2014年4月18日(金)ブルーノート東京公演 2nd Setのステージより
Photo by Takuo Sato

秘められたメッセージの交歓、マルコス&ステイシー

 1943年生まれのマルコス・ヴァーリは、「ボサノヴァ第二世代」。カタエターノ・ヴェローゾやミルトン・ナシメントと同い年である。だが、若い頃からサーフィンで身体を鍛えていたこともあって、今でも見た目は、『ヴォンタージ・ジ・レヴェール・ヴォゼ 』(81年)のジャケット写真――日焼けした裸の上半身を堂々とさらしているこの頃とあまり変わっていない。育ちの良い、根っからの自由人という資質も含めて。とはいえ、こんな若々しいマルコスも、昨年デビュー50周年を迎えた大ベテラン。米国人女性ジャズ歌手ステイシー・ケントとの共演ライヴ盤は、このことを記念してリリースされた。

 「3年ほど前のある日、イパネマの海岸をドライブしていたら、カーラジオからとても美しいフランス語の歌が流れてきた。僕はすぐにその女性歌手の虜になったんだけど、アルバムを丸ごとかけるといった趣旨の番組だったので、誰が歌っているのかすぐには分からなかった。で、最後の曲が終わった後にやっとステイシー・ケントのフランス語アルバム『パリの詩』であることを知った。ちょうど車がリオの郊外にある自宅に着く頃にね(笑)」

MARCOS VALLE, STACEY KENT 『Ao Vivo Comemorando Os 50 Anos De Marcos Valle』 Sony Brasil/ソニー(2013)

 ステイシーの最新作『チェンジリング・ライツ』(13年)は、ブラジル音楽への深い愛と理解を表現したアルバム。ここではマルコスの“僕の好きな顔”も歌われているが、特筆すべきは、“酔っ払いと綱渡り芸人/スマイル”。これは、チャーリー・チャップリン作の“スマイル”の導入部にジョアン・ボスコの“酔っ払いと綱渡り芸人”を引用したカヴァーである。ヒトラーを鋭く風刺した映画「独裁者」を作り、赤狩りでハリウッドから追放されたチャップリン。もともと“酔っ払いと綱渡り芸人”の歌詞には、当時のブラジルの軍事政権への批判の暗喩として〈Carlitos〉(ポルトガル語のチャプリンの呼び名)が織り込まれており、ジョアン・ボスコは間奏で“スマイル”を引用することもあった。ステイシーの“酔っ払いと綱渡り芸人/スマイル”は、この原曲の逆のパターンというわけだが、本人に確かめてみたら、やはり前述した“酔っ払いと綱渡り芸人”の背景を把握していた。ステイシーはポルトガル語でも歌うが、それ以上にこうした点があまたいる〈ボサノヴァっぽい曲を歌うジャズ歌手〉との最大の違いだ。

 「そこまで理解してくれていて、とても嬉しいわ。私がブラジル音楽の魅力に目覚めたのは14歳の時、友だちの家に遊びに行ったら、たまたま『ゲッツ/ジルベルト』かかっていたの。もちろんポルトガル語は全然分からなかったけど、甘く美しいメロディに悲しみを感じ、その一方で、バチーダが持つリズム感には希望というか、ポジティヴなフィーリングを感じた。それ以来、私にとってブラジル音楽は心の故郷のひとつなの」

STACEY KENT 『The Changing Lights』 Parlophone/ワーナー(2013)

2014年4月18日(金)ブルーノート東京公演 2nd Setのステージより
Photo by Takuo Sato

 共演ライヴ盤には、マルコスの『ジェット・サンバ』(05年)に収録されていたインストにフランス語の歌詞を付けた“ラ・ペティーテ・ヴァウセ(小さなワルツ)”が含まれている。てっきりステイシーがこのアイデアを提案したのかと思いきや、「僕がステイシーのことを知ったきっかけは、『パリの詩』だったので、ぜひフランス語で自分の曲を歌って欲しかったんだ」。そしてステイシーが続ける。「私の知り合いの詩人、バーニー・ポーベールをマルコスに引き合わせて、フランス語の歌詞を書いてもらったの。とても繊細な歌詞なので、私にとってこの曲を歌うことは、ひとつのチャレンジだったわ」。

 インタヴューの最後に、過去50年間にリリースしてきたアルバムの中からマルコス自身にとって重要なアルバムを1枚選んでもらった。それは、73年の『プレヴィザォン・ド・テンポ』。90年代にマルコスがクラブ・シーンで再評価されるきっかけとなったアルバムである。

 「このアルバムで僕は初めて自分でフェンダー・ローズを大々的に弾き、メロディやリズムの点でも、自分にとって新しいものを作ろうとした。だからメロディとリズムのコンビネーションが、それ以前とは異なっている。それとこの当時のブラジルは、厳しい状況を迎えていた。その意味でも、自分にとってすごく印象深いアルバムなんだ」