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コラム

菊地雅章=音楽にまみれたピアニストの美意識・生き様を、坪口昌恭が思い出と共に綴る

EXOTIC GRAMMAR VOL. 73-1

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Photo by Arianna Tae Cimarosti

 筆者が〈東京ザヴィヌルバッハ〉を立ち上げ〈DCPRG〉に参加したのが1999年だが、2001年頃参加したDJユニット〈BAYAKA〉のレコーディングでは、リーダーのMITSURUくんより「坪口さん、プーさんみたいなアプローチで」というオファーがあったくらい、ポスト・エレクトリック・マイルスが再評価されている時代であった。同時期アコースティックのピアノ・トリオも始動させる際に誘ったのがドラマー藤井信雄氏と、プーさんの甥っ子ベーシスト菊地雅晃(以下マチャーキ)である。今回の記事を執筆するに当たってマチャーキに改めて電話インタビュー(という名目の雑談)をおこなったので、いろんな記憶も蘇った。

 初めてマチャーキの参加する〈ザ・スラッシュ・トリオ〉のライヴを見に行ったときの事、プーさんがステージ上で7拍子のリフをピアノの低音で提示し始めた。ドラムの吉田達也さんは変拍子は最も得意とするところなので即フィットさせるわけだが、マチャーキが少しニュアンスを変えて応じていると〈オィ! ちがう!〉と叫んで提示し続け、いつまで経っても意にそぐわないらしく〈なんだよ! もういい!〉と不機嫌なままそのステージを終えた。ステージ上でのケンカなんて見たくないはずが、神経質さと行き当たりばったり感にプーさんらしさを垣間見て楽しめてしまった。

 今度は〈菊地成孔Quintet Live Dub〉でとあるジャズ・イヴェントに出た時、別ステージに〈ザ・スラッシュ・トリオ〉が出ていた。ダブルヘッダーのマチャーキはウッド・ベースにリング・モジュレーターをかけて絶妙なフィードバックを発生させる場面があった。ところが終演後「プーさんが怒っちゃってさあ、なんであんなノイズばっかり出すんだよって」。なんだ、求められてやってた事じゃないのか?

 マチャーキとはしょちゅうけんかしていた一方で達也さんは怒られた事がないらしく、それは叔父と甥っ子同士ならではの身内意識もあるだろうと。自らメンバーにしているのに何かこう歯車が合わない感じがこれまた微笑ましいのだ。

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