憧れのステージへ一歩踏み出したのは14年前。それから彼女はいつも率直に、がむしゃらに足取りを進めてきた。もちろん、年を経るごとに否応なく時代は変わり、周囲の環境も変わり、彼女自身も変わっていく。それでも音楽に向かうストイックな姿勢と、信じるものへの愛は変わらないだろう。攻めの15年目。倖田來未は立ち止まらない

 


 

 昨年の12月6日――新木場のSTUDIO COASTにて、〈デビュー15周年イヤー突入記念ライヴ〉を行った倖田來未。これまでのシングル曲すべてを計4回の公演で披露すべく、カウントダウン形式のノンストップ・メドレーで披露したことも話題となったが、かつて初のワンマンを行った大切な場所を選んだのもオーディエンスとの親密さを大事にしてきた彼女らしいし、改めて自身の足跡を振り返る意味ではこれ以上ない舞台だったのではないだろうか。

 何と言っても、活動15年目である。彼女をまるで知らないという人はそう多くないだろうし、それゆえの高すぎる有名税を支払ってきたことを知る人も多いだろう。いずれにせよ、ある種の勝手なイメージや虚像が一人歩きせざるを得ないほど、〈倖田來未〉は大きな名前であり続けている。だからこそ……と言うべきか、表現のクォリティーを高めているストイックな姿への認識が知名度に比例しているとは思わない。倖田來未の真価は今も昔もその作品にあり、パフォーマンスにある。しかも、それは現在進行形なのだ。


遠かった成功と、その凄まじさ

 2000年12月6日、倖田來未はシングル“TAKE BACK”にて日本デビューを果たした。わざわざ〈日本デビュー〉と記すのは、その1か月前にKODA名義で全米デビューしていたからだが、同曲の英語版がビルボードのダンス・チャートで初登場20位を記録したというトピックも響かず、日本ではオリコン最高59位という結果に終わっている。当時のレーベル側はTV露出をせずに〈実力派〉という評判を高めていこうという戦略だったようで、もちろんそれに相応するものを彼女があらかじめ備えていたのは確かだろう。それでも有望新人としては大人しめのデビューだったことは否めない。

【参考動画】倖田來未の2000年のシングル“TAKE BACK”

 

 そんな倖田來未は82年生まれ。出身は京都で、尺八の師範だった祖父や、琴の先生だった母親の影響もあり、幼い頃から扇舞や日本舞踊を習っていたという。歌への目覚めはカラオケが上手かった母親に憧れたことがきっかけだそうで、小学生になると歌手を夢見て数多くのオーディションに応募するようになる。芸能の世界へ憧れる生活は高校生まで続くも、なかなか実を結ぶことはなかった。転機が訪れたのは、進路の決定を迫られた高校2年生の時だ。彼女が区切りとして応募したのは〈avex dream 2000〉なるオーディション。結果的にdream(現Dream)を輩出したこの大会において、彼女は準グランプリを受賞している。そして育成期間としてレッスンを受け、高校3年生の冬にデビューを飾ったのだった。

 翌2001年に2枚目のシングル“Trust Your Love”を発表して以降もリリースはコンスタントに続く。が、確かな歌唱力を支えるR&Bベースの音楽性や本人の詞作にポテンシャルを感じさせながらも、セールス的には浮上せず。途中に『real Emotion/1000の言葉』(2003年)というスマッシュこそ生まれたものの、クラブでのパフォーマンスを中心とする長い下積みの日々は続いた。が、こうした一連の経験が負けん気や上昇志向を育み、現在にまで至る倖田來未のパフォーマンスを作る下地となったのは間違いないだろう。

【参考動画】倖田來未の2004年のシングル『LOVE & HONEY』収録曲“キューティーハニー”

 

