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【世木トシユキの台南洋行】第8回 融化橋(Melting Bridge)、台湾のアンビエント・デュオにインタビュー:後編

台南インスパイアのエクスペリメンタル・ミュージックはいかにして生まれたか?

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カリフォルニア出身/台湾在住のアメリカ人ミュージシャン、ジョン・タッカー(John Tucker、ギター/シンセサイザー/各種伝統楽器など)と、台湾人ミュージシャン、ピア・シェイ(Pia Hsieh、ヴォーカル/シンセサイザー/サンプラー)からなる、融化橋(Melting Bridge)。彼らは、この連載のテーマである台南にインスピレーションを得て、台湾を拠点に活動している新進のアンビエント・デュオだ。

2月19日(水)にリリースされる彼らの日本デビュー盤『我們從明天來(英題:We Come From Tomorrow)』のライナーノーツより、世木トシユキが融化橋へ行ったインタビューの後編をどうぞ。 *Mikiki編集部

※融化橋(Melting Bridge)インタビュー:前編はこちら

融化橋(Melting Bridge) 我們從明天來 MIDI CREATIVE(2020)

『我們從明天來』収録曲“古箏故障 Guzheng Malfunction”

 

――アメリカにいた頃の音楽活動について話してくれる? 音楽の原体験とか、それがどう今のスタイルへと進化していったかについても聞きたい。

ジョン・タッカー(融化橋)「原体験としては、幼い頃にラモーンズを聴いたことかな。もともと音楽好きの一家に育ったから、ジャズとか、色々な音楽に触れていたんだ。ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイ、とにかく音楽はずっと周りにあった。

より本格的に音楽に没頭するきっかけとなったのは、ある日、悲しいことがあった時に音楽がはけ口になったことかな。僕が幼少期を過ごしたエリアはかなり郊外で、レコード屋が一つしかなかった。幸運なことにそこのオーナーはかなりの音楽好きで、こんな小さな町で風変わりなレコードを買う客が僕だけってことに気付いたんだ。それで色々な音楽を紹介してくれるようになった。彼は僕の聴く音楽の範囲を押し広げてくれた。シド・バレットとかインクレディブル・ストリング・バンドとかさ、当時はサイケデリック・ロックが好きだったからね。ラヴィ・シャンカールなどのインド音楽に、フェラ・クティなんかのアフリカ音楽も紹介してくれた」

――いい趣味しているね、そのオーナー。

ジョン「そうなんだよ。とてもセンスのいい人で。今でも覚えているんだけど、彼が店を閉めることになって最後に会いに行った時、ちょっとセンチメンタルになっちゃって。なんて声をかけていいのか分からなかったんだけど、「色々な音楽を教えてくれてありがとう」と伝えたよ。

その後は長いことブルースに興味があったんだ。ジョン・フェイヒーとか、いわゆるアメリカーナだよね。アメリカン・プリミティヴというか。大学への進学を機にコロラドに住み始めてからは、詩や東洋美術について学んだよ。コロラドの景色がアメリカーナへの傾倒に拍車をかけたのかもしれない。なんていうか、〈どこでもない〉感じというか、山が連なっててさ」

――結構、住まいを転々としてるんだね。

ジョン「そうなんだよ。中西部のコロラド、西海岸のオークランド、そしてサンフランシスコ。一時期フィラデルフィアにも住んでいて、色々なアーティストと交流してフラフラしてたんだけど、そこで初めて本物のボヘミアンと言われている人たちに出会えたよ。彼らはその日暮らしで、自身のアート作品を売ったりしていたな。

大学卒業後はオークランドにいた友達からバンドに参加しないかというオファーがあって、二年間くらい一緒に音楽をやっていたよ。その時やっていたのは文学的な音楽というのかな、とにかく文学に多大な影響を受けていた。ドラムマシンやギター、シンセサイザーを使ってね。だけど、フォーカスしていたのは詞だった。

その後、友達は東海岸に戻ることになったから、僕はオークランドで一人で音楽を作り始めた。当時のオークランドはヒップホップが主流で、僕はヒップホップを作る事はなかったけど、音楽によりリズムを用いるようになった。それでも、それまでやっていた〈文学的音楽〉の名残はあったから、言葉主導で音楽制作をしていたと思う。音楽的にもすごく構成がしっかりしていて、抑揚もダイナミックなものだった。

