ベートーヴェン、バエス、バルトークと〈B〉の作曲家による〈バガテル〉で組まれたプログラム

 あけたとすこしまえにはいわれていたにもかかわらず、しばらくすると、また天候が不安定になり、傘を手放せなせない日々がつづいた7月半ば。喫茶店にすこし早めについたころはまだだったのに、所在なくながめていると、すこしずつ雨が降りはじめ、悠治さんがやってくることには、かなり雨足はつよくなっていた。

高橋悠治 『Bのバガテル~高橋悠治ピアノ・リサイタル~』 マイスター・ミュージック(2022)

 

――今回のアルバムは3月に浜離宮朝日ホールでおこなわれたリサイタルの演奏を収録していて、中心となる3人の作曲家はどれも姓が〈B〉ではじまる。しかも作品はどれも〈バガテル〉。作品は、19-20-21世紀、それぞれのはじめのころの作品(1824/1908/2009)。アンコールに弾かれたクープランは18世紀でしょうから、400年にわたる、となるんですかね。

「フィリピンの作曲家、ジョナス・バエスの曲がはじまりなんですよ。フィリピンでホセ・マセダのつぎの世代にあたるのかな」

――1961年生まれだから、わたしとほとんどおなじですね。マセダは1917年生まれだから、ちょっとあいだがあるかんじですかね。マセダの弟子ってところかしら?

「そう、でもない……ちょっと習ったことはあるらしいけどね。すごく大勢のひとをつかって、というのはおなじ傾向なんだよね。100人くらいがどっかにいてさ、みんな長さの違う笛を持ってね、それぞれに吹き鳴らす、とか、どっか走って行って、とか」

――マセダの“ウドゥロッ・ウドゥロッ”みたいな……

「そういうかんじね」

――マセダはピアノのソロ曲を書かなかったのは残念でしたが……。バエスの曲はとてもおもしろく聴きました。

「ピアノのつかい方がね。ミャンマーのピアノスタイルというのがおもしろくて。サンダヤというんだけど、ガムランにちかいような……。だけど、サンダヤのスタイルとはちょっと違う。ピアノは19世紀で輸入された。西洋音楽を弾くひとはいなかった。じぶんたちの音楽をピアノで弾いたんだね。メロディがあって、両手で弾くんだけど、両手がそれぞれ変奏してる。いまでも弾くひとはいっぱいいて、YouTubeで聴くこともできる」

――トルコではほとんど旋律楽器ですよね。アラブ・イスラム圏はそうした傾向があるかと。レバノン出身でフランスで活躍するBD(バンド・デシネ)作家、ゼイナ・アビラシェドに「オリエンタル・ピアノ」という作品があって、レバノン/フランスのピアノの違いが描かれていたりする。

「イランもそうだね」

――単旋律が延々と……

「そうそう。左手はただコードをたたいてるのが多いんだけど、サンダヤだと両手がメロディ、ずれてて、右手が装飾が多い、と」

――東南アジアのスタイルですよね。ホケトゥスみたいでもある。

「ホケトゥスは違う楽器にとぶでしょう。この場合は違う音域にとんでゆく。5曲あるうち、奇数の1・3・5がガムラン風で、2・4がジャズ――ジャズとは違うけど――でスタイルが交替している」

――すごく幅広くとびますよね。とぶし、リズムが……装飾多いし……。装飾は違うけど、クセナキスの作品がペンタトニックになっているような(笑)。

「あー、なるほど(笑)」

――バエスにはお会いになっている?

「会っているんだってさ。日本で会ったっていうんだけど、ぜんぜんおぼえてない(笑)。松下功がやっていたアジアの作曲家と交流するなかで、だったのかな。フィリピンで会ったこともあるかもしれない」

――譜面をみるとややこしくて、こまかい音符も多い。ペダルも多用されるのかしら……音が濁ってしまいそうだけど……。

「たいたいペンタトニックでしょ。ある種のひびきにつつまれている。youtubeに演奏したものがはいってるんだよね。フィリピンの学生だとおもうんだけど。バエスが監修しているのかな。おもしろい曲だとおもったので、楽譜をもらったわけ」

――コンサート=アルバムでの選曲は――

「バエスのバガテルをやろうと、それで、ほかの曲を探した」

――ベートーヴェンは晩年の作品です。ソナタとかもう書かないような時期でしたか。

「ソナタとか、そういうものじゃないけど、ソナタでもよかった。ピアノ・ソナタは前に書いて終わっている。つづいて交響曲、“第9”や弦楽四重奏が12番目以降かな。あとはね、カノンばっかり書いてる。カノンて短い声の曲ね。三重唱とか。ちょっとアフォリズムっぽい」

――そのあたりはほとんど知りませんで……。

「〈そうあらねばならぬ(Es muss sein!)〉ってあるでしょう? 弦楽四重奏の16番にでてくる。あれはカノンなんだよね。もとは。スケッチみたいな」