 そして2004年、同名映画の主題歌“キューティーハニー”を含むシングル『LOVE & HONEY』が大ヒット。満を持してTVに進出した彼女は露出度の高い衣装やパフォーマンスでお茶の間の度肝を抜き、〈エロかっこいい〉という形容と共にその名を拡散することとなった。親しみやすい京都弁やぶっちゃけ系のトークで知られはじめたのもこの頃からだ。翌年には歌謡性の高さとセクシーなイメージをより強調する“Butterfly”がオリコン2位まで上昇し、勢いを緩めずリリースしたベスト盤『BEST~first things~』はついにミリオンを突破。暮れから2006年にかけては前代未聞の12週連続でシングルをリリースし、その第1弾“you”では初のオリコン首位に輝いている。こうしてトップへ威勢良く駆け上がった彼女ではあったが、その真価がいよいよ研ぎ澄まされていくのはここから先のことだった。

 


 

更新されていく表現への貪欲さ

 2007年11月に初の東京ドーム公演を敢行。年明けの意欲作『Kingdom』では先鋭的なアーバン・サウンドが世界同時にメインストリーム化していく状況にシンクロしてみせた。同作はノンプロモーションだったもののチャートを制し、逆に彼女の存在が単なるブームで終わらないことを結果的に証明した。さらに“TABOO”と“stay with me”のNo.1ヒットを含む7作目『TRICK』(2009年)では、規範とするR&Bやヒップホップ、エレクトロなどをプログレッシヴなまま普通にコマーシャルなポップスとして提示していくという、現在に至るまでの〈倖田來未スタイル〉が明快に再設定されたように思う。特に、当時〈ヴァイブ・ミュージック〉と呼ばれたアーバン×エレクトロの潮流をいち早く掴んだ“TABOO”を耳にして、そのヤバさに気付かされたという人は多かったのではないだろうか。

【参考動画】倖田來未の2009年作『TRICK』収録曲“TABOO”

 

 ブームの凄まじい瞬間最大風速に己が吹き飛ばされることなく、攻める姿勢を作品作りへとフォーカスした好作用は、デビュー10周年を迎えるにあたってベスト盤を出すところを、オリジナル・アルバムも作り上げて『BEST~third universe~ & 8th AL "UNIVERSE"』(2010年)というセットで出してしまうほどの勢いにも表れていた。初のカヴァー・アルバム『ETERNITY~Love & Songs~』も残したこの10周年イヤーにおいては日本の女性アーティストで初の横浜スタジアム2DAYS公演も行われ、2度目の東京ドーム公演で締め括られている。

 

 

 2011年には休みなくアルバム『Dejavu』を完成させる一方、プライヴェートでは12月に結婚という大きな転機を迎えるが、その直後となる年明けのアルバム『JAPONESQUE』が、より広く海外の作家を登用してこれまた野心的な内容になっていたのは彼女らしい。なお、出産を経て10月にリリースした復帰シングル“Go to the top”はオリコン首位を獲得。私生活の変化に伴って作品が丸みを帯びるどころか、さらに先の高みをめざしていく意欲を表明している。2枚目のカヴァー集『Color the Cover』(2013年)を間に挿んでの『Bon Voyage』(2014年)では世界中を航海するかの如くショーン・ポールや台湾のOVDSも乗船させ、ブーティー・チューンからEDMポップまでダンス・トラックを中心にして一段上のエンターテイメント世界を構築することに成功したのだった(EDMと安直に括るのもアレだが、その呼称がバブルを迎える以前から彼女がダンス・ミュージックにコンシャスだったことは強調しておきたい)。

倖田來未 WALK OF MY LIFE rhythm zone(2015)

 そして……このたび届いた新作『WALK OF MY LIFE』もまた、エッジの鋭く立ったサウンド像をさらに貪欲にアップデートしつつ率直な心情も吐露した、つまりは現在進行形の倖田來未を満載した充実のアルバムに他ならない。本作を引っ提げての大規模なアリーナ・ツアーもすでに発表されているが、彼女の守るべきものが記録や数字そのものじゃないということはもはや言わずもがな。何より、この節目に乗じて倖田來未がさらなる進化を見せつけてくるのは明らかだろう。アニヴァーサリーの年はまだ始まったばかりなのだから。

 

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