静寂の画家ハンマースホイの「静けさ」と「狂おしさ」をめぐるドラマ

 ヴィルヘルム・ハンマースホイは、19世紀末から20世紀初頭を生きたデンマークの画家だ。生前に画家としての名声を得ることはなかった。世紀末をまたいで10年ほど暮らしたストランゲーゼ30番地のアパートを題材にしたものが多い。最低限の家具しか置かれていない、簡素で整ったくすんだグレーの部屋は、ときに無人で、人がいたとしても多くの場合、画家に背を向けている。服装はほとんどが黒。室内はひっそりと静かだ。「静寂の画家」と呼ばれる所以だ。

 ピアニストのニコライ・ヘスはデンマーク国立美術館の依頼を受けて、ニューヨークで開催されたハンマースホイの展覧会においてソロ・ピアノコンサートを開催した。本作は、そのコンサートを下敷きとして制作された。「ハンマースホイの印象」というサブタイトルが趣旨をありのままに語っている。

NIKOLAJ HESS FEAT.MARILYN MAZUR Rhapsody Cloud(2016)

 ヘスがハンマースホイの印象を綴るにあたって用意したのは、オリジナル曲のほか、ボブ・ディランジョージ・フラゴスデューク・エリントンビル・フリゼールチャーリー・チャップリンらの曲だ。今作のために書き下ろしたオリジナル曲に「草地」「湿地」「雲」といった題が与えられているのを見ると、ヘスは必ずしも静寂に満ちた室内風景画だけをモチーフにしたのではないことがわかる。画家が描いた、水辺や、平原の木立などの上に大きく広がる鈍色の空は、ヘスの演奏を通してときに激しく動き出す。

 自身の弟をドラムに据えた勝手知ったるピアノ・トリオに、マリリン・マズールがパーカッションとして参加している。意外にもリズムを強調する編成だが、マズールが与えるのは色彩ではなく、風景のなかに隠された律動のようなものだ。木の葉がかすれたり、服が擦れたり、本のページをめくったりするような小さな動きが、リズムとして景色のなかで息づく。そのリズムを、ヘスのピアノが、ドラマチックな叙情へと拡張していく。

 抑制の効いたミニマルな画面のなかに、ヘスは、狂おしい何かを感じ取っているのかもしれない。室内にあっては、女性の後ろ姿ばかりを見つめ続けた画家は何を描こうとしたのか。

 ハンマースホイの作品のなかには、女性のうなじだけを捉えた「ポートレイト」も見られる。そこに言葉は介在しない。けれども静寂の一語では語りきることのできない、さしせまった雄弁さがある。背中は、ときに激しく何かを伝える。ヘスが描こうとしたのは、それが掻き立てる言い知れぬ情感のようなものなのだろう。一見そぐわないようにも見える「ラプソディ(狂詩曲)」という語の真意も、その辺にあるのかもしれない。

 


LIVE INFORMATION
PLAYS RHAPSODY 2016

○3/4(金)19:00開演 京都NAMU HALL
○3/5(土)17:00開演 神戸中華会館
○3/7(月)20:00開演 新宿ピットイン
○3/8(火)19:45開演 吉祥寺サムタイム
出演:ニコライ・ヘス(p)イェンス・スコウ・オルセン(b)池長一美(ds)
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