茜色に染まった雲が秋の深まりを感じさせるある日の放課後。ここはT大学キャンパスの外れに佇むロック史研究会、通称〈ロッ研〉の部室であります。
【今月のレポート盤】
鶴見智奈子「あら、珍しくイマドキのお洒落なメロウ・ポップを聴いているわね」
八丁光夫「ヒヒヒ、鶴見級長でも答えを間違えることがあるんやね。これは77年にエリック・タッグがリリースした『Rendez Vous』っちゅうアルバムや」
鶴見「え!? ジョーイ・ドーシックやホンネに近い聴き心地だけど、もう40年以上も前のアルバムとは驚きね。しかも初めて耳にする名前だわ。これはお茶でも飲みながらじっくり調査する必要があるわね」
八丁「この男が注目されるきっかけになったんは、ヴォーカリストとして参加したリー・リトナーの80年作『Rit』らしいわ」
鶴見「ということは、『Rendez Vous』を世に出した頃はまるで無名だったってことかしら?」
天空海音「世界的には無名ながらも、オランダではそこそこ知られていたでござる。彼はイリノイ生まれでござるが、音楽キャリアをスタートさせたのはオランダから。放浪の旅の途中で文無しになったため同地に長期滞在し、2つのご当地バンドにも在籍していたようでござるよ」
八丁「黙ってたから知らんのかと思いきや、むっちゃ詳しいですやん!」
天空「ちなみに、初のソロ作は75年の『Smilin' Memories』でござる。リトナーをはじめ、デヴィッド・フォスターやTOTOのポーカロ兄弟も参加していて、ローカル制作にしては華やかでござるな」
鶴見「すると、『Rendez Vous』が2作目ということですね? どちらのアルバムもオランダ国内だけの流通だったのでしょうか?」
天空「そのようでござる。トッド・ラングレンやホール&オーツとも仕事をしている実兄でギタリストのラリー・タッグをはじめ、故郷ダラスの演奏家たちと作っているせいか、クレジットだけ見ると本作は地味でござるが、前作よりも格段にメロウかつグルーヴのある音に仕上がっているでござる」
八丁「77年って言うたらAORが本格的に台頭してきた時期やから、その波に乗ったんですかね?」
天空「スティーヴィー・ワンダーに傾倒していたようなので、その影響を彼なりのポップスに消化したら、たまたま時代とマッチしたんじゃないかと考えられるでござるよ」
鶴見「いずれにせよ、リリース当時、オランダ以外の国の人々には聴かれていなかったのが残念ですね」
天空「それもあって、長い間、陽の目を見ることはなかったのでござるが、本作が再発見されたのは何を隠そう90年代の日本なのでござる」
八丁「フリーソウル目線でAORが再評価された時期?」
天空「そうでござる。以降、日本ではグルーヴィーなAORの傑作として評価が定着しているでござるよ」
鶴見「でも、いまの耳で聴くと〈インディーR&B〉とか〈ネオAOR/シティー・ポップ〉などのタームで括られているような音楽との親和性があるように思います」
八丁「きっと適度にソウルフルで、暑苦しくなくて、柔和なヴォーカルのせいやな。いまってサウンドは黒っぽいけど、歌声はソフトで押しの弱い感じが流行りやろ?」
鶴見「あと、活動の拠点がオランダだったからでしょうか、西海岸AORのような開放感や大らかさと言うよりは、どこかヨーロッパ的なエレガントさや繊細さを感じるサウンドですよね」
八丁「そのあたりもトム・ミッシュやジェイミー・アイザックら、今年ブレイクしたサウス・ロンドンに住む若きクリエイターたちと近い部分かもしれへんね」
鶴見「歌に重きを置いたベニー・シングスの最新作『City Melody』にも通じるわよね。彼もオランダだし……あれ、妙に静かだと思ったら天空先輩が寝てるじゃない!」
八丁「恐るべきロックの知識を持っとるくせに、どんだけマイペースな人なんや!」
果たして天空さんは先輩としての威厳を1年生コンビに見せつけることができたのでしょうか。とりあえず、おやすみなさい。 【つづく】