“Formalizing" a disorientation of memory
響き合う記憶の、形へ。
昨2020年7月13日、浜離宮ホールで、高橋悠治のリサイタルがおこなわれた。もともと3月6日におこなわれる予定だったものが、〈新型コロナウィルスの感染拡大を受け〉、延期されたものだった。コンサートには足をはこべなかったのだが、録音がリリースされる予定とのことで、はなしをうかがう機会を得た。
――2020年はベートーヴェンのアニヴァーサリー・イヤーだったこともあり、“告別ソナタ”がはいっているのかな、とおもっていました。プログラムの最後において、全体を構成するというようなプログラムかと。
「ベートーヴェンは、CDでは最後にはいっているけど、コンサートでは最初に弾いた。後半をやるための口実でさ。後半の2つ――リンダ・カトリン・スミスとポール千原の作品――をやるために前半をつくったわけ。ポール千原の“4つのベートーヴェン幻想”はタイトルのとおり、ベートーヴェンとつながりがあり、4曲目の“サヨナラ”は“告別ソナタ”冒頭のモティーフをつかっている。だから、ベートーヴェンをいれときゃあ客が来るだろう(笑)」
――ベートーヴェン、演奏するのは久しぶりですよね?
「頼まれないし、弾かないからね。昔作品110は弾いたことがある。ジェフスキーがやってるから、おもしろいのかな、とおもってやってみた。“告別ソナタ”は何年か前、ジュリア・ スーが弾いていたからやってみると、1楽章のどこかで躓く」
――(テーブルに楽譜がならんでいるので、ぱらぱら手にとってみせてもらいながら)“告別ソナタ”は、リコルディ版なんですね。
「なぜかっていうと、これはカゼッラの編集なのね。昔、ミケランジェリが弾いていた。そのころのミケランジェリはロマンティックな演奏の人だった。ところが原典版で弾くようになって、すごいテクニックなんだけど、技術がすごい、みたいなひとになってしまった。じゃあ、カゼッラ版はどういうのかな、とおもってやってみた。かなり細かい注釈がついてるんだ。時期からいって、こういうネオ・クラシシスムのスタイルだな」
――ポール千原はあまりこちらでは知られていませんね。コンサートで演奏される作品もだけど、けっこう映画の音楽も手掛けているという記憶があります。
「さっきも言ったように、4番目の“サヨナラ”に“告別ソナタ”冒頭のモティーフがつかわれている。それと“リンゴ追分”なんだよ。これ、戦後すぐの曲でしょ。ポール千原は1938年生まれの日系だった。日本人は第二次世界大戦中ぜんぶ収容所にいれられていた。そこからでてきたら流行っていて、毎日きいていたらしい」
――1952年、美空ひばりですね。十代にいやおうなしに耳にはいってきたというかんじなのかも。
「ポール千原のをやるのがメインで、おもしろいとおもって楽譜をもらった。もらったからにはやってみる。もうひとつ、リンダ・カトリン・スミスの“ノクターンとコラール”は、たしか、井上郷子が初演したとおもうんだよね。作曲者も来日している。知らなかったんだけどね」
――悠治さんご自身の“コスギに”が、戸島美喜夫“鳥の歌”とならんでいます。
「小杉(武久)は2018年に亡くなって、翌2019年に追悼コンサートがあった。そのときに作曲して初演した。そして戸島美喜夫も去年亡くなった。2人は芸大で 〈グループ音楽〉をやっていたんだよね」
――あと水野修孝、塩見允枝子、刀根康尚……。アタマでは知っていても、あまり一緒のイメージが持てなくて……。たしかに、関西なんかでうちあげのとき、おなじところにいらしたのは記憶にあります。
「ないでしょ。小杉がコンサートをやるときには戸島さんがよく来ていた」
――ベートーヴェンについては、かつて、批判的なものを書かれていました。
「そうだね。でも、昔書いたままということもないんだけど……シューベルトのほうがおもしろい。シューベルトでおもしろいとおもうのは転調のしかたでしょ。メロディーで、弱拍でおわるメロディーとかね。ベートーヴェンとはちがう。うしろにアクセントがくる。〈ジャジャジャジャーン〉って、マッチョなわけ。それがいやだな、とおもっている。シューベルトには……あまりあるとおもわないな」
――ブランカフォルトって、意外に演奏されませんね。スペイン音楽をよくやっているひとでも。
「ぜんぜんやられてない気がするけどね。スペインとはいっても、バルセロナでしょ。カタロニアはちがうから。ブランカフォルトにはモンポウとの往復書簡があって、椎名亮輔が同志社女子大の紀要にずっと訳している。ずっともらっていたのだけれど、知らないから、なんかないかとおもって探してみたら、“モンポウに捧げる悲歌”がみつかった。これがいちばん小さい」
――リサイタル/CDにならんでいるのは知らない曲がいっぱい、とおもっていました。リサイタルで演奏はされているけれど、CDに収められていないのはモンポウ“子守唄”です。不在のモンポウもふくめ、小杉武久、戸島美喜夫、そしてベートーヴェン“告別”というふうにおもうと、〈告別〉がテーマとしてあるのかな、と勝手におもってしまったわけで。
「そういうふうにみえるでしょ。それから、“告別”っていうのではじめれば、引退公演かな、って(笑)」
――それはわざと?
