
音楽を視覚的に表現したもの、あるいは謎を呼ぶかのような“レコード・ジャケット”
音楽がオンラインでデータ配信、販売される時代に失われていくものは、もちろんCDやレコードというメディアそのものと、「物」としてのパッケージである。たとえば、「物」に代わるべき、種々の代替物は生み出されているのかもしれない。しかし、音楽というデータそのものだけを必要に応じて曲単位で購入できるという環境は、かつてとは音楽の聴き方、もう少し明確にいえば、複製された音楽を個人で購入して聴く体験というものを変えてしまったのだと思う。
レコード・ジャケットが、その内に収められた音楽の内容を端的に表わす、あるいは表わさないことはひとつの方法論として確立している。クラシックでもジャズでもロックでも、そこには作曲家、指揮者、音楽家などのポートレートを配したアイコンとしてのジャケットから、音楽を視覚的に表現したもの、さらには一切音楽の内容を知る手がかりのないもの、謎が謎を呼ぶかのようなものまでが登場した。CDに比べれば、LPであればレコードのサイズは大きく、ほぼ12インチ四方の画面は、購買層に視覚的インパクトを与えるのに充分であったろう。そうした中で、レコード・ジャケットは、その担うべき機能を変化、確立させてきた。すなわち、レコード盤を保護する目的でしかなかったはずのスリーヴが、音楽の内容を補完、拡張するためのもうひとつのメディアになった。こと、ロック・ミュージックにおいては60年代、サイケデリックの時代以降、音楽の視覚的要素は重要になっていたし、ジャケットのアートワークは音楽と不可分なものとなっていった。ロックのレコード・ジャケットで印象的なものをいくつか挙げるとすれば、ビートルズの『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、キング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』、キャプテン・ビーフハートの『トラウト・マスク・レプリカ』、レッド・ツェッペリンの『IV』などがあるように、60年代末から70年代へ、音楽それ自体だけではなく、パッケージまでを含めたひとつの総合的なプロダクトとして音楽が制作されるようになっていた。
1968年、ストーム・トーガソンとオーブリー・パウエルによって結成された「ヒプノシス」
そんな中、1968年にストーム・トーガソンとオーブリー・パウエルのふたりによってロンドンで結成されたのが、ヒプノシスである。彼らは、まず当時のロック・ミュージックにおけるレコード・ジャケットが、アーティストのポートレートで飾られるという音楽業界的な慣例に対し、挑戦的なアイデアでもってそれを打破し、彼ら自身のスタイルを確立してきた。よく言われるように、レコード・ジャケットのアートワークをまさに芸術の域にまで高めたのが彼らの仕事である、と言っても過言ではないだろう。ポートレートを使用するにしても、イメージを良くするための、ただ見栄えのよいスタイリッシュなものを使うのではなく、あえて歪んだ表情を撮影したり、場合によっては醜くレタッチされてしまう場合さえある。そもそもヒプノシスが、ある部分、音楽の享受の仕方を変えてしまった張本人であるとも言えるだろう。リスナーは、ジャケットの強烈なイメージによって、音楽を聴くよりも前に視覚的なショック体験をへて、その音楽にたどり着くことになるのだから。
たしかに、時代が変わりつつあったということは、彼らにとってもよいタイミングだったのかもしれない。ありきたりの慣習的なデザインから、より独自のイメージを作り出していこうとする欲求が、アーティストの側にも生まれはじめていた。トーガソンは、ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズとは高校時代の同級生であり、同じアートスクールで学んだのが、やはりピンク・フロイドのシド・バレットであった。そこから、彼らのセカンド・アルバム『神秘』のジャケット制作を依頼されたのが、その後の関係の発端だった。以後、ほとんどのピンク・フロイドのアルバムのアートワークを手がけ、さらにはレッド・ツェッペリンとの仕事などを通じて、音楽やアーティストそのものが直接表されない、抽象度の高い、ヒプノシスの仕事とその感覚の理解者を増やしていった。
シュルレアリスムの手法を導入した「ヒプノシス」のイメージ制作手法
ヒプノシスが手がけたレコード・ジャケットでもっとも知られたもののひとつは、ピンク・フロイドの『原子心母』だろう。筆者がヒプノシスの仕事をはじめて見たのも、おそらく『原子心母』だった(もしかすると『アニマルズ』だったかもしれないが)。もちろん、アルバムの発売とは時期がずれていてリアルタイムではないし、それがヒプノシスによるものだということを認識したのも後になってのことだ。レコード屋の店先で出会ったのか、いわゆる洋楽を聴き始めたころだったのだろう、情報としてロックの名盤とされるものを追いかけていたころ。そこへ、まるでアンディ・ウォーホルかポップ・アート作品のように、図鑑的にフラットに撮影された牛の写真をあしらった、端的に独立したアート作品と言われても何の違和感もないようなジャケットを目の前にした時の困惑。それは、当時やはりピンク・フロイドの、たしか『おせっかい』のライナーノートではじめて知った「デペイズマン(異質なものが組み合わされること)」という言葉とその手法が生かされたものだった。ヒプノシスのイメージ制作手法は基本的には写真のコラージュによっているが、美術のシュルレアリスムの手法を導入し、パッケージのイメージと内容である音楽との間に、この場合はタイトルとも、亀裂を生じさせる。『ATOM HEART MOTHER』(原子心母の原題)がこの牛なのか、なぜ裏面の三頭の牛のうち一頭が楊枝をくわえているのか、というようなアートワークの中に謎を忍ばせる手法。ビートルズの『アビー・ロード』のジャケットにおいて、ポール・マッカートニーが素足であることから死亡説を巻き起こしたことを思い出してもいいだろう。両者のつながらない意味のあいだに、リスナーそれぞれの意味が創造されることで、固定化されない複数の解釈が副次的に生成される。
アーカイヴから発掘されたアウトテイクなど、15年間の貴重な未発表写真が満載!
