不朽の名盤が生まれるまで
それから30年。ファースト・アルバム『Definitely Maybe』は、時を超えた作品として聴き継がれている。全英初登場1位、全世界で610万枚、英国で200万枚以上というセールスも止まることはない。10年前にはB面曲やデモ、ライヴ音源などを収録した3枚組の20周年記念盤も発売された。その日本盤のボーナス・トラックとして“Bring It On Down (Monnow Valley)”という曲が収められていた。そのときにバンドがウェールズにある農家を改装したロックフィールド・スタジオ内にあるモノウ・ヴァレー・スタジオ(“Supersonic”のジャケット写真はここで撮影)で録音した、アルバム用の最初のセッション音源が残されていることを知ったが、この30周年記念盤にはモノウ・ヴァレーだけではなく、その次にコーンウォールのソーミルズ・スタジオでレコーディングされたアウトテイクも収められている。これらのアーカイヴが揃ったことで、ドキュメンタリー映画を観るような感覚でこの90年代屈指のアルバムを辿ることができるようになったわけだ。
いまさら語る必要がないくらいに『Definitely Maybe』の評価は定まっているが、初出の音源を聴いて改めて感じたのは、この頃のオアシスは70年代のパンク・バンドのように不完全で荒削りだったということ。それは決して悪い意味ではなく、新人バンドらしい勢いに満ちているということであり、リアムの歌唱、ソングライティングやメロディーに関しても申し分ない。しかし、その最高の素材をどう活かすか、スタジオ内で逡巡している様子が目に浮かぶ。最高の曲が出来たと自負していたであろうノエルだが、作品のイメージを自身が連れてきた2人のプロデューサーと共有できなかったのだろう。困り果てたノエルはクリエイションに相談し、エンジニア経験が豊富なプロデューサーのオーウェン・モリスに何とかしてもらうことになる。
モリスはマンチェスターにあるジョニー・マーのスタジオに音源を持ち込み、培ったテクニックを駆使し、こんがらがった糸をほどいていくように音を整理していき、アルバムにドラマティックなスピード感とスリルを加えて、渾身の一枚へと仕上げた。完成した音を聴いて、ノエルは呆気に取られたのではないか。モリスはノエルから全幅の信頼を獲得し、『(What’s The Story) Morning Glory?』(95年)と『Be Here Now』(97年)のプロデュースを任せられることになる。彼のプロデューサーとしての名声もオアシスと共に高まっていった。
もし、モノウ・ヴァレーとソーミルズの音源を整えただけでアルバムがリリースされていたらどうなっていただろうか。きっとクリエイションのその他大勢のバンドと同じように時折思い出される懐かしい存在になっていたに違いない。30年を経て兄弟の仲も良くなり(たまに大喧嘩してそうだが)、再結成してツアーも行っていたかもしれない。だが、彼らは唯一無二のデビュー・アルバムを作り上げ、英国の音楽史上で最強のバンドのひとつとなった。ノエルとリアムの運命を決定づけた一枚。袂を分かち、それぞれの道を歩む二人の背後には、この『Definitely Maybe』がいまも燦然と輝いている。
オアシスの94年作の30周年記念盤『Definitely Maybe (30th Anniversary Deluxe Edition)』(Big Brother/ソニー)
オーウェン・モリスの参加作。
左から、アッシュの96年作『1977』(Infectious)、ヴューの2009年作『Which Bitch?』(1965)
94年付近のオアシスの作品を一部紹介。
左から、95年作『(What’s The Story) Morning Glory?』、コンピレーション『The Masterplan 』(共にCreation/Big Brother)、ライヴ盤『Knebworth 1996』(Big Brother)