誰もが真っ先に挙げる巨星ではなくとも、LAモータウンの歴史においてもブラックスプロイテーション映画史においても欠かせない輝きを見せたシンガー・ソングライターにして名裏方——何度でも輪廻し続けるウィリー・ハッチの功績をいまこそ振り返ろう!!
昨年のR&Bを代表するヒットのひとつにロー・ジェイムスの“Permission”があったが、この曲の魅力の半分はウィリー・ハッチ“Brother's Gonna Work It Out”の引用にある。ハッチの曲は彼がスコアを手掛けたブラック・ムーヴィーのサントラ『The Mack』(73年)に収録されていたもので、“I Choose You”と並んで定番サンプリング・ソースとしてお馴染みだ。これらがなぜ繰り返し使われるのかはいくつかの理由がありそうだが、ピンプを主人公とした映画のハードボイルド感を伝える音がヒップホップやR&Bのクリエイターに好まれたのだろう。ギターやストリングスを巧みに使った哀感の滲むファンキーなサウンドと男気溢れる熱いヴォーカルで泣きを誘いつつ気分を昂揚させる『The Mack』は間違いなく彼の代表作。ただ、オリジナル・アルバムではなくサントラである同作は歌い手であると同時にスコア制作者としての側面も強く、これが代表作となったところにハッチの立ち位置が見て取れる。
シンガー、ソングライター、プロデューサー、アレンジャー、そしてギタリストの肩書きを持つウィリー・ハッチことウィリアム・マッキンリー・ハッチンソン。1944年にLAで生まれ、テキサス州ダラスで育った彼は複数のローカル・グループを渡り歩き、出生地のLAに移った60年代半ばにダンヒルと契約してシンガー・デビューを飾った。その後、ワンショット契約したモダーンを経てソウル・シティに入社したハッチは、自身のシングルを出すと同時にフィフス・ディメンションの67年作『Up,Up And Away』にジミー・ウェッブと並んで作家として関わり、ポップ・ソウルな楽曲を提供。ソウル・シティではアル・ウィルソンやレーベル創設者のジョニー・リヴァースらにも楽曲提供をし、他レーベルでもバラッズなどに関わって裏方としての基盤を固めていく。
そんなハッチにメジャーから声が掛かるのも時間の問題だったようで、69年にRCAと契約した彼はジョン・フロレスの制作で2枚のアルバムを発表。ラフで熱気溢れる歌唱はサム・クックを彷彿させ、ソウル感覚とポップセンスが同居するあたりもサムの後継者的な印象を与えた。ただ、チャート的に振るわず、この時点では裏方としての活動が優位に。70年前後には当時スタックスにいたメイヴィス・ステイプルズやキム・ウェストンらにもハッチ作の曲が取り上げられたが、そんな彼のクロスオーヴァーなセンスと才能を買ったのがLAに本社移転を進めていたモータウンだった。
同社西海岸支部の象徴となったモーウェストにてGC・キャメロン、コモドアーズ、シスターズ・ラヴらに楽曲提供をしたハッチは、親レーベルにおいてもコーポレーションの補助的な立場でジャクソン5やマイケル・ジャクソンに関与。J5の“I'll Be There”を共作し、マイケルの“Got To Be There”などでヴォーカル・アレンジも手掛けて社内での評価を高めていく。その後、スモーキー・ロビンソンのソロ・デビュー作に共同制作者として抜擢され、ミラクルズらに関わっていくハッチの歩みはリオン・ウェアにも通じるが、つまり従来のソウル作法にとらわれない新しい感覚を持っていたということなのだろう。
また当時のハッチは、結果的にお蔵入りとなったがマーヴィン・ゲイ『Let's Get It On』(73年)のセッションにも参加。この時にハッチが制作した4曲は2001年に出された同作のデラックス盤にて初公開された(デヴィッドT・ウォーカーやエド・グリーンを起用したそれらは70年代にハッチ本人やGC・キャメロンのヴァージョンとして世に登場)。そこでのドラマティックなサウンドは前述の『The Mack』やパム・グリア主演映画のサントラ『Foxy Brown』(74年)にて明るみとなり、ハッチのシグネチャー・スタイルとして定着。96年にはインディーから打ち込みによるドス黒いグルーヴの『The Mack Is Back』を出すが、その表題が示すように本人も『The Mack』こそが自分自身だと考えていたのだろう。
モータウンからは73年の『Fully Exposed』を筆頭に純粋なソロ・アルバムも出し続け、グルーヴィー&メロウなセンスを発揮。ハッチ最大のヒット“Love Power”(75年:R&Bチャート8位)が誕生したのもこの時代だ。裏方としてもモータウン内に止まらず、南部のジェリー・ウィーヴァーらとも活動していた。が、78年ハッチはモータウン時代の仲間でもあったノーマン・ホイットフィールドが主宰するホイットフィールドに移籍。サイケデリック・ソウルをベースにしたファンク~ディスコを収めた2枚のアルバムで、かつてノーマンが手掛けたエドウィン・スターにも通じる逞しい熱血ヴォーカルを披露する。
この後シンガーとしてのハッチは82年にモータウンに戻って出したシングル“In And Out”までリリースが途絶えるが、80年代初頭には裏方として、ベンE・キング、グウェン・マクレー、スピナーズ、ディー・エドワーズといったアトランティック系アクトに曲を提供し、力強いグルーヴを注ぎ込んだ。そして、モータウンに復帰したフォー・トップスの85年作『Magic』に手を貸したハッチは、同じ年にモータウンからの8年ぶりにして最終作となる『Making A Game Out Of Love』を発表。ラップにも挑んだ同作からは新しい時代に立ち向かわんとする姿が窺えるも、次に出したのは94年のオムニ原盤作『From The Heart』で、その長い空白は時代と折り合いをつけるのに苦労した結果なのかもしれない。
2005年、還暦を迎えて1年足らずでこの世を去ったハッチ。アルバムはサンプリングなどで再評価が高まる2002年に出した『Sexalicious』が最後となったが、現在旧作がすべてCD化されているという事実は、天国の本人にとってもリスナーにとっても喜ばしい限りだ。