でも、オークランドは都会だし、とにかくたくさん働かないと生計を維持できないんだ。だから当時はレストランの厨房なんかで働いたり、副業もしてた。いずれも割りのいい仕事だったから、一気に稼ぐことでしばらく音楽に専念する時間ができるんだ。それは僕にとってはバランスのいい生き方だった。自分の音楽、そして芸術を経済的に支援するためにね」

――なるほど。

ジョン「そんな生き方をしてると、普通の人とは生活サイクルがまるで違ってくるから、自分がアウトサイダーであるという意識はかなりあったよ。やってることも世捨て人みたいなものだからね。そして、それが自分の音楽にとってのテーマにもなっていった。時間もふんだんにあったから、建築プロジェクトを進めている友人の誘いでネイティヴ・アメリカンのナバホ族の居留地を訪れたこともあった。その友人たちはドキュメンタリーの制作をしていて、僕はその音楽を作ることになったんだ。さっきも話していた〈原初のマインドセット〉はここで芽生えたのかも。これの本当の意味について深く考えさせられるんだけど、宗教学や社会学、環境学、文化や言語など、ありとあらゆるカテゴリーの交差点にそれは存在しているのかもしれない。

ナバホの居留地では何もかもが西洋と違っていた。彼らの宗教的な感覚は、もはや本能的なものなんだ。〈日曜日には教会に行って〉みたいな、そういう類のものではないんだよ。共に過ごしてみて、彼らの生活の根幹を成しているものが宗教なのだと感じたな。彼らのやる事なす事全てが継続的に実践されているものなんだよ。

ある時、ナバホの居留地でカサンドラというとてもクールな女性に会った。僕は彼女の話し声をレコーディングしたりして音楽制作をした。都市にいた頃は、オーディエンスの事とか知名度を高める事とかにとらわれていたけど、居留地に行き、そういった環境から完全に隔離されたことで、僕の音楽へのアプローチも変容していったんだよね。都会で、競争的でキャリア・ドリヴンな環境に僕はいるべきではない、そもそも僕の性格にも合わないし、と気づいて。僕はこの都会で一体何をしているんだろう、いつまでも世捨て人でいるわけにはいかない、という気持ちも湧いてきた。それで、居留地から都市へ戻った時、自分の人生について考え直したんだ。

まずは手堅い仕事に就くことを決めて、寿司職人になろうと思ったんだ。だけど、どうやってなればいいのか皆目見当もつかない。だからまずは、寿司バーで皿洗いから始めた。そうすれば徐々に寿司の握り方も教えてもらえるはずだからね。するとその寿司バーは中国人ばかりで、周りは広東語で話していたんだ。全く言語を理解できない環境に身を置いたのは、その時が初めてだったかもしれない。でも、思えば僕は母国でもずっとアウトサイダーだったから、今更そこで孤独感を感じることもなかったんだよね。むしろ居心地が良かったし、自然に思えたんだ。その体験は僕にとって大きなことで、そこからどうすれば海外に移住し生計を立てられるのか考え、英語教師の免許を取得して、紆余曲折あって台南にたどり着いたわけさ。けど、結果的に良かったと思っているよ」

――ワオ、随分とドラマティックな展開だね。ジョンにとっては自然だったのかもしれないけど、運命の神秘を感じるエピソードだよ。こうやって今ここで僕たちが話しているのも、全くの偶然の様な気すらする。

ジョン「全くだね。あともう一点、相方のピアとどう知り合ったかについては触れておくべきだろう。まだサンフランシスコにいて、台湾に発つ数日前のことだった。友人たちと〈さよならパーティー〉的な名目で、遊びにいったんだ。終電も逃して、みんなでミッション地区をビール片手にだらだらと歩き回っていた時に、友人の一人が、道の反対側にいる人たちに向かって叫んだんだ。どうやらその中の一人が彼の知り合いだったようで、そこに台湾から戻ってきたばかりだという人がいた。全くの偶然で、僕のほうはこれから行くところなんだ、なんて話をして。すると彼は「僕の友達のピアに会うべきだ」と言った。

彼によると、彼女は頭を剃っていて、それが台湾ではとても珍しい、とのことだった。早速、連絡を取ってみることにしたんだけど、何故だか連絡がつかなったんだ。それで台北でライブを観に行った時、バー・カウンターにいるスタッフらしき女の子が髪の毛を剃っていて、彼から聞いていた姿とも一致したから、もしやと思って話しかけて、カリフォルニアでの事とか、色々とヒントを小出しにしていったら、結果的にピアだということが判明したんだ。そこから友達になったんだけど、お互い音楽をやっているということを知るまでに、6か月近くかかった。そして、お互いのSoundCloudを紹介し合って、一緒にこのプロジェクトを進めることにしたんだ」

――それもまたドラマティックな出会いだね。ジョンは、アーティストとして何かしらの野心とか目標はあったりするの?

