ベートーヴェン、バエス、バルトークと〈B〉の作曲家による〈バガテル〉で組まれたプログラム
あけたとすこしまえにはいわれていたにもかかわらず、しばらくすると、また天候が不安定になり、傘を手放せなせない日々がつづいた7月半ば。喫茶店にすこし早めについたころはまだだったのに、所在なくながめていると、すこしずつ雨が降りはじめ、悠治さんがやってくることには、かなり雨足はつよくなっていた。
――今回のアルバムは3月に浜離宮朝日ホールでおこなわれたリサイタルの演奏を収録していて、中心となる3人の作曲家はどれも姓が〈B〉ではじまる。しかも作品はどれも〈バガテル〉。作品は、19-20-21世紀、それぞれのはじめのころの作品(1824/1908/2009)。アンコールに弾かれたクープランは18世紀でしょうから、400年にわたる、となるんですかね。
「フィリピンの作曲家、ジョナス・バエスの曲がはじまりなんですよ。フィリピンでホセ・マセダのつぎの世代にあたるのかな」
――1961年生まれだから、わたしとほとんどおなじですね。マセダは1917年生まれだから、ちょっとあいだがあるかんじですかね。マセダの弟子ってところかしら?
「そう、でもない……ちょっと習ったことはあるらしいけどね。すごく大勢のひとをつかって、というのはおなじ傾向なんだよね。100人くらいがどっかにいてさ、みんな長さの違う笛を持ってね、それぞれに吹き鳴らす、とか、どっか走って行って、とか」
――マセダの“ウドゥロッ・ウドゥロッ”みたいな……
「そういうかんじね」
――マセダはピアノのソロ曲を書かなかったのは残念でしたが……。バエスの曲はとてもおもしろく聴きました。
「ピアノのつかい方がね。ミャンマーのピアノスタイルというのがおもしろくて。サンダヤというんだけど、ガムランにちかいような……。だけど、サンダヤのスタイルとはちょっと違う。ピアノは19世紀で輸入された。西洋音楽を弾くひとはいなかった。じぶんたちの音楽をピアノで弾いたんだね。メロディがあって、両手で弾くんだけど、両手がそれぞれ変奏してる。いまでも弾くひとはいっぱいいて、YouTubeで聴くこともできる」
――トルコではほとんど旋律楽器ですよね。アラブ・イスラム圏はそうした傾向があるかと。レバノン出身でフランスで活躍するBD(バンド・デシネ)作家、ゼイナ・アビラシェドに「オリエンタル・ピアノ」という作品があって、レバノン/フランスのピアノの違いが描かれていたりする。
「イランもそうだね」
――単旋律が延々と……
「そうそう。左手はただコードをたたいてるのが多いんだけど、サンダヤだと両手がメロディ、ずれてて、右手が装飾が多い、と」
――東南アジアのスタイルですよね。ホケトゥスみたいでもある。
「ホケトゥスは違う楽器にとぶでしょう。この場合は違う音域にとんでゆく。5曲あるうち、奇数の1・3・5がガムラン風で、2・4がジャズ――ジャズとは違うけど――でスタイルが交替している」
――すごく幅広くとびますよね。とぶし、リズムが……装飾多いし……。装飾は違うけど、クセナキスの作品がペンタトニックになっているような(笑)。
「あー、なるほど(笑)」
――バエスにはお会いになっている?
「会っているんだってさ。日本で会ったっていうんだけど、ぜんぜんおぼえてない(笑)。松下功がやっていたアジアの作曲家と交流するなかで、だったのかな。フィリピンで会ったこともあるかもしれない」
――譜面をみるとややこしくて、こまかい音符も多い。ペダルも多用されるのかしら……音が濁ってしまいそうだけど……。
「たいたいペンタトニックでしょ。ある種のひびきにつつまれている。youtubeに演奏したものがはいってるんだよね。フィリピンの学生だとおもうんだけど。バエスが監修しているのかな。おもしろい曲だとおもったので、楽譜をもらったわけ」
――コンサート=アルバムでの選曲は――
「バエスのバガテルをやろうと、それで、ほかの曲を探した」
――ベートーヴェンは晩年の作品です。ソナタとかもう書かないような時期でしたか。
「ソナタとか、そういうものじゃないけど、ソナタでもよかった。ピアノ・ソナタは前に書いて終わっている。つづいて交響曲、“第9”や弦楽四重奏が12番目以降かな。あとはね、カノンばっかり書いてる。カノンて短い声の曲ね。三重唱とか。ちょっとアフォリズムっぽい」
――そのあたりはほとんど知りませんで……。
「〈そうあらねばならぬ(Es muss sein!)〉ってあるでしょう? 弦楽四重奏の16番にでてくる。あれはカノンなんだよね。もとは。スケッチみたいな」