アンビエントのテクスチャーを使用しジャズを拡張する冒険心
by 伏見 瞬
Mikiki編集部から〈ナラ・シネフロ『Space1.8』のアンビエント的側面について書いてほしい。ジャズの視点からは細田成嗣さんが書いてくれる〉と聞いて原稿執筆を引き受けたものの、とんと困ってしまった。最近、ジャズばかり聴いているのだ。セロニアス・モンクやスタン・ゲッツのまだ聴いていなかったアルバムをみつけて、部屋で再生して踊ったり寝転がったりしている。10代の頃は何が良いのか一切わからず修行のように聴いていた音楽が、今となってはなんの惑いもなく、最高のものとして聴けることが喜ばしくて仕方ない。アンビエントについて書こうとしても、気づいたらジャズについて書いている。そんな結果になりそうである。
というか実際、カリブ系ベルギー人のシネフロがサウスロンドンのジャズメンたちと作り上げた『Space 1.8』というアルバムに、アンビエントの要素が大きいとは思えない。確かに、モジュラーシンセの伸びやかさやハープの流麗さに静謐感は感じられるものの、“Space 3””Space 4”“Space 6”などにおけるライドシンバルやスネアの強いアタック感は、むしろ瞑想や睡眠を妨げる要素だ。クレア・ラウジー『a softer focus』、エイドリアン・レンカー『instrumentals』、アン・ガスリー『Gyropedie』、ライアン・ヴァン・ヘゼンドンク『Vauville』、渡邊琢磨『Last Afternoon』といった最近のアンビエントの佳作には、会話や生活音のフィールドレコーディングを大胆に活用したものが多い。『Space 1.8』においては、“Space 1”で鳥の鳴き声が使われているものの、それ以外の楽曲は全てスタジオでの演奏が中心を為している。生活音は聞こえず、モジュラーシンセのサウンドも、ドラムやサックスとの相性によって選択されているように響く。
ジャズにおける鍵盤楽器の音の拡張として、アンビエントのサウンドテクスチャーを使用しているのが本作なのではないか。モジュラーシンセとハープを、ジャズの演奏メソッドに導入して新しい快感を見出す。それがシネフロの狙いではないか。シネフロが尊敬するミュージシャンとしてまずハービー・ハンコックの名を挙げているのも、シンセサイザーやヒップホップサウンドをいち早く取り入れたハンコックの冒険心に敬意を表しているからだと思える。
本作においてアンビエントの誘引力を楽曲に授けているのは、シネフロのシンセやハープ以上にサキソフォンのサウンドだ。17分32秒に及ぶ“Space 8”においては、アナンセが吹き続ける太く柔らかい音が、脱力の快楽を生みだす。そもそも、モダンジャズにおけるサックスは、時にアンビエント的な彼岸の快楽を生みだす機材となってきた。『Stan Getz Plays』(1955年)においてゲッツは煙のように音を燻らせ、『Monk’s Dream』(63年)においてチャーリー・ラウズはモンクの鋭さを毛布の厚みで包み込む。フローティング・ポインツとロンドン交響楽団との共作『Promises』(2021年)でのファラオ・サンダーズは、柔らかな哀しみを音から伝える。どのアルバムも聴き流して楽しめるし、どのアルバムも聴きながら眠れるだろう。エフェクトの掛けられたアナンセのサックスは、伸びながら他の音と重なり合い、微睡の悦びに微笑む。微かに聞こえるブレスや運指のノイズを追っているうちに、時間の感覚が消え去る。人が『Space 1.8』にアンビエントを感じるとすれば、それはジャズサキソフォンが持っていたアンビエント性を、シネフロのサウンドが際立たせるからだ。
RELEASE INFORMATION
■国内盤CD
リリース日:2022年1月14日
品番:BRC691
価格:2,420円(税込)
国内盤特典:解説書封入
■輸入盤CD
リリース日:2022年1月28日
品番:WARPCD324
価格:2,490円(税込)
■輸入盤LP
リリース日:2021年9月3日
品番:WARPLP324
価格:3,790円(税込)
TRACKLISTING
1. Space 1
2. Space 2
3. Space 3
4. Space 4
5. Space 5
6. Space 6
7. Space 7
8. Space 8