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 そんな状況下で71年に登場したのが、MG’sのジャム感覚を前面に出した『Melting Pot』だ。NY録音であることを表題で示唆してしまうほどの意気込みを投影した内容は野心的で、拠点は離れても創造的なコンビネーションが進化し続けていたことが窺える傑作ながら、結局これが4人で最後の作品になってしまった。スタックスに残ったダンとアルはボビー・マニュエル(ギター)とカーソン・ウィットセット(キーボード)を加えた新生MG’sで『The M.G.’s』(73年)を発表する一方、ミュージシャンとして独立した動きも並行させていく。アレサ・フランクリンやエリック・クラプトンらの作品でもドラムを叩いたアルは、旧知のウィリー・ミッチェルが運営するハイのセッションでも欠かせない存在となり、アル・グリーンやアン・ピーブルズらの作品でいわゆる〈ハイ・サウンド〉の確立に貢献した。

 一方、ブッカーが制作したビル・ウィザーズのフォーキー・ソウル名作『Just As I Am』(71年)にはアルとダンが参加、レオン・ラッセルの『Will O’ The Wisp』(75年)やロッド・スチュワート『Atlantic Crossing』(75年)ではブッカー以外の3名が揃って演奏するなど、MG’sの有していた魔法はより広いシーンで求められるものになっていた。が、そんな好調期にあった75年10月、アルは自宅前で暴漢に殺害されてしまう。悲報の10日ほど前には4人でのMG’s再結成が決定していたというから運命は残酷だが、残された3人はドラマーにウィリー・ホール(元バーケイズ)を迎えた形での復活作『Universal Language』(77年)をアルに捧げ、個々の活躍を通じてMG’sの名前を輝かせていくことになる。

 ソロ・アーティストとして大成したブッカーは、70年代カントリーの最高峰たるウィリー・ネルソンの『Stardust』(78年)や吉田拓郎のLA録音作『Shangri-La』(80年)を手掛けたほか、カルロス・サンタナやボズ・スキャッグスら各界の大物と仕事をしていく。一方のクロッパーもジェフ・ベック・グループ『Jeff Beck Group』(72年)やネッド・ドヒニー『Hard Candy』(76年)のプロデュースで名を上げ、タワー・オブ・パワーやニルソンらの作品を制作。70年代末からはダック・ダンと共にブルース・ブラザーズのバックを務め、サザン・ソウルのリヴァイヴァルにも一役買っている。そのブルース・ブラザーズでの来日時に交流の生まれた忌野清志郎は自身のソロ作『Memphis』(92年)にクロッパーとダン、ブッカーを集結させ、MG’sが90年代に再起動するきっかけを作った。なお、同年の武道館公演を収めた清志郎のライヴ盤『HAVE MERCY!』では冒頭を“Green Onions”が飾っている。

 92年10月にボブ・ディランの30周年記念コンサートで演奏を務めたMG’sは、結果的に最後のアルバムとなる94年作『That’s The Way It Should Be』(ドラムスはスティーヴ・ジョーダン)でグラミーを受賞。ニール・ヤングとの『Are You Passionate?』(2002年)も話題を呼んだ。以降もブッカーとクロッパーは各々マイペースに活動を続け、ブッカーはマット・バーニンガー(ザ・ナショナル)のソロ作『Serpentine Prison』(2020年)のプロデュースでも記憶に新しい。2012年にダック・ダンが亡くなり(オリジナル・ベーシストのスタインバーグも2016年に逝去)、もうバンドとしての再臨はありえないとしても、60年前から回り続けるレコードは新たなリスナーにもMG’sの凄みを伝えてくれるはずだ。 *出嶌孝次