クラシックとユーロ・ジャズからの影響をもとに、国内外で活躍を続けているジャズ・ピアニスト、西山瞳。ジャズ界に長く身を置きながら、近年はHR/HMをジャズ・カヴァーするプロジェクト、NHORHMとしてのコンスタントな活動や、ファンであるBABYMETALの音楽的な魅力を鋭く考察して界隈で大きな話題となるなど、メタル愛好家としての信頼はグイグイ上昇中。そんな〈メタラーのジャズ・ピアニスト〉という立ち位置からへヴィメタルを語り尽くすのが、本連載〈西山瞳の鋼鉄のジャズ女〉です!
好評を博したBABYMETAL回、聖飢魔II回に続く第9回となる今回は、大ヒット中の映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観て感激した西山氏が考える〈バンドのおもしろさ〉。今年最後となる更新、どうぞお楽しみください。 *Mikiki編集部
皆さん、11月公開の映画「ボヘミアン・ラプソディ」はご覧になりましたか?
私も公開初日に観て、もう一度IMAXで観て、あと一回ぐらいは劇場で観たいと考えていますが、周りのミュージシャンや音楽関係者たちが続々と鑑賞し、クイーン熱に浮かされて感想を喋りまくり、また他のミュージシャンに伝染して……と、自分の周辺でもちょっとしたブームになっていました。
音楽映画は沢山ありますが、ミュージシャンが何の突っ込みも入れずにひたすら興奮し、良いエネルギーを貰い、シーンに熱気が循環している感じというのは、近年ではちょっと珍しいかなと思います。
皆が元からクイーンを知っていたわけではなく、ジャンルを越えて感動を与えていることに、一本の素晴らしい映画の力と、時代を軽々と飛び越えるクイーンの楽曲の力を、強く感じています。
前回、第8回の連載で、B’zが雑誌のインタヴューで〈セックス・ピストルズ、クイーン、ボン・ジョヴィ〉という名前を挙げていたのが、中学で洋楽を聴きはじめるきっかけになったと書きましたが、その3つのバンドを聴いて一番フィットして、私が最初に自分で買った洋楽のアルバムは、クイーンの『Greatest Hits』(81年)でした。
ロックを聴いて、その音楽の中での独自の壮大なドラマや世界観に惹かれた、最初の体験だったと思います。先日、その中学生のときに買った『Greatest Hits』を実家で掘り起こし、歌詞カードを見ながら一生懸命一緒に口ずさんでいた記憶も蘇りました。
そして、この映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、とても強く〈バンドっていいな〉という気持ちが残りました。
ジャズ・ミュージシャンの私には、ロックやメタルでいう〈バンド〉というものに対して、多少の憧れがあります。
ジャズは、毎日違うプレイヤーと、その日初対面であっても演奏できる音楽です。それができるように、各人が技術やコミュニケーション能力を磨いているので、すべてのミュージシャンは独り立ちした演奏家。〈腕一本で誰とでも〉というのが、ジャズのおもしろい所です。
そういう独立したミュージシャン同士でバンドをするとなると、ロック・バンドの〈運命共同体〉や〈ファミリー〉のような強い結びつきよりは、もう少しドライなものになります。
また、ジャズは即興音楽なので、毎回違う演奏を目指します。だから、ロック・バンドのように同じメンバーで集まって練習は重ねず、より音楽的になるように提案やディスカッションはしますが、基本的には各人がそれぞれの力を鍛えておくことが前提。バンドであっても、個人という要素が強いんですね。
ですので、昔から多くのジャズ・バンドは、〈オスカー・ピーターソン・トリオ〉など、リーダーの名前が頭に付きます。その個人の音楽性や技術が中心になるので、わかりやすいですね。サイド・メンバー(ジャズでは昔はside manと呼んでいましたが、知り合いのアメリカ在住経験のあるミュージシャンによると、男女差別用語的ニュアンスがある言葉なので、あまり使われなくなったようです)は、常に固定メンバーで演奏する人もいますし、頻繁に変えて演奏する人もいます。
リーダーの名前を見て音楽性を想像し、サイド・メンバーの名前を見てどんな化学反応が起こってどう昇華されているのか、名前のクレジット欄だけで期待と想像を膨らませる時間は、とてもドキドキします。
ロック・バンドの中でもヘヴィメタルというジャンルでは、バンドとしての音楽が想像できるワードの入っているもの(メタリカ、LOUDNESSなど)、世界観の表明(ドリーム・シアター、ラプソディ・オブ・ファイアなど)、宗教由来の言葉(ジューダス・プリースト、ブラック・サバスなど)、凶悪な存在であるという宣言(スレイヤー、ヴェノム、カーカスなど)、そのような集合体のテーマによって、バンド名を付けますね。
もう馴染んでしまっていますが、〈スレイヤーが来日だって〉などという会話は、物騒な話ですね。