COLOUR ME POP
[緊急ワイド]ホット・ガールズ2014
さまざまなフィールドからポップな女性アーティストたちが大集結! 
彼女たちがいるから、冬の寒さも気にしてなんかいられないっ!!


 

TINASHE
センシュアルで野蛮、エッジーにして可憐、新しいプリンセスの名は……

私は実験がしたい

 「誰もが予想するものじゃないわ。いろんなタイプの音楽から受けた影響が、メルティング・ポットの中でひとつになっている。私は実験がしたいの。ジャンルの境界線を壊してしまいたいのよ」。

 21歳のシンガー/ソングライター、そして優れたダンサーでもあるティナーシェはそのように自身のヴィジョンを説明する。いくつかのミックステープによってオンラインで名を広め、雰囲気のある歌唱と独創的なクリエイションを世に認めさせてきた彼女は、RCAからのファースト・アルバム『Aquarius』で自身の何たるかを改めて世に問おうとしているのだ。

 本人の語るところの〈メルティング・ポット〉には何が投げ込まれてきたのか。それは実際にティナーシェの音楽を耳にすれば、断片と断片の溶け合ったサウンドや歌唱のスタイルからいくつかの固有名詞を挙げることも可能だろう。とはいえ、93年にLAで生まれた彼女は、子供の頃から想像以上に多様な音楽を吸収してきたようだ。彼女の父親はジンバブエ出身で、母親は北欧系。特に民族のカルチャーを受け継ぐ父親の影響は、音楽や芸術の側面で常日頃から彼女の生活に浸透していたのだという。

 「父の家族はジンバブエ出身で、音楽的な文化が凄いの。物心ついたときから音楽がずっと一緒だったわ。DNAの一部よ。とにかく音楽のすべてが好きでたまらなかった。歌えるようになった途端、音楽活動をすることが私の一番大きな目標になったわ!」。

 そんな彼女は、年齢が一桁の頃からモデルの仕事を開始。演技に針路を転換すると、2000年に「ジェニーのいた日々」で初めて映画に出演。その後はTVシリーズにも出演するなど、女優としての道を着実に進んでいく。それでも〈一番大きな目標〉はやはり音楽だったのだろう。2007年にスタナーズなるガールズ・グループに加入したティナーシェは憧れていた道に没入していった。グループは2009年にコロムビアと契約し、“Bubblegum”でデビュー。コンスタントに楽曲リリ−スを重ねつつジャスティン・ビーバーのツアーでオープニングを務めたこともあったようだから、活動はそこそこ順調だったに違いない。しかしながら、すでに曲も書きはじめていたティナーシェは2011年のグループ解散を以て独り立ちを決めている。

スタナーズの2009年のシングル“Bubblegum”

「ソロとしてのキャリアを追求するため、できる限りのことをしようと決めたの。レコーディングやツアーのやり方はグループの活動を通して身に付いたわ。でも今度は自分自身を表現する時だった。ずっとクリエイトしたいと思っていたアートは〈私自身に忠実なもの〉。個人としてもアーティストとしてもね。それを掴み取るために、当時自分だけのスタジオ機器とカメラを購入したの。そして楽曲制作とレコーディングをして、曲や映像をオンラインでリリースしはじめたのよ」。

ティナーシェの2012年のミックステープ『In Case We Die』収録曲“Boss”