ジョン「現時点で思うのは、僕にとって音楽はこの世界との接点を生み出してくれるものなんだ。言葉で言い表すのが難しいんだけど、碇の様なもので。正直なところ、具体的な計画とかアイデアは特にない。海外に行って、小さなスペースでパフォーマンスして、新しい人と知り合ったりしてさ。そこからどんな経験ができるのか、とにかくやってみるしかないというか。そこでどんなものをシェアできるのか、テーブルにどんな物を並べることができるのか。ただ歩き回ってるだけというか、とにかくもっと音楽を作って、コラボレーションして、それがどこに向かって行くのかは成り行き任せというか」

――以前、ジョンは「僕にとって音楽は宗教みたいなものだ」と言っていたよね。僕も時折、自分の人生の全てが音楽という軸を中心に回っている様な気がすることがある。

ジョン「そう、これまで訪れた場所とか、出会った人たちとか、その全ての道程において、多かれ少なかれ音楽が関わっているんだ。わざわざ言うことですらないかもしれないけど、僕は商業的成功にはあまり興味が無いんだ。僕の興味の根源はフォーク・ミュージックだし、それはつまり人々の日々の普通の生活だ。人が一人の時とか、仕事の時とか、そういう何気ない瞬間に感じる気持ちを大切にしたい。社会の中で音楽がどんな役割を果たせるのかという。だから華々しいキャリアとか、生計を立てるとか、そういうことにはあまり魅力を感じない。ネーム・ヴァリューだとかさ。

もし人が、自分が楽しむためだけの音楽を作らなくなったら、音楽が死んでしまうと思う。そこに残るのは商業的なものだけだ。その時、フォークのスピリットも消えてしまう。そういう時代に対して不安感もある。確かにソーシャル・ネットワークでは、人脈を拡大して、アイデアをシェアできるけど、逆に、個人的で内省的な創作プロセスを阻害しているという一面も感じるんだ。情報が飽和状態だからね。そんな中で、小さなスペースで、小規模なリリースでも、草の根的に音楽を続けていくというのは、文化を維持していくという観点においては、意味のあることだと思う。僕はそういうエコ・システムの一部でいたい」

 


僕はジョンの辿ってきた半生の密度の濃さに驚かされた。

インタビュー時点でかれこれ一年近く交流はあったはずだが、彼の事などまだこれっぽちも知らなかったのだ。このような紆余曲折を経て、台南に流れ着いたジョンに対して改めて〈よくここまで来たね〉と労いたい気持ちになった。

以下はピア・シェイのインタビューとなる。ジョンほどのボリュームは無いものの、続けて一読頂ければ嬉しい限りである。

僕にとってピアはつかみどころのない女性だ。それは単純にピアが台北に拠点を置いていて、台南にいるジョンほど親交を深めていないという事もあると思う。ピアにはいくつか肩書きがあり、ある時はデザイナー、ある時はバーテンダーだったりする。彼女は〈草御殿 Ivy Palace〉というブティックやギャラリー、ライブハウスなどが一体化した多目的スペース(惜しむらくも2019年の8月に閉店)でバーテンダーをしていたので、台北を訪れた際は必ず〈セイ・ハロー〉しに行くようにしていたのだが、向こうは勤務中ということもあるし、大体何かしらのイベントが行われており、そちらに気を取られているうちに会話の機会を逃してしまうのだ。

ピアと心が通じ合ったのは意外にもオンライン上での事。最近、Facebookのストーリーズでお気に入りの音楽をシェアしているのだが、ピアが良く反応してくれるのだ。ジョンと一緒にアンビエント・ミュージックを作っていたり、ギークな機材を使いこなす事からなんとなく〈電子音楽が好きな女性〉という印象を受けていたのだが、予想に反してR&Bやボサノヴァなどの歌物を好むようだ。ダニエル・シーザーで意気投合できるとは思わなかったし、セキトオ・シゲオの『スペシャル・サウンド・セレクション-ザ・ワード』(2018年)という結構レアなアルバムに対して「これ大好き!」と反応してきた時は恐れ入った。今の時代なんでも発信してみるもんだな、と思った。

