〈アコースティック楽器に最適なコンサートホール〉として生まれ変わったヤマハホールの2018年のラインナップから、今回は要注目の2公演について、寺本郁夫さんに聴きどころをご紹介いただきます。

ホーカン・ハーデンベルガートランペット・リサイタル
-広がるトランペットの地平- 4月13日(金)

 ホーカン・ハーデンベルガーの今回のリサイタルは、この奏者の演奏の驚異的な多彩さを聴かせながら、現代のトランペット演奏とは何かを明らかに示す、という2つの意味で、興味の尽きないプログラムになっています。

 例えば、ハーデンベルガー自身によって初演された武満徹の“径”は、ヴィトルド・ルトスワフスキの死を悼む音楽として作曲されていますが、葬祭へのファンファーレとしてフォルテで吹き鳴らされるメロディの前に、死者への囁きのような静謐な楽想が弱音機をつけて奏でられます。この二つの部分が交互に立ち現れる立体的な展開を持つこの曲は、タイトルが示すように、この作曲家の音楽の空間的な属性を宿しています。武満はしばしば自らの音楽を、日本の回遊式庭園を辿る経験に喩えます。庭園を巡る小道沿いに、空間が大きく開けたかと思うと、ひっそりと親密な空間が現れたりする。その経緯を音楽的に体験するような構造の音楽です。録音を聴く限り、ハーデンベルガーの演奏は、この曲のそんな性格を反映したものになっています。弱音部での〈思い〉と言うより〈思索〉、〈抒情〉と言うより〈瞑想〉といった音と、強音部でのファンファーレの削ぎ取られたように峻厳な音との共存。

 この演奏のそんな特質は、このコンサートのプログラム中のもう一つのファンファーレ、オネゲルの“イントラ―ダと聴き比べてみれば、はっきりと感じられるでしょう。録音でのハーデンベルガーは、この曲の祝祭性を大きく打ち出しています。大空に向けて吹き鳴らされるような明るく晴れやかな音。弱音の部分さえも、澄んだ伸びやかな音がどこまでも広がっていきます。武満とは全く違った音の世界ですが、これもトランペットという楽器のもう一つの魅力的な側面であることは確かです。

 トランペットは、狩猟や戦闘といった野外で吹き鳴らされる楽器に起源を持ちながら、教会や祝祭の場で奏される街場のそれになっていき、現代ではコンサートで急速なパッセージを聴かせるヴィルトゥオジティを必要とされるものになっていきます。その現代トランペット演奏を切り開いたのは、フランスのモーリス・アンドレですが、スウェーデン出身のハーデンベルガーはさらにこの楽器の演奏の地平を広げていく仕事を続けています。