タヒチ80が2000年にリリースしたファースト・アルバムにして、ロック/ポップス史に燦然と輝く名盤『Puzzle』の発表15周年を記念したデラックス・エディションがリリースされた。〈♪Can you feel my heartbeat when I’m close to you?〉と歌う小粋なサビに清涼感たっぷりのメロディー、グザヴィエ・ボワイエの爽やかなヴォーカルによって今日もスタンダード・ナンバーとして愛される“Heartbeat”を筆頭に、時代の空気とジャストフィットした同作の日本盤は、フランス出身バンドの初作としては異例の20万枚を超えるベストセラーとなった。
今回の『Puzzle 15th Anniversary Deluxe Edition』は新規リマスタリングを施した本編に加えて、当時のデモ音源7曲と日本未発売/未発表音源13曲、メンバー自身が当時のレコーディングを振り返る特製ブックレット型ファンジンも収録の、〈完全版〉と呼ぶに相応しい2枚組仕様となっている。さらに、世界初となる『Puzzle』完全再現ライヴ・ツアーも来年1月に行われ、2000年にもタヒチ80が日本単独公演のデビューを飾った1月19日(火)の東京・渋谷CLUB QUATTROはすでにソールド・アウト。さらに1月17日(日)には神奈川・横浜ベイホール、1月18日(月)に大阪・梅田CLUB QUATTROで公演が予定されている。
その後の活躍ぶりを振り返れば、タヒチ80が単なる一発屋でなかったのは言うまでもない。むしろ当時はヒット作として消費された向きもある『Puzzle』は、月日を経過したからこそ気付く奥深さや、若い世代も振り向きそうな音楽的価値を秘めていると言えそうだ。そこでMikikiでは、タヒチへの思い入れが人一倍強い松田“CHABE”岳二とKeishi Tanakaの両氏による対談を企画。『Puzzle』との思い出やエピソード、作品的魅力やその後の歩みについて語ってもらった。 *小熊俊哉(Mikiki編集部)
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TAHITI 80 『Puzzle 15th Anniversary Deluxe Edition』 ビクター(2015)
タヒチ80との出会いとインパクトについて
――お2人で一緒にタヒチのライヴを観たこともあるそうですね。
Keishi Tanaka「2013年の〈フジロック〉の時は一緒でしたね」
松田“CHABE”岳二「そうだったね(笑)。2009年の〈サマソニ〉の時は、直前に雷雨で(出演)中止になったりもして」
――あの時は大荒れでしたもんね。
チャーベ「その時に僕は楽屋にいて、グザヴィエに〈どう思う、これ中止になるかな?〉ってすごく訊かれました。(タヒチの前に出演した)ジャック・ペニャーテまでは天気も持ちこたえてたんですけど、もう避難するしかないレヴェルの雷雨になってきて。〈これはしょうがないよ〉って慰めた記憶があります」
――その翌年に〈サマソニ〉に振替出演して、その次に来日したのが〈フジロック〉でした。それこそチャーベさんは、タヒチの初来日の時に共演もされて。
チャーベ「そうなんです。ゲストというか、フロントアクトみたいな感じではなくて、僕が彼らにリミックスをお願いして、先にそれがリリースされていたので、〈一緒に演奏しよう〉と向こうが提案してくれて」
――タヒチが2曲リミックスを提供した、CUBISMO GRAFICO『St.Nicolas』(2000年)のことですよね。
チャーベ「でも一緒にやるの、すごくイヤだったんですよ(笑)。チケットも即完売で、タヒチはめちゃくちゃ人気があるのもわかっていたし、洋楽のファンは怖いじゃないですか(笑)。そこに俺が出て行って何やるの?みたいな。それでアンコールの時に出て行って、彼らが紹介してくれて。“Fairytale Of Escape”という曲をタヒチ・ヴァージョンで一緒にやりました」
――その時に変わった楽器を使っていたら、グサヴィエに〈なんだそれ?〉と訊かれたとか。
チャーベ「そうそう。手ぶらで行くのもアレだし、かといって当時はギターもまだそんなに弾けなかったので、じゃあオムニコードでやるかと思って。“Fairytale Of Escape”のオリジナルは、『Tout!』(99年)というサンプリングだけで作ったアルバムの曲なんです。だからサンプリングの上にアカペラを乗せていて、さらにタヒチのリミックスでは、たぶんペドロ(・ルスンド、タヒチ80のベーシスト)が組んだコード進行をそのアカペラに当てていた。そしてライヴでは、そのコード進行を僕が(オムニコードで)コピーするという……(笑)」
Keishi「へー。僕はその頃まだ上京前ですね。実はタヒチのライヴはなかなか行けなかったんです。それこそ最初にちゃんと観られると思ったのが(中止になった)〈サマソニ〉の時で」
――ということは〈フジロック〉が初体験?