このように、ピアとは何故かオンラインでのやりとりが多く、会う時がむしろオフ会のような関係性なのだが、それでも会えば迷わずハグしてくれるところにピアの大らかさが現れている気がする。せめてインタビューは台北で実際に会って行うつもりだったのだが、予定が合わず、結局インターネット通話になってしまった。

 

――ピアはどんな音楽が好きなの?

ピア・シェイ(融化橋)「十代の頃はエリカ・バドゥやディアンジェロ、マックスウェルなどのネオソウルが好きだった。ヒップホップも好きだったな、シャギーとかね。日本の音楽だとCHARAとかカヒミ・カリィ。音楽を作り始めたきっかけはココロージーで、ほかにもIvy Palaceで行われているイベントにはいつもインスパイアされていると思う。最近はPodcastや SoundCloudで音楽を聴くことが多いかな」

――これまでどんな音楽活動をしてきたの?

ピア「最初は簡単なコードにメロディーを合わせて歌ったものをレコーダーに録っていた。それからトリップ・ホップ系のバンドに参加して、同時にカフェや結婚式などでも歌うようになった。エクスペリメンタル・ジャズのバンドやフランツ・フェルディナンドのようなUKロック系のバンドともコラボレーションしたり。その後、GarageBandを使って構成のしっかりした曲を作るようになった。Ableton Liveを手に入れてからはもっと音で遊ぶようになって、作る曲もアブストラクトになっていった」

――融化橋ではどんな事をしているの?

ピア「色んな事をしている。サンプラーやシンセも使うし、歌も歌う。Ableton LiveのようなDAWソフトウェア上で作曲や編集もする。ジョンと曲を作る時はインプロヴィゼーションで行うの」

――相方ジョンはどんな人?

ピア「ちょっとミステリアスなところがあるかな。けど、基本的には優しくて正義感が強い人。そして何より音楽に対してすごく情熱がある」

――融化橋のアルバム『我們從明天來』の制作はいつから始めたの?

ピア「(2018年の)8月の終わりか、9月の頭くらいだったかな」

――制作過程で大変だった事はある?

ピア「私もジョンも他に仕事があるからスケジュールを合わせるのが大変だった。マスタリングも大変だった。専門的な知識がなく、上手く言葉で説明できなくて……。マスタリングはジョンのほうが積極的に関与していたので彼に聞いてみて(笑)。そういう技術的なことに詳しいアメリカ人の友人にも色々とアドバイスをもらったの」

――アルバム・タイトルについてはどう思う?

ピア「ジョンが中国語を勉強していて、そこから偶然出てきたんだよね。訳すと〈私たちは明日から来る〉という意味で、中国語を覚えたての人が文法を誤ったような、けど、どこか深遠で壮大な意味も込められているようで。一種の言葉遊びだよね。すごく面白いと思う」

――アルバムの曲を作っている時に意識していた事はある?

ピア「音を〈体験〉する事に専念していた。曲の〈構造〉を無くそうとしていて、過去と未来が同居しているようなフィーリングを意識していた」

――アルバム収録曲で特に好きな曲はある?

ピア「タイトル・トラックかな。二人で初めて作った曲で、とても自然に出てきたの。個人的にはとてもユニークな曲だと思っている」

――現在の台湾の音楽シーンについてはどう思う?

ピア「メインストリームの事はそこまで詳しくないんだけど、インディーズのシーンではノイズのような音楽を聴くリスナーも増えていると思う。多様性が増しているのかな。人気があるのはテクノやトランスで、結果的にそういった音楽を楽しむコミュニティやイベント・スペースも増えていると思う。例えば、台北には〈FINAL〉という場所があって、そこは内装もかなりサイファイな雰囲気で、ホスティングしているショーも面白い音楽で溢れている」

――ピアにとって台南はどんな場所? (台南から創作活動への)インスピレーションはある?

ピア「とても独特な場所だよね。食べ物もとても美味しいし。台北のお店はお洒落なだけだったりするんだけど、台南は個性豊か。自分たちのやりたい事がはっきりしていると思う。特にジョンは大きなインスピレーションを得ているみたい。あと、環境音で溢れている」

――音楽活動における今後の目標はあるの?

