3作目『黄金の夜明け』(徳間ジャパン)をもって初代ドラマーの上館徳芳が脱退

 

【’93】

★4作目『羅生門』(徳間ジャパン)より後藤マスヒロがサポート・ドラマーに

 

【’94】

 

【’95】

人間椅子 『踊る一寸法師』 フライハイト(1995)

〈イカ天〉終了とほぼ同時期に起こったグランジ・ブームのなかでブラック・サバスの再評価といったトピックはあったものの、バンドは徐々に失速していく。「バンドやってる楽しさが苦しさより勝ってたから、止めようとは思わなかった。当時はソロのない、僕らにとっては不遇の時代(苦笑)。でも、だからこそ全曲ソロを入れようと思いましたけどね。〈2番が終わったらソロだろ!〉って(笑)」(和嶋)。「なんで続けられたかっていうと、和嶋君の書く曲が良かったから。俺は世の中で一番の和嶋君のファンだからね」(鈴木)。

 

【’96】

★6作目『無限の住人』(ポニーキャニオン)のツアー前に土屋巌が脱退し、後藤マスヒロが正式加入

 

【’98】

 

【’99】

 

【’00】

 

【’01】

 

【’02】

 

【’03】

★12月に東京・渋谷O-Westで開催されたライヴを最後に後藤が脱退

 

【’04】

 

【’06】

 

人間椅子 『瘋痴狂』 徳間ジャパン(2006)

ドミンゴスなどでドラムを担当していたナカジマノブ(ドラムス/ヴォーカル)が加入し、現体制に。「僕が入ることによって、人間椅子のコアな部分、信念のある楽曲と世界観を絶対壊さないようにしようと心掛けてました。変わった点は……ライヴでお客さんと一体感を得ようみたいな部分は、前より出たんじゃないかな?」(ナカジマ)。「オープンハートの姿勢をノブ君から学びましたよ。それで5~6年ぐらい前かな? 若いお客さんが増え出したんですよ。ライヴハウスの人から〈ちょっとおかしい〉って言われるほど(笑)」(和嶋)。

 

【’07】

 

【’09】

 

 

【’10】

★和嶋慎治、白井良明、武川雅寛、鈴木博文から成るバンド、弾き語り四人衆が初作『弾き語り四人衆~朧月夜編~大音源』(メトロトロン)をリリース

 

★ブルーハーツのトリビュート盤『THE BLUE HEARTS “20th Anniversary” TRIBUTE』(徳間ジャパン)に水戸華之介&人間椅子名義で参加

 

【’11】

★DVD「みうらじゅんのマイブームクッキング2 vol.2」(アニプレックス)。みうらじゅんのTV番組で参鶏湯をごちそうになる

 

 

【’12】

★SILLYTHINGの『cross wizard』(GARURU)に和嶋が参加

 

★犬神サアカス團の『恐山』(キンメダイ)に鈴木が参加

 

★ももいろクローバーZ“サラバ、愛しき悲しみたちよ”(EVIL LINE)のカップリング曲に和嶋が参加

 

【’13】

★水戸華之介&GOLDEN FELLOWSの『不死鳥Rec.』(レヴェイユ)に和嶋が参加

 

★〈Ozzfest〉に出演。「〈Ozzfest〉はひとつの転機でしたよ。ホントにブラック・サバスみたいなのがやりたいと思ってバンド始めたからさ、夢が叶ったっていうのがあったですよ。それからまた流れがグッと良くなりまして、その年には『萬燈籠』(徳間ジャパン)も出して」(和嶋)

 

【’14】

Photo by ほりたよしか

★人間椅子の2014年作『無頼豊饒』(徳間ジャパン)