決して絶望しないために、微笑みをとっておこう
76歳の青年、マルコス・ヴァーリの新作から発される一筋の光

 リオの浜辺にあるペントハウスに何番目かとなる若い妻と悠々自適に暮らす、〈76歳の青年〉は今ほんとうに絶好調だ。

 ボサ味も愛でる在米ジャズ歌手であるステイシー・ケントとの数年前の共演作群においては、ヴァーリの高いジャズ的潜在能力が瑞々しく出ていて驚かされることしきり。だが、70年代には同時代感覚をたっぷり宿したブラジリアン・ポップ作群を出している~リオン・ウェア(cf.マーヴィン・ゲイ)と作曲協調をしたりもしましたね~この好漢の肝は、風通しの良いメロディアス表現にあるのは疑いがない。英国ファー・アウト発の2019年作『センブリ』は80年代的ダンサブル調のサウンドのもと彼のそうした資質が全開されていて好評を受けたが、順調に出されるこのブラジルのデック発の新作もまた、これぞヴァーリという味の良さを存分に持つ。

MARCOS VALLE Cinzento Deckdisc/ソニー(2020)

 そうそう、これこれ。いくばくかの甘酸っぱさとともに、色男一流の照れやしなやかさや都会感覚が宙に舞う。当人のプロデュース/アレンジのもと前作と比すならもう少しアダルトなサウンドやジャジーさも介して、彼の天衣無縫なメロディ感覚やブラジルの機微が存分に表われる。ああ、チャーミングで、憎めなくて、洒脱なヴァーリがここにいる。

 クレジットを見ておおっと思わされるのは、エミシーダ、モレーノ・ヴェローゾ、ドメニコ・ランセロッチ、カシン、ジョルジ・ヴェルシーロら若い才人たちがヴァーリのメロディに歌詞をつけていること。若い世代とのやり取りはきっと彼にインスピレーションを与え、それは豊かな広がりや新たな成熟を与えることにつながっているのではないか。インストゥメンタルも2つ収められ、それも本当に肌触りがいい。

 アルバム表題は灰色という意味とのこと。透明のヴェールごしのご尊顔のアップのジャケット・カヴァーも意味ありげだが、それらは今の不穏なブラジルや世界の社会状況を憂う気持ちが表れたものという。なかには“シ・プロテージャ(自分を守れ)”というグルーヴと訥々さを交錯させた曲もあり、そこでは〈決して絶望しないために、微笑みをとっておこう〉と歌われる(その作詞は、ジルベルト・ジルの息子のベン・ジル)。うーむ、この新型肺炎禍にあるなかヴァーリ会心の新作を聴くと、なんとも得難い安らぎや活力を得てしまうのは確か。今のぼくにとって『シンゼント』は纒わざるをえない暗い鎧を溶かす、すこやかな太陽の光のように思えたりもする。