「最後がサヨナラだから最初に告別と持ってきたというだけなんだけどね」
――失礼にあたるのを承知でうかがいますけれども、ピアノを弾くというのは、年齢を重ねてくると、どこか違ってくることがありますか?
「年とってくると……ちがう……?」
――指が……。
「んー……指がうごかない……とか? まだうごいてるけどね(笑)。それはいつそうなるかわからないね。でもピアノの弾き方っていうのは何回か変えてるから。それに、いわゆるピアニストのレパートリーじゃないからね、弾くのは。アルペジオが連続する、とか、オクターヴを派手に、とか、そういうことはできないから、最初から。オクターヴのパッセージを弾くっていうのは……ああ、でも、やったことはあるんだよね、忘れてたけど、バーンスタインの“不安の時代”っていうので、そこだけ練習してやった(笑)。最近はそういうものは弾かないんだけど、オクターヴの弾き方をまた青柳いづみこに習った。そしたらまたちょっと弾けるようになった、みたいな」
――オクターヴのはいってるレパートリーってなかったでした?
「レパートリーっていうのはだいたいない……」
――言い換えます。曲は、っていったらいいか。
「弾いたことのないものを弾いてみようっていうのがピアノを弾いてる理由だから。リストとかそういうのは弾かないからね。いわゆるピアニストの定番みたいなのはやってない。まあでも、オクターヴの弾き方は知ってたほうがいい。忘れないほうがいい、と言ったらいいのかな」
――カラダとして忘れないということ? アタマでわかってても弾けるものじゃないから(笑)。
「そういうことをいえば、カラダからはじめると、たとえば、サティ……最近あらためて録音したときに、以前と弾き方が違った。バロックのスタイルがあって、 そのなかでバッハを弾く。波多野睦美と演奏するとき、ピアノでバロックを弾くことがあって、バッハもリズムやタッチとかが違う。 音楽が違うから弾き方も変わるのじゃなくて、弾き方を変えると、どんな音楽でも変わる。サティでも、昔やったのは、音符どおり弾くかんじだった。 いまは、もっと不安定に揺れている、和音の中の1音のバランスも、拍の長さも」
――以前、バロックの弾き方を、親指をつかわない、というようにされたり……。あれも浜離宮だったとおもう。演奏家って弾き方を変えないとおもうのね、そこがおもしろいなと。
「そうね、ピアノを弾いてるときは作曲家だとかおもってるわけだよね。作曲してるときは、まあピアノも弾けるし、とおもってるわけだから(笑)。即興もまあ、できるし、みたいな。即興的に何かその場で毎回違うとかやったほうがおもしろい。だから計画して構成して、これの構造がこうだからと分析してというようなことはしないわけ。まあ最初っからしなかったけど、でも、ひとは、作曲家だから構成的に弾いてるとかいうわけだよね(笑)」
――波多野睦美さんとの『ねむれない夜~高橋悠治ソングブック~』――“ぼくは12歳”もはいっている――もリリースされました。これから、コンサートのご予定は?
「これからのご予定ねえ(笑)。いくつかあるけど、5月にニューシティ管弦楽団とカスティリオーニを弾く。〈ショパン・フェスティバル〉で〈マズルカあれこれ〉って、いろんなマズルカを集めたリサイタル。ショパンからタンスマン、シマノフスキ、ロシアのマズルカのグリンカ、バラキレフ、ドビュッシー、ミヨー、というような。このときはマズルカしかやらない (笑)」
高橋悠治 Yuji Takahashi
1938年生まれ。柴田南雄、小倉朗、ヤニス・クセナキスに学ぶ。 63年~仏・独で現代音楽のピアニストとして活動。74~76年に武満徹らとともに作曲家グループ〈トランソニック〉を組織して季刊誌を編集。78~85年には〈水牛楽団〉で世界の抵抗歌をアレンジ・演奏、月刊ミニコミ「水牛通信」を発行。その後は画家・富山妙子と映像と音楽による物語の共作活動を展開、田中信昭との協同作業でこれまでに合唱音楽を20曲以上作曲。91年より、高田和子のために日本の伝統楽器と声のための作品を作曲。2008年からは波多野睦美のために歌を書きピアノを弾いている。著書として、平凡社から「高橋悠治/コレクション1970年代」「音の静寂静寂の音」、福音館から富山妙子との共作CD付絵本「けろけろころろ」、みすず書房から「きっかけの音楽」「カフカノート」が刊行されている。
寄稿者プロフィール
小沼純一 Jun'ichi Konuma
学年末の採点と、近刊予定(時間差で2冊でるかな)の校正とがかさなって、あたふた。あまりじぶんの生活がない、というのは変わらず。笑いをもたらしてくれるのは山田ヒツジ「デキる猫は今日も憂鬱」かな。これはお気に入り。3月末に「武満徹逍遥――遠ざかる季節から」(青土社)がでます。