映画と絵本で見るディヴィッド・バーンの「アメリカン・ユートピア」の世界
「私は人種主義的な国で育っている。人種主義的な国で育っている人は、全て人種主義者だ。なぜなら、人種主義が心の深い所に子供の頃から刻まれこまれているからだ。だから、私も人種主義者だ。」ディヴィッド・バーンは1980年代のインタヴューでこのように答えた。黒人の人種問題をテーマに数々の映画を監督しているスパイク・リーは、この言葉を聞いて、「よくぞ語ってくれた」とバーンに言って、二人は友人になった。そして2020年になって、今回の映画監督に依頼した。
バーンは「アメリカン・ユートピア」というアルバムを2018年にCDとして発表した。80%の曲はブライアン・イーノとの共作だった。CDではイーノらしいエレクトロニックスが生音のリズムと混ざっていた。イーノはかつてロー・アート(ロック、民族音楽、下層階級の文化)をハイ・ アート(芸術)にするのが自分の目的だと語っていた。
気候変動や政治的に分裂している今日の時代にオプチミズムを与えたいというバーンの願い。アメリカは本来ユートピアの実験として作られたと私達は学んでいる。北東部には自由にプロテスタント宗教を信仰したかった人々。ここでは、宗教に基づく実験的な共同体が生まれ、「共産主義宣言」の共作者エンゲルズは19世紀初頭のアメリカの社会実験にも影響を受けていた。ニューヨークの港は貿易に良い場所だった。フィラデルフィアは工業地域になった。南北戦争で負けた南部は、奴隷に基づく農業地帯で、お金、土地や財産を持っている人は自由に生きれるという考えで生活していた。このアメリカ内での考え方の対立は2016年の大統領選挙で明らかになった。北東部や西海岸で人気を持つ民主党と南部と中西部に人気をもつトランプ派に分裂して行った。歴史的にも、文化的にも別々だった事が再び表面化した。
2010年代からは、何かが変わらなければいけないという雰囲気が漂っていた。「今は娯楽だけを与える時代ではない」とバーンは語る。ライヴでは曲の間にMCで曲の意味を短く語って行く。
バーンの「アメリカン・ユートピア」からの言葉を抜粋して作られた絵本も発売される。かわいらしいイラストはイスラエル出身でニューヨーク在住のマイラ・カルマンが書いたもの。日本語版はピーター・バラカン翻訳。次のような言葉が掲載されている。
「これまでに起きたこと、今も起きつつある諸々のことにもかかわらず私はまだ可能性があると思っている。我々はいまだに発展途上にある……私たちの脳も変わりうるものだ。我々の人間性は本人を超える。」
「世界はおしまいではなく、名前が変わるだけだ。」
「自由になる方法は無数にある」
こういったメッセージが中心にあるプロジェクトだ。
ライヴのために集められた12人の音楽家達はみんな同じ衣装ででアニー・B・パーソンの振り付けを踊らなければいけなかった。音楽家からは最初抵抗の声もあったようだが、ギター、ベースを持っている人達が楽器を弾きながら、このような踊りを見せるのは今まで見たことがない。2時間も音楽家が楽器を持って踊り続けるのは大変であるが、それを楽しく見事にやりこなしている。全ての音楽家の衣装に照明が自動的について行く電子信号がついている。ステージの端っこに行っても照明は追ってくれる。イラストの本に、この振り付けの動きの一部の絵が見れる。
これはライヴ演奏を忠実に見せる映画だが、スパイク・リーの映画「ブラック・クランズマン」の最後の方の場面を思い起こす場面がこちらの映画の最後の方にもある。ジャネール・モネイの“Hell You Talmbout”という歌で、人種的暴力により亡くなった黒人や有色人種の人達の名前を〈その名前を言え!〉と繰り返す時に、名前と共に写真が映し出される。ジョージ・フロイドの名前も刻まれている。
トーキング・ヘッズの曲“I Zimbra”が1979年に録音された時にイーノは、この曲にダダイストの詩人フーゴ・バルを付けると良いと推薦した。言葉は一見ノンセンスに聴こえるが、「世界に向けて、戦争と国家主義に束縛されず、違った理想を追求する独自の考えを持った人たちがいることを知らせること」が目標だったとバーンは語る。この曲や、イーノとのかつてのコラボ“ワンス・イン・ア・ライフ・タイム”等の曲もこの映画で見ることができる。
ユートピアの夢を2020年代の人々に!