シーンが変わりゆくなかで

 その後、東海岸ではネイティヴ・タンの勢力と並行してウータン・クランやブラック・ムーン、ナズ、ノトーリアスBIGといった新たなアーティストたちが次々と登場してハードコアなストリート産ヒップホップが猛威を奮いはじめ、そこにも関与したDJプレミアやピート・ロックらの作り出すビートがストリートで人気を博すようになる。一方、西海岸ではドクター・ドレーやスヌープ・ドッグ、サイプレス・ヒルら、いわゆるギャングスタ・ラップが全米規模での大ヒットを放ってセールス的にも大きな成功を収め、南部からはアウトキャストやUGK、ゲトー・ボーイズらを筆頭とするローカルな顔ぶれにスポットが当たりはじめ……と、ヒップホップ・シーンは商業的な成長も含めて急速な変化を遂げていくことになった。その結果、少し前までは〈フレッシュ〉と持て囃されたデ・ラの存在感はやや薄まっていく。そんな時代背景も影響したのか、作品のリリースとしては少しブランクが空き、4枚目のアルバム『Stakes Is High』が登場したのはおよそ3年後の96年のこと。ここではプリンス・ポールと袂を分かち、先行カットされた表題曲では前述のファーサイド作品でのプロデュース・ワークで名を上げたデトロイトのジェイ・ディーをプロデューサーとして起用。後にJ・ディラと名乗る彼は、ATCQのQ・ティップ、アリと共にプロダクション・チームのウマーを結成し、同時期に出たATCQの『Beats, Rhymes And Life』にも大きく関与している。デ・ラのアルバムのほうはグループのセルフ・プロデュースがメインとなってジャズやソウルのサンプリングが際立ち、セールス的には苦戦するものの、いつになく辛辣なシーンへのメッセージも込め、また複数のプロデューサーを起用するなどして進化を感じさせる内容となっており、今作をデ・ラのベストに選ぶ人も少なくないはずだ。

 2000年には新たに3部作の制作をアナウンスし、その第1弾となる『Art Official Intelligence: Mosaic Thump』を、翌年には第2弾の『AOI: Bionix』をリリース。ビースティ・ボーイズのメンバーやバスタ・ライムズ、チャカ・カーンらが参加した前者からはレッドマンを迎えた“Oooh.”がヒットし、後者にはB・リアル(サイプレス・ヒル)やシーロー・グリーン、デヴィン・ザ・デュードらも参加、と意外な交遊も垣間見られた。ただ、当初は2002年のリリースと報じられ、DJたちに捧ぐ作品になるとも言われていた〈Art Official Intelligence〉シリーズの第3弾は、トミー・ボーイの閉鎖問題もあって結局リリースされず仕舞いとなり、デ・ラはレーベルを離れることとなる。2004年には7作目の『The Grind Date』をマシュー・ノウルズ(ビヨンセの父親)が指揮するサンクチュアリからリリース。ここではJ・ディラやマッドリブ、9thワンダー、ジェイク・ワンら、若い世代の気鋭プロデューサー勢を起用している。