タワーレコード新宿店~渋谷店の洋楽ロック/ポップス担当として、長年にわたり数々の企画やバイイングを行ってきた北爪啓之さんによる連載〈聴いたことのない旧譜は新譜〉。そのタイトル通り、本連載では旧譜と称されてしまった作品を現在の耳で新譜として紹介していきます。
第16回は、かつて桑田佳祐が期間限定で結成し、今年40周年を迎えたKUWATA BANDに注目。桑田にとってKUWATA BANDとは何だったのか。北爪さんが当時の思い出ととともに迫ります。 *Mikiki編集部
サザンのイメージに縛られない〈期間限定の新バンド〉
サザンオールスターズが活動を休止していた1986年、桑田佳祐は〈1年間限定〉のバンドとしてKUWATA BANDを結成した。
始動した時点からすでに終りが約束されているという刹那性もさることながら、さらに特異なのは、ひとつのバンドの中にまるで異なる2つの表現が同居していたということだ。
KUWATA BANDはその短い活動期間中に4枚のシングルと1枚のオリジナルアルバムを残している。他にライブアルバムもあるが、ここではシングルとオリジナルアルバムの、じつに対照的な関係に注目したい。 シングルが日本語詞なのに対して、アルバム『NIPPON NO ROCK BAND』の収録曲は全編英語詞。しかもシングル曲は1曲も収録されていないのだ。
当時の桑田は英語詞によるロックアルバムにかなり意欲的だったようである。そして、そのサウンドも60s~70sの英米ロックを当世風にアップデートしたような、きわめて硬派かつ洋楽志向の強いものだった。おそらく『NIPPON NO ROCK BAND』という大上段に構えたタイトルには、相応の覚悟(と多少のアイロニー)が込められていたのだろう。ともあれ、〈日本の国民的バンド〉に上りつめつつあったサザンの音楽性とはだいぶ様相を異にしていたのである。
一方で、日本語詞によるシングル曲はどれも桑田らしい明快なポップチューンに仕上げられている。
なぜ桑田はシングルとアルバムで表現方法を変えたのだろうか。そのギャップについては当時リアルタイムで接していた僕も不思議に感じていた。シングルはどれも大好きだったのに、アルバムを聴いたときには正直なところかなりの戸惑いがあったのだ。
桑田にはすでにサザンオールスターズという大看板があったが、裏を返せば、どれだけ新しいことをやってもサザンという大きな文脈からは逃れられないということでもある。 前年にリリースした『KAMAKURA』はまさにそのことを象徴するような大作アルバムで、あれほど多様な音楽性と実験的なサウンドを詰め込んだ作品でも、つまるところはサザンの新作として受け止められるのである。
ところが〈期間限定の新バンド〉であるKUWATA BANDでは、そうした既存のイメージに縛られる必要はなかった。
シングルは、レゲエ調だったりファンキーだったりバラードだったりという違いはあれど、どの曲もある意味サザン以上にオーソドックスで〈わかりやすい〉ポップソングに徹している。それは1,800時間を費やして複雑なサウンドプロダクションを施した『KAMAKURA』からの反動もあるように思えるが、ここでは難しいことを考えず、自分が得意としてきたキャッチーな歌を思い切り楽しんでいるようにも聴こえる(そう、KUWATA BANDは直感的なのである)。
結果オーライ。4枚のシングルすべてがオリコン週間チャートの3位以内に入ったばかりか、“BAN BAN BAN”は「ザ・ベストテン」で5週連続で1位を、そして同番組の年間ランキングでも1位を獲得。さらに“スキップ・ビート(SKIPPED BEAT)”、“ONE DAY”は当時まだサザンも成し遂げていなかったオリコンチャート首位に輝いたのだから。
桑田佳祐が語ったサザンとKUWATA BANDの関係性
その一方で、アルバムは英語詞と硬質なロックサウンドによってまったく違う表情を見せている。 シングルのように楽曲としての良さを強調するよりも、ロックバンドとしてのダイナミズムや一体感に重きを置いているのは明らかだ。こちらもオリコンのアルバムチャートで4週連続1位を記録している。
平たく言えば、シングルでは日本語のキャッチーなポップス、アルバムでは英語による本格的なロック、両者をそれぞれ別の方向へと潔く振り切ったのである。そして、その振れ幅を良くも悪くもそのまま抱え込めてしまうことに、KUWATA BANDというバンドの特殊性があったのではないだろうか。
