人と人、音と音、そして、時と時を紡ぐ音楽の変遷を描く
幸田浩子ソプラノリサイタル
紡ぐ、音、時、人 – ~ギタリスト村治佳織を迎えて~

 秋の気配。会場を包んだ、あの温かな喝采の感興から、もう3ヶ月が過ぎた。

 梅雨の終わりの6月25日に、東京・四谷の紀尾井ホールで行なわれた〈billboard classics 幸田浩子ソプラノリサイタル〉は、人気・実力ともに現在の日本オペラ界を代表する彼女の歌声を、ソロでたっぷり堪能する貴重な機会。しかもこの日は、これまた日本を代表する人気ギタリストである村治佳織をゲストに迎えての公演とあって入場券は完売。プラチナ・チケットを手に入れることに成功した幸運な800人の聴衆の期待が、開演前から客席に充満していた。

 前半はバロック、後半は映画音楽というプログラム構成の幕開けはモンテヴェルディの「オルフェオ」から“私は音楽”。17世紀初めにフィレンツェで〈オペラ〉が誕生してすぐの、オペラ黎明期の作品だ。ひと昔前なら、オペラ歌手のリサイタルでこの手のバロック・オペラが歌われることはまずなかった。時代の変化と同時に幸田の探究心を大いに感じさせる。実際、バロック様式の即興的装飾音など、とりあえず憶えて歌っておけばいいというレベルではないはずだ。作曲家でもある藤満健のピアノも、単調な繰り返しに聴こえがちなリトルネッロを、巧みな音色を使い分けてオーケストラ並みの変化を引き出していた。

 ヘンデル「ジュリアス・シーザー」のアリアに続いて、お待ちかね、ギターの村治佳織が登場。この日はトークも交えてのリサイタルだったので、ここで二人の美しきミューズの出会いの〈秘話〉も明かされた。これがステージでは初共演だという二人。共通の友人であるフリーアナウンサーの住吉美紀さんを通じて出会ったのだそう。記念すべき二人の初めてのデュエットとなるJ.S.バッハ(グノー編)“アヴェ・マリア”を、たおやかに披露した。

 超高音のコロラトゥーラの技巧だけではなく、中音域のリリコの音域も豊かに美しく響くのは彼女の大きな武器だ。そしてその説得力に富んだ表現力。それらが最も効果的に発揮されていたのが、もしかしたらコンサート後半の第1曲“ムーン・リバー”(ヘンリー・マンシーニ)だったかもしれない。映画「ティファニーで朝食を」の劇中でオードリー・ヘプバーンがギターを弾きながら歌ったあの曲だ。ソプラノにとってはもしかしたら酷なぐらい低い音域で歌われたこの歌からも、その魅力的な旋律をやすやすとすくい取って聴かせてくれる。村治佳織のギター、幸田浩子の歌と、オードリー役を二人で分け合った格好。この歌にはやっぱり美女が似合う。

 名曲“星に願いを”は、藤満健のアレンジで。「今のわたしならではの編曲になっています」と前置きして始まった演奏には、このリサイタルの直後に彼女が出演するオペラ「ばらの騎士」(R.シュトラウス)のモティーフが散りばめられていた。おそらく他の機会には使えないだろうから、この日かぎりの贅沢なアレンジだ。歌い終わった彼女が「おわかりになりました?」とたずねると客席から大きな拍手。みんななかなかのオペラ通なのだ。

 プログラムの最後は「サウンド・オブ・ミュージック」メドレー。2年前に取材した際に、「ごめんなさい。まだほやほやなので……」と言って言葉を詰まらせた彼女をふいに思い出した。CD『スマイル ─母を想う─』のリリース時のインタヴュー。その録音直前にお母さまが亡くなったということだった。その母上が大好きだったのが「サウンド・オブ・ミュージック」。病気が見つかったあとに一緒に出かけたザルツブルクのロケ地めぐりツアーのことや、最後に聴いてもらったステージも、偶然にもこの曲を歌った映画音楽コンサートだったことなどを目に涙をためて話してくれた。彼女にとって特別な意味を持つ音楽になっているわけだ。でもこの日は涙はない。村治の弾く“エーデルワイス”など交えながら10数分のメドレーをたっぷり聴かせると、客席は熱気をはらんだ大きな喝采に包まれた。

 音楽的なヴァリエーションが豊かで、充実したひとときを心ゆくまで味わった日曜日の午後。しかも、2017年上半期を締めくくるタイミングで開かれたこのリサイタルには、今年後半の幸田浩子の活躍を予告する要素も巧みに組み込まれていた。

 まずは先述したオペラ「ばらの騎士」。7月下旬の東京二期会公演に、ゾフィー役で出演した。同役はこれが9年ぶり3度目。得意役のひとつだ。結婚に憧れる無垢な少女から、決然と愛を貫く大人の女性への成長を、可憐な歌唱で巧みに描いていた。その〈少女らしさ〉と〈女らしさ〉はたぶん、まさに彼女自身の魅力の両面だと思う。10月28日に愛知県芸術劇場で再演される同じプロダクションにも出演する。

 そして、リサイタル前半で、特にモンテヴェルディで聴かせた清冽なバロック歌唱を、今度はペルゴレージのオペラ「オリンピーアデ」で聴くことができる(11月3、5日・紀尾井ホール)。2年前に日本初演されたプロダクションの待望の再演。幸田の演じるアリステアは、古代オリンピック競技で優勝者に与えられる〈賞品〉にされる役どころ。父王役の吉田浩之以下、日本オペラ界のスターが揃ったオールスター・キャストを、粟国淳のスタイリッシュな演出をつけたセミ・ステージ形式で。前回カットした3曲のアリアを復活し、2部構成を全3幕に改めての上演となる。

 さらには、この日と同じ藤満健がピアノと編曲で参加した新譜CD『優歌~そばにいるうた、よりそううた』が11月22日にリリースされる。ユーミン、中島みゆきからドリカム、小田和正まで、懐かしいJ-POPの名曲をカバー。特に歌詞(言葉)に魅せられたという優しい歌たちに彼女が新たな言霊を吹き込む。

 バロックからJ-POPまで、幅広いレパートリーで本領を発揮する幸田浩子の活躍に、これからも目が離せない。

 


主催:ビルボードジャパン
協力:株式会社二期会21
開催日時:2017年6月25日(日)14:00開演(13:30開場)
会場:紀尾井ホール
出演:幸田浩子/村治佳織/藤満 健(ピアノ)

 


演奏曲
モンテヴェルディ/オペラ「オルフェオ」より“私は音楽”
ヘンデル/オペラ「ジュリアス シーザー」より“2つの瞳よ”
ヘンデル/オペラ「ジュリアスシーザー」より“それにしてもこう、1日のうちに~わが運命を嘆こう”
J.S.バッハ/グノー/アヴェ・マリア(with 村治佳織)
J.Sバッハ/プレリュードBWV998より
J.Sバッハ/主よ人の望みの喜びよ
J.Sバッハ/チェロ組曲第1番ト長調BWV1007よりプレリュード/サラバンド/メヌエット/ジーグ(村治佳織ソロ)
J.S.バッハ/カンタータ第51番「すべての地にて歓呼して神を迎えよ」BWV 51
マンシーニ/ムーン・リバー(with 村治佳織)
E.クラプトン&ジェニングス/ティアーズ・イン・ヘヴン (村治佳織ソロ)
ハーライン/ 星に願いを
R.ロジャース(編曲:藤満健)/「サウンド・オブ・ミュージック」よりメドレー(with 村治佳織)(サウンド・オブ・ミュージック、エーデル・ワイス、私のお気に入り ほか)