Keishi「そうですね。ただ『Puzzle』は、2000年にリアルタイムで聴いてました。自分はその時は高校生で、(地元の)北海道で日本のバンドをコピーしてた頃だったので、タヒチはとても新鮮に感じました。オシャレだし、アイデアがすごく詰まっていて。ポップな曲調なのに、ちょっと歪んだベースが入っているところとか。あれシンセ・ベースっぽい音色ですけど、生楽器ですよね。そういうエフェクターの使い方もおもしろかったし、衝撃的でしたね」
チャーベ「〈なんだこれ~!〉って思うよね、あれは(笑)」
Keishi「上京するのも決まって、好奇心旺盛だった時期でしたしね。その後にフェニックスなんかも出てきて」
――『Puzzle』が出たのは、ちょうどダフト・パンクやエールなど、フランスの新しい世代が登場しだした頃で。
Keishi「それ以前のバンドとは、違う音を出しているように思ったんですよね」
チャーベ「ダフト・パンクやエールには、フェニックスと共振するセンスが見えるんですけど、タヒチの場合は出身がパリではない(パリ近郊のルーアンで結成された)というのも大きかった気がします。あとはなんだろう、〈バンドである意識〉がすごくあった気がしますね。いなたさ、可愛さがあるというか。もちろんいい意味で」
――当時は英米以外から出てきたギター・ポップが流行ってましたよね。マイルスにデン・バロンみたいな。その流れでタヒチも聴いていた記憶があります。
チャーベ「うんうん。英語圏じゃないけど、英語で歌ってるバンドですよね。それこそ、仲(真史)※くんみたいな厳しい洋楽リスナーでありバイヤーである人が、すごく気に入っていたバンドなので。本当に衝撃的だったんだろうなと。小山田(圭吾)くんのコンピレーションにも収録されて」
※エスカレーター・レコーズの主宰。現在は原宿のレコードショップ兼レーベルBIG LOVEの店主
――『Puzzle』に先駆けて、トラットリアからリリースされた『ラマ・ランチ・コンピレーション』に“Heartbeat”のデモ・ヴァージョンが収録されて話題になったんですよね。
チャーベ「その後に(コーネリアスで)リミックスもしてるもんね」
Keishi「そうそう。僕もちょうどその頃にエスカレーター・レコーズを意識するようになりました」
――Keishiさんは進んだ高校生だったんですね。
Keishi「いや、全然ですよ。いまの時代は本当に情報が早いじゃないですか」
チャーベ「当時はまだインターネット以前だもんね。せいぜい同時期くらいかな」
――まだインターネットで音楽を聴く習慣はなかったですよね。そういう時期にこういう音楽が出てきたのも、改めてすごいのかなと。英米からは出てこない感じ。
Keishi「北欧のロック/ポップスと少し近いかもしれないですね」
チャーベ「言われてみれば、最初は(先に日本でブレイクを果たしていた)カーディガンズに近いイメージだったかも。〈物凄く良いファースト・アルバムが出てきちゃった、ヤバイなー〉みたいな」
Keishi「改めて『Puzzle』を聴いてみて、とにかく曲の力がすごいですよね。今回収録されたデモ音源を聴いて再確認しました。ちょっとソフト・ロックみたいな感じもあるし、バンドで演奏する前の時点からすでに良くって」
チャーベ「ちょっとソウルぽい雰囲気もあったりね。ペドロはヒップホップも好きで、それが反映されてるようにも聴こえるし。セカンド(2002年作『Wallpaper For The Soul』)の曲は、ヒップホップのDJも7インチをかけてたりして。そういうところもおもしろい」
――『Puzzle』がリリースされたのは、ちょうど渋谷系がピークを迎えてる時期でしたよね。それがまたしっくり来るタイミングだったのかなと。
チャーベ「そうですよね。99年~2000年は(クラブの)現場感覚としては、ビッグ・ビートが吹き荒れた後にひと段落して、そこからオシャレなハウスなどに移行しようとしている時期で。それこそフェニックスやアヴァランチーズなんかが出てきて、フレンチ・ハウスも流行り出して。その合間のタイミングに『Puzzle』が盛り上がって、僕らも(タヒチの曲を)とにかくかけました。京都のメトロで500人くらいが踊ってましたもんね」
――DJブースとの相性も良かったわけですね。
チャーベ「タヒチと最初に出会ったのは、京都にあったユリナというレコード屋さんですね。SECOND ROYALの先駆けとも言えるPAT detectiveの子たちと遊んでいた時に、〈これ3曲入りなんだけど、超良かったよ〉と薦められたから、 “I.S.A.A.C”のCDシングルを買って聴いてみて。“Heartbeat”もそこに入ってたんですよ。それでタヒチにリミックスを頼もうと思ったのが最初でした」