ジャズ・ピアニストでありながらメタル・ファンとしても知られる西山瞳さんによる連載〈西山瞳の鋼鉄のジャズ女〉。今回は、馬場孝喜さん(ギター)、則武諒さん(ドラムス)という西山さんの近くにいる〈過去にメタルを演奏していた〉プロのジャズ・ミュージシャンに、メタルとの出会いや、プレイ・スタイルの移り変わり、それぞれのファンに聴いてもらいたい楽曲などを訊くため、西山さん自身が直撃取材。一見、縁が遠そうなメタルとジャズという2ジャンルに、意外な関係性や共通点が見えてくるかもしれません。 *Mikiki編集部

★西山瞳の“鋼鉄のジャズ女”記事一覧

 


今回は、〈メタルを通ってプロのジャズ・ミュージシャンになった人〉の話をご紹介したいと思います。実はこれ、前から訊いてみたかったんです。

私は79年生まれで、中高生の時にギターやドラムなど楽器を始めたら、一番上手い人がやる音楽のジャンルとしてメタルがあった時代でした。だから、同世代では楽器演奏の初期衝動にメタルが大きく関わっている人が多い。けれど、私はその時期、自分で実際にメタルはプレイはしていなくて聴く一方だったので、〈あんな極端な音楽を夢中でやった人が、どうして全然違うジャズのプレイヤーに、しかもプロにまでなったの?〉という、その変遷が不思議で仕方ないんですよ。

メタルは速くて重くて音がデカい。同じリフを繰り返し、客席とともに熱狂の渦を高めていく。一方のジャズは音量が小さいし、滅茶苦茶速いもの(BPM350超え)もあれば異常に遅いバラード(BPM34ぐらいとか)もあるし、3回と同じことをせず、瞬間ごとに変化していく音楽です。

今回は、メタルを通った二人のジャズ・ミュージシャンに話を訊かせてもらいました。一人目は、〈スレイヤー(Slayer)のコピーをやっていた〉、〈時々私のためにイングヴェイのフレーズを織り込んでくれる〉ジャズ・ギタリスト馬場孝喜。二人目は、〈YOSHIKIが原点〉、〈ジャズ仲間で唯一セパルトゥラ(Sepultura)の話ができる〉ジャズ・ドラマー則武諒です。

ジャズ・ミュージシャンにメタルとの関わりを訊くインタビューなんて、私自身は何度も体験していますが、普通はまずないでしょう。一見アホな企画ですが、意外と結構貴重なインタビューになるかも……。両方のジャンルを体験したプレイヤーの話を訊くことで、メタルtoジャズ、ジャズtoメタル、両方の共通点や入り口も探れたりもする……のでしょうか?

 


馬場孝喜(一番右)
 

〈その1 ジャズ・ギタリスト 馬場孝喜 編〉

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最新作 クロースネス・アンサンブル・オブ・キョウト『ワバサタ2』
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西山瞳とのデュオ作 西山瞳『アストロラーベ』
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参加している西山瞳のメタルの名曲をジャズ化するプロジェクト NHORHM『New Heritage Of Real Heavy Metal』
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日本のジャズ・シーン第一線で活躍するギタリスト馬場孝喜(ばばたかよし)氏は、私と同じ関西出身で、年齢は1つ違い。2005年の〈ギブソン・ジャズ・ギター・コンテスト〉で優勝した後に東京に出てきて、ファースト・コールのギタリストとなっています。

様々なタイプのミュージシャンと演奏している誰もが認める素晴らしいギタリストですが、実は一緒に演奏を始めた2005年ぐらいから〈スレイヤーのコピーをやっていた〉という話を聞いていました。

そう、ギタリストとしてのアティテュードがジャズ・ギタリストのようでジャズ・ギタリストでない時がよくあって、ソロ中に〈ジャズ的にうまくいくか〉と〈ギター的にカッコよくいくか〉の分岐点で悩んだ時、後者を選んで最終的に〈ギターかっこええ!〉というところに着地してしまって、〈やってもーた〉という顔をしている時があり、そんな時にこの人好きっ!と思います。

NHORHMの1枚目(『New Heritage Of Real Heavy Metal』)ではアイアン・メイデン(Iron Maiden)の“Fear Of The Dark”を弾いてもらいました。私がこのような活動をしているものですから、メタラーの方が恐々ジャズ・ライブに来て下さることがよくあるのですが、馬場氏と演奏するライブはメタラーの方にとっても一番普段と地続きで楽しんでもらえていると思います。

馬場孝喜のソロ・レコーディングより即興演奏の模様

 

――ギターを始めたのは?

