熱心なメタルファンとして知られるジャズピアニストの西山瞳さんによる連載〈西山瞳の鋼鉄のジャズ女〉。今回は、メタルをルーツに持ちながらプロのジャズメンとして活動する方々にインタビューをする人気企画の第3弾です。輝かしい受賞歴やJ-Popシーンでの活躍でも知られるギタリストの鈴木直人さんが、激動の音楽人生を語ってくれました。 *Mikiki編集部
今月は、メタルを通過してプロで活躍するジャズミュージシャンへのインタビュー、3回目です。
今回は、ギタリストの鈴木直人さん。
プロとしてのキャリアの初期に〈ギブソン・ジャズ・ギター・コンテスト〉で優勝という経歴をお持ちですが、ジャズ以前にギターそのものの格好良さが飛び越えてきて、メタルのギターを聴く時と同じワクワク感を持って聴いてしまう、本当に素晴らしいギタリストです。最初に演奏を聴いたのは、名古屋のフェスで徳田雄一郎RALYZZ DIGのバンドメンバーとして。なんだかんだで、ライブハウスやフェスですれ違いはするのですが、共演はまだありません。なんというか、ギターヒーローとして聴いていたい……。
そんな明らかにメタルを通過している演奏をしている鈴木さんに、〈どういう経緯でジャズのプロミュージシャンになったんですか?〉と訊いてみました。
ピアノ、バイオリン、ドラムから楽器屋で速弾きを目撃しギターへ
――楽器を始めたきっかけは?
「ギターは中学1年の時からなんだけど、母親がピアノの先生で、4歳の頃から無理やりピアノをやらされていて。そんなに好きじゃなかったけど、結局ショパンぐらいまで弾けるようになったから、結構長く、嫌々ながらちゃんとやってたところがあった。
あとは、バイオリンを見せられたのがきっかけで弾いてみたくなって、バイオリンを1年生から4年生の間にやってたよ。
父親の方はサラリーマンなんだけど、昔からフュージョンマニアで、ドラム、ベース、ギター、ピアノ、作曲、全部独学でやっていて、『ジャズライフ』(雑誌)のバンドコンテストで79年か80年に優勝してたりするの。会社でも軽音楽部を主宰していて、自分もそこに呼ばれてバイオリンを弾かされて、マハヴィシュヌ・オーケストラとかをやらされたりしてた、小4で(笑)。結構好きだったよ。
父親が家で聴く音楽は、ポップス以外ではパット・メセニー、チック・コリアとかハービー・ハンコック、マイケル・ブレッカーとか。その辺の音楽が常にかかっていて、俺に聴かせるつもりじゃないんだけど、俺も好きで聴いていたんだよね。メセニーの『American Garage』(80年)とか、すごい印象残ってる」
――そこからどういう経緯でギターを弾くことになったのですか?
「ギターを弾く前に、ドラムを叩くきっかけがあって。小学校は公立だったけどドラムセットが置いてあって、6年生の時に触りに行ったら、音楽の先生が昼休みに8ビートを教えてくれたんだよね。その流れで、ラッキーなことに中学に軽音楽部があって、ビートルズとかバンドっぽいこともやってたから、そこに入ったの。
一緒に入った友達がエレキギターをやりたいって言って、〈買おうぜ〉ってことになって、立川の楽器屋に俺の親父と3人で行ったのね。そうしたら、店員の兄ちゃんが、突然小さいアンプでギュインギュインに歪ませた爆音で、ダカダカダカダカダって速弾きをやって見せてくれて、超ビックリして、〈かっけえ!〉ってなって。それが目覚め」
――そういう音楽は、お家ではかかってなかったんですか?
「メタルは聴いてなかった。スクェア(T-SQUARE)とかカシオペアは親父が聴いてたけど、わりとまろやかな歪みがエレキギターの音だと思ってたから、店員の兄ちゃんの演奏に超びっくりしたんだよ。低い音だし。それで〈絶対買う! このアンプとこのギターがいい!〉って言ってね」