いま〈ベトナム〉を再訪する意義について
フランスの映画作家クリス・マルケルの呼びかけに5名の先鋭的な映画作家らが賛同し、製作された伝説的なオムニバス映画。1967年当時のベトナム戦争は世界の見解を二分する争点となっていたが、本作はあくまでも〈侵略と戦うベトナム人民〉への連帯を表明する。名だたる監督たちは、このパートはわたしの作品だが、他はそうではない、といった明確な線引きに関心を示さず、そんな意味で本作は映画界のある種の潮流となった〈集団制作〉の先駆けでもある。たとえば、マルケルはこの直後にブザンソンの労働者らとメドヴェトキン集団を組織し、ジャン=リュック・ゴダールもジガ・ヴェルトフ集団を名乗るようになる。個人による(作品の)〈私有〉というブルジョア的な思考や所有形態の解体を目指してのことだった。

ただし、本作において自作への署名を最も鮮明に刻むのがゴダールである。彼のパート「カメラ・アイ」では、映画作家本人が唯一の登場人物として大きなカメラの背後でファインダーを覗き込むなどする画面に彼の声によるモノローグが重なる。そして、鏡のなかの自分を映すナルシシズムめいた構造の同作でのゴダールのコメントこそが、結局、映画全編の主張を集約するのだ。〈西欧〉の映画作家は、いかに情熱的かつ戦闘的であろうとも、ベトナムとそこでの戦争から遠く離れたナルシスでしかない。だから、フランスの労働者たちの戦いをベトナムでのそれにモンタージュしよう。われわれの内部に〈第2、第3のベトナム〉(チェ・ゲバラ)を発見するために……。
60年ほどが経過し、アメリカ合衆国は今も尊大な態度で悪質な戦争を遠く離れた地で展開させている。そして、わたしたちはといえば、石油や関連商品の流通や価格ばかりに一喜一憂してはいないか。本作を久々に見直す者の胸に去来するのは、世界は何も変わっていない、という忸怩たる思いかもしれない。しかしだからこそ、本作は今もアクチュアルであり続け、新たな観客に開かれる。