およそ70年もの長いキャリアを通じ、時代に応じてシーンに大きな爪痕を残してきたシカゴのソウルマン。後進への影響がより明白になったいまこそ知るべきシル・ジョンソンの多大な功績と濃厚な魅力を紹介しよう!
シカゴの巨星墜つ。2022年2月6日に85歳で亡くなったシル・ジョンソン。共演盤も残す兄ジミー・ジョンソン(シカゴ・ブルースの名ギタリスト)が93歳で他界した6日後のことだった。シンガー、ギタリスト、ハーピストとしてブルースとソウル界を跨いで活躍し、アル・グリーンらとハイの黄金期を築き、娘のシリーナ・ジョンソンを世に送り出すなどした彼の功績は、2019年の〈ブルースの殿堂〉入りだけでは不十分だと思うほど大きい。
現代に及ぼす影響の大きさ
ヒップホップを中心に楽曲が頻繁にサンプリングされてきたことで知られる人でもある。とりわけトワイライトから出た67年のヒット“Different Strokes”の使用例は300以上。ジェイムズ・ブラウンとウィルソン・ピケットが合体したようなこのファンキー・ソウルは、シルの〈Uhh!〉という掛け声に当時チェスの秘書だったミニー・リパートンが素っ頓狂な笑い声で呼応するイントロ、あるいはホーンなどが何度も引用されてきた。エリック・B&ラキム“I Know You Got Soul”、パブリック・エネミー“Fight The Power”、デ・ラ・ソウル“The Magic Number”、ウータン・クラン“Shame On A N****”、そして引用をめぐって訴訟を起こされた(が和解した)ジェイ・Z&カニエ・ウェスト“The Joy”など、これらの名曲がシルの曲を使わなければ存在しなかったかもしれないと思うと感慨深い。2015年に公開されたドキュメンタリー「Syl Johnson: Any Way The Wind Blows」でもジャジー・ジェイやRZAによって同曲がヒップホップに与えた影響の大きさが語られるように、第三者の使用とはいえ、これもシルの功績と捉えていいだろう。80年代半ばにフライドフィッシュ・レストランの経営に乗り出して音楽活動から遠ざかっていた彼が90年代にカムバックしたのも、サンプリングによる再評価を受けてのことだった。
同じ文脈で光が当たった曲としては、トワイナイトでの最大のヒットとなった69年の“Is It Because I’m Black”も忘れ難い。バック演奏にブランズウィックのハウス・バンドだったジャリン・サウンド改めピーセズ・オブ・ピースを起用した、このやるせなくブルージーなバラッドもウータン・クランやサイプレス・ヒルなどに引用されている。が、〈俺の肌が黒いからなのか?〉と、黒人ゆえにままならぬ生活を強いられる苦悩を歌ったこれは、サンプリングに止まらず、人種差別に斬り込んだリリックの重みも受け止めたい。前年のキング牧師暗殺を受けて書かれた曲だが、過激なプロテスト・ソングは作りたくないとの思いから、タイトルを疑問形にしてインナーシティに住む同胞の心情を代弁したのだ。マーヴィン・ゲイが“What’s Going On”を歌う前のことである。そんな内容だけに同曲は、〈Black Lives Matter〉をテーマにしたサラーム・レミの近作『Black On Purpose』(2020年)でも参加したゲストたちによって歌われた。そこにはシリーナ・ジョンソンも名を連ねており、彼女自身も2009年のソロ作『Chapter 4: Labor Pains』でカヴァー。50年以上前の嘆きがいまだに身に沁みるという現実には気が滅入るが、人種~人権問題から音楽業界における搾取まで正義感をもって不条理と向き合い、ストリートに根差したシルの言葉は、鋭くも人情味に溢れていた。それは激情迸るテナー・ヴォイスにもそのまま表れていたように思う。