もっともアルバムに関しては当時から批判の声も多く、のちに桑田自身も〈失敗作〉と語っているようだ。だが、ここで英語詞のアルバムという極端な実験に取り組んだからこそ、後年のソロにおける“東京”のような文学的叙情や、“声に出して歌いたい日本文学〈Medley〉”のような発想が生まれたようにも思える。
とにもかくにもKUWATA BANDには、長期的なビジョンをさほど考える必要のない学生の部活動のような、限られた時間のなかで思い切り好きな音楽に打ち込む刹那の楽しさがあったように思う。考えてみれば、そんなプロのロックバンドはそうそういない。
なお桑田本人は1987年刊行の自著「ブルー・ノート・スケール」の中でサザンとKUWATA BANDの関係性についてこう語っている。「ホントに不倫だったみたい(笑)。一緒にいると幸せだけど、どっちかと別れるとか言うとすべてオシャカになっちゃうから、それは言わないでとりあえず取っといて走れるだけ走ってみよう、みたいな」。いかにも桑田らしいたとえで面白い。
ところで、この原稿を書いている最中にふと気がついた。4枚のシングルを並べてみると、“スキップ・ビート”を除く3曲の歌詞には、すべて〈夏〉が登場するのである。それもただの夏ではない。
1枚目の“BAN BAN BAN”では〈別れるために出逢う二人に/夏は訪れる〉。7月に“スキップ・ビート”と同時発売された“MERRY X’MAS IN SUMMER”では〈恋は真夏のHistory〉。そしてラストシングルの“ONE DAY”では、〈夏にお別れ今宵Oh, poor boy.〉と歌われている。つまりリリース順に聴いていくと、夏の始まりから盛夏、そして終りという時間の経過が描かれているのだ。それはまるで、自らの定められた活動期間を一つの季節として表現しているようではないか。もちろん桑田がどこまで意識していたのかはわからないけれど、どうにも出来すぎているような気もする。
1986年、突然現れてあっという間に去っていった
さて、あれこれ御託を並べてみたが、それはあくまで2026年の、しかも音楽ライターという視点によるものだった。そこで、最後に少しだけ昔話をしてみたい。
1986年、中学2年生の僕は50sのロックンロールに触れたことで音楽を聴き始めてはいたが、日本のロックや歌謡曲に関してはほとんど無知だった。じつはサザンオールスターズも名前を聞いたことがあるという程度の認識だったのだ。
そんな折、たまたまテレビで見かけたKUWATA BANDが歌う“スキップ・ビート”にとんでもなく衝撃を受けてしまったのである。あのときの感動を言葉で表すのは難しいのだが、一言でいえばとにかく〈無茶苦茶カッコよかった〉のだ。興奮のあまり、カセットに録音した“スキップ・ビート”を父親に無理やり聴かせたところ、「グループサウンズみたいだな」と軽く流されたのを昨日のことのように憶えている。
そしてまた、お盆の親戚の集まりで年上のイトコにKUWATA BANDがお気に入りだと伝えたところ、桑田はサザンの人であると初めて聞かされたことも思い出した。僕はあの夏、モノトーンの英字新聞柄の開襟シャツと、母が買ってくれた白いツータックのパンツがお気に入りだったのだ。
そうだ、彼らほど明瞭に〈その年の記憶〉と結びついている音楽は他にない。なにしろ活動していたのは1986年(解散コンサートは1987年に開催)というたった1年間だけだったのだから。
それから当然のようにサザンを聴き、日本のロックやポップスにも馴染むようになっていった。それでも僕にとって、あの夏に突然現れてあっという間に去ってしまったKUWATA BANDはなによりも特別なのだ。
つまりは“MERRY X’MAS IN SUMMER”の歌詞の通り。
〈Show me please. 忘られぬ ああ 夏の日よ/振り返れば風の中で/神様が佇むこの街〉
PROFILE: 北爪啓之
1972年生まれ。1999年にタワーレコード入社、2020年に退社するまで洋楽バイヤーとして、主にリイシューやはじっこの方のロックを担当。2016年、渋谷店内にオープンしたショップインショップ〈パイドパイパーハウス〉の立ち上げ時から運営スタッフとして従事。またbounce誌ではレビュー執筆のほか、〈ロック!年の差なんて〉〈ろっくおん!〉などの長期連載に携わった。現在は地元の群馬と東京を行ったり来たりしつつ、音楽ライターとして活動している。NHKラジオAM「ふんわり」木曜日の構成スタッフ。