商業的なアーティストのジャケットや宣伝材料は、当然クライアントの選択によって残されたもののみが使用され、不採用のものはお蔵入りしてしまう。この『ヒプノシス・アーカイヴズ』は、完成形としての作品ではなく、そのタイトルが示すように彼らのアーカイヴから発掘された、彼らが活動した15年の間に生み出された、素材となった写真、デザインラフ、アウトテイク、インナースリーヴに掲載されたアーティストの写真といった、日の目を見ることができなかった貴重な未発表写真が満載されている。それぞれのアーティストとの仕事の回想録であるイマジネーションと図版のリアリゼーションの二部構成になっており、採用されなかったローリング・ストーンズの『山羊の頭のスープ』のアートワーク案、ピーター・ガブリエルの全裸レーベルなどが含まれ、その舞台裏が語られている。

また、ピーター・ガブリエルの顔面が溶解していく(ジョン・コルトレーンの『夜は千の眼を持つ』を思わせもする)、1980年のソロ三作目通称「メルト」は、白黒の画面がどこかサスペンス調の雰囲気を持ったジャケットで知られるが、オリジナルはインスタント写真のポラロイドで撮影されたカラー写真である。それは、コンピュータ時代以前であり、ポラロイドのフィルムが乾く前に、その表面に触れて物理的にイメージを変形させるという手法で制作され、写真と絵画が融合しているような効果を持つ。撮影したその場から、次々とスタッフ全員が自ら写真を加工していったそうで、本書では、そのアウトテイクも収録されている。
「ヒプノシス」3人目のメンバー、ピーター・クリストファーソンの存在
もうひとつ、ヒプノシス3人目のメンバーであるピーター・クリストファーソンが、インダストリアル・ミュージックを標榜した、スロッビング・グリッスルのメンバーでもあったということも特筆すべきであろう。当初はアシスタントとして加入したクリストファーソンの感覚を、トーガソン、パウエルともに非常に高く評価していたという。そして、やはりと言うべきか、彼が提案するアイデアは一般的な感覚からすれば、あまりにもセンセーショナルにすぎ、それは音楽産業の中ではしばしば却下されていたのだという。なにしろ、ヒプノシス加入以前は病院の死体安置室で働いており、その死体を撮影したものをポートフォリオとして持参し、それがクリストファーソンの技量をトーガソンとパウエルの目に留めさせることになった。(ということなど、本書にはその他にも多くのエピソードが掲載されている)しかし、それでもクリストファーソンは自身の感覚を、ヒプノシスというブランドイメージの中でなら世に問うことができると思っていたという。ただ少女のイメージをあしらったにすぎない、スロッビング・グリッスルの『D.o.A』のアートワークが、よくよく見てみるとなにか不穏な感情をかき立てるものに見えてくるように、クリストファーソンの感覚はまちがいなくヒプノシスを特徴づける重要な要素を担っていた。しかし、音楽産業からはそうした彼の感性になかなか理解を得ることができなかった。そして、以降仕事としてヴィジュアルを扱うことはなく、自身の音楽活動であるサイキックTVやコイルへと専念していくことになる。そして、それこそが、ロックの時代からパンク、オルタナティヴの時代を架橋する、時代の変化を象徴する出来事のように見えてくる。そして、1983年にヒプノシスは解散することになる。