「ちゃんと覚えてないけれど中学生の時で、B’zがきっかけだったと思う。メタリカ(Metallica)を聴いたのが中学2年ぐらいだった。衛星放送でたまたまメタリカの生中継のライブを見て、ジェイムズ・ヘットフィールド(James Hetfield)の刻みの音が、とにかくエッジがきいていてカッコよくて。それまではBOØWYが好きで、ライブ盤がすごく良くてその布袋寅泰の音がとても好きだったんだけど、それに通じるものがあった。意外とソロはどうでも良くて、刻みとか音色の方に耳が向いてたね。カーク・ハメット(Kirk Hammett)のソロは、その時は全然わからなかった」

――アドリブなどの演奏に興味を持ち始めたのは?

「布袋寅泰の演奏が、ライブで毎回少しずつ違うのよ。バッキングとか、7~8割は決まってることをするけど、ちょいちょい変えてくる。ソロになってからは、元とかなり違う時もあって、それでペンタトニック(・スケール ※5つの音からなる基本的な音階)を弾くのとかを覚えたよね。弦2本でかっこいいやん!って。ラジオでかかった曲に合わせて、ペンタで適当に弾いてみたりとかしてた。

高校の時にギターを習い始めて、その先生が朝4時から自宅で爆音でパンテラ(Pantera)を流しているような先生で、メタルも弾くしジャズ・フュージョン系も弾くし、っていう先生で。その先生にパット・マルティーノ(Pat Martino)を教えてもらった。楽譜もその頃から読み始めて。先生が1時間ぐらい昼寝している間に〈これやっとけ〉って言われて、マルティーノのAマイナーのフレーズを10個ぐらい書いたのを練習して。あと、先生と一緒にスレイヤーのトランスクライブ(※音を聴いて譜面に起こすこと)とかもやったよ。

当時、ハードコア・パンクが流行ってたやん。ハーフ・テンポから始まって、ドラムのきっかけで突然速くなったりして、1~2分ぐらいであっという間に終わる。スレイヤーはそういうことをもっと長い曲でやってて、ギターが好きという以前にスレイヤーの音楽自体がカッコよかった。来るべき時にバッチリちゃんと来てくれて暴れられる、みたいな。

パット・マルティーノの『Exit』(77年)っていうアルバムで、速い4ビートのフリーをやっていて、それがスレイヤーのテンポの速い暴れる系と、どこか似てると感じてた。

大学の頃、アイアン・メイデンのコピー・バンドをやっていて、Aマイナー一発のところはソロを覚えるのが面倒臭かったから、マルティーノのフレーズをぶち込んでアドリブで弾いてたなあ」

――他はどんなの聴いてた? 日本のバンドでも。

「LOUDNESSは聴いていた。そういえば、LOUDNESSがライブのMCの時に4ビートでブルースとかをやってて、それもジャズを始めるのに影響あったかもしれない。ドリーム・シアター(Dream Theater)は、バンドではできなかったけど、一人でギターだけコピーはしてた。“Erotomania”(94年作『Awake』収録)とかは、CDと一緒に最初から最後まで弾けるように頑張った。

ランニングワイルド(Running Wild)とかレイジ(Rage ※どちらもドイツのヘヴィメタル・バンド)も好きで、大学の時レイジの“Enough Is Enough”って曲を譜面にして、ここからここまでアドリブしてみようとかやってた。

あと、スティーヴ・ヴァイ(Steve Vai)の“Tender Surrender”(95年作『Alien Love Secrets』収録)が、〈ソロのフレーズが毎回一緒の決め曲〉っていうのが衝撃で。あれを聴いていて、実はヴァイはジャズをやってるんじゃないかなって少し思ってたんだけど、全部細かいところまでソロが決まっていたのが驚いた」