ピア「もっと機材の扱い方を学びたい。あと、映像とコラボレーションしたいな」

 

ピアの人となりはジョンとはまた違うし、そのギャップが融化橋での面白い化学反応をもたらしているのだとも思う。しかし、バックグラウンドが異なるもの同士、真剣に創作と向き合えば、その分衝突も起こりやすくなるものだ(というか起こっていたようだ)。

僕はジョンと話をする機会が多い分、どうしたって彼の言い分が先立つ。彼の話を聞く限り、彼は相当の労力をアルバムの制作に費やしていた。ピアと録りためた音素材をDAW上で整理し、編集し、楽曲の体に磨き上げたのはおそらくジョンの作業に負うところが大きい。僕自身の所感ではあるが、ジョンはコンセプトを言語化するのに長けているし、トピックも豊富で広がりがある。彼のインタビューは読み物としてもとても面白いし、読後、鮮烈な印象を残すのもおそらく彼の言葉だろう。僕の中でも長らく、〈融化橋のイニシアティブを握っているのはジョン〉という認識だった。

しかし、つい先日、ピアがチャット中、ソロ名義で作ったという楽曲へのリンクをシェアしてくれたのだが、聴いて僕は驚いてしまった。曲によっては〈融化橋の未公開音源〉と言っても過言ではなく、明らかに共通するバイブスを纏っていた。ピアのソロ楽曲を一通り聴いてから融化橋を聴くと、ほとんどのトラックにおいて彼女は爪痕をしっかりと残している事に気づかされるのだ。そもそもアートにおいて、作り手の貢献度や生み出した価値を定量化するのは難しい。モザイク画のような手間と時間のかかるものもあるし、書家の書き下ろしのような即興性の高いアートはむしろ〈瞬間〉に培った技術やセンスが凝縮されている。そういう意味で彼らの関係性は実はとても釣り合いの取れたものなのかもしれないと思った。

ジョンは以前、ピアとセッションを重ねる中で、〈特別な瞬間が訪れるのを待っている〉と発言していた。それはお互いの妥協点を探ることではないし、止揚するのともまた違う気がする。彼らの〈特別な瞬間〉はお互いに忖度せず自由にクリエイティヴィティを発揮させる中で、たまたま噛み合った瞬間のことなのだろう。そしてそれはそのまま彼らの人生とも重ね合わせることができる。ジョンもピアもとても直感的に人生を歩んでいる印象を受ける。もちろん大枠での信条や哲学は明確にあるが、短期的な目標はそれほど厳密に設定せず、むしろその時々のフィーリングで動き回り、出たとこ勝負で人生をインプロヴァイズしていく様は彼らの音楽へのアプローチそのものだ。

人類学上、文明の進歩を後押したのは農耕民族だという。共同体としての定住化、組織化、効率化が現代社会の基盤をなしたというのが定説だ。一方、狩猟民族は定住せず、小編成で獲物を追い、行く先々で木の実などを採取していたというが、それだと生活のあらゆる事項が外的要因に左右されるだろうし、毎日が想定外の連続であることは容易に想像がつく。そのような状況に身を置けば、本能も研ぎ澄まされ、〈未来の事を心配しても埒が明かない〉という楽観的なメンタリティが培われるのだろうか。それは現代人の僕には知るよしもない。偶発性に身を委ね、〈今この瞬間〉にフォーカスすることはある意味原始的な行為なのかもしれない。そしてそれは雑念を取り除き、マントラを復唱する瞑想にも通ずる気がする。そんな事を考えながら彼らの音楽を聴くと、より一層深遠なものに感じられるのだ。

*融化橋(Melting Bridge)『我們從明天來』ライナーノーツより転載

※融化橋(Melting Bridge)インタビュー:前編はこちら

 


~世木のおすすめ台湾ミュージック~

ゴー・ゴー・マシーン・オーケストラ(Go Go Machine Orchestra) “Purple Hash”

2017年、高雄で結成されたバンド。ミニマル・ミュージックや現代音楽、エレクトロニカといった音楽的要素が色濃く、メンバーも皆、海外で音楽を学んだり、音楽活動をしていた経験があるようで、いい意味で〈台湾らしさ〉とは無縁の無国籍音楽といっても過言ではない。

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