ギタリストが通過することを全部経験してなかった

――その後ピックで弾くことを覚えて、最初に何をやったんですか。

「セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズ(ギター)のソロ作に”Mercy”(87年)っていなたいロックの曲があって、それを耳コピした。その頃、『ベストヒットUSA』とかMTVとかが出始めた頃で、それでミュージックビデオを見て、アメリカの長い道をハーレーに乗って走ってる、その画が格好良かっただけだったんだけど。

スティーヴ・ジョーンズの87年作『Mercy』収録曲“Mercy”

ピックはその時初めて持ったんだけど、クラシックをやっていたから、左手は動くんですよ。だけど右手は全然ついてこなくて、そのギャップが酷すぎて困ったと思っていたら、ちょうどその時期、ジョー・サトリアーニ(ギター)が出てきた頃で。彼はフルピッキングじゃないしレガートに弾くから、エレキギターもこういう風に弾いていいんだと思って、初めはかなり影響を受けましたね。

当時、ポール・ギルバート(ギター)とかトニー・マカパイン(ギター)が、〈いかに速くフルピッキングで凄まじいフレーズを弾くか〉みたいなことでフィーチャーされていた頃だったから、〈こんな風に全然弾けない、フルピッキングじゃないとだめなんだ〉って思って結構悲しかったんですけど。

ピッキングしなくても凄いって最初に教えてもらったのがアラン・ホールズワース(ギター)だったけれど、凄すぎて何をやってるのかがわからない。そんな時にジョー・サトリアーニの『Surfing With The Alien』(87年)ってアルバムが出て、とても救われたんだよね」

ジョー・サトリアーニの87年作『Surfing With The Alien』収録曲“Surfing With The Alien”

――最初は一人で練習されていて、バンド形態で演奏し始めたのは、いつ頃だったんですか?

「大学2年ぐらいかな。それも好きな音楽をやるっていうんじゃなくて、アルバイトニュースで見たロックバーの演奏者募集で、そこに行ったからだった。主にオールディーズの曲ばっかりだったけど、そこで初めてバンド、アンサンブルを体験したんです。

高校の時は、住んでいた所が田舎すぎて、バンドをやるなんて頭になかったの。だから、その頃のハードロックとかをバンドで通過していなくて、〈あの曲できるよね〉って言われても、できない曲ばっかり。ディープ・パープルの”Highway Star”も、やったことなかった。ピッキングもろくにできなかったし、アンサンブルもやってなかったし、ブルースとかペンタトニック(スケール)とかも弾けないし、ギタリストなら普通に通過することを全部通過してなかったね。クラシックをやっていたおかげでシングルラインは弾けたけど、他の人がぱっと押さえられるようなコードが押さえられない。

でも小さい頃からやってたから耳はできていたし、家でCDに合わせて弾いてたから、適当にソロも弾いてたよ。CDの通りに弾かなくていいっていうのは、エディ・ヴァン・ヘイレンを見て知ってたから」

 

ミュージシャンズ・インスティチュートへの留学、ジョー・ザヴィヌルとの出会い

――そこから、なんでまた突然ハリウッドのMIに行ったんですか。

「色んなギタリストの曲を弾いていく中で、サトリアーニ以外にフランク・ギャンバレ(ギター)までたどり着いて、そのフランク・ギャンバレが教えていた学校だったから、本人に習えるんだと思って行ったの。MIってその頃、ポール・ギルバートとか、メガデスのジェフ・ヤングとか、フランク・ギャンバレ、スコット・ヘンダーソンとか、神様みたいなギタリストが教えていて、そこに行ったらなんとかなるだろうと思ってたのね。

行って半年は、メタルの授業をいっぱい受けてました。フランク・ギャンバレはすでに辞めていたんだけど、もっと色んな面白い先生がいて。

驚いたのは、テクニック的なことはあんまり教えてくれなくて、どちらかというとアンサンブル的なこと――音量をどれぐらい他人と合わせるかとか、それをステージの上でどう実践的に弾くかみたいな授業が多かったから、そこでアンサンブルが面白くなったって感じ。パワーコードを延々と2つぐらい弾きながらアンプの音作りをやったり。ダイナミクスの付け方とかアンサンブルに必要なことを教えてくれて、本当に楽しかった。勝手に考えてたイメージでは、1日何時間もスウィープの練習するとか、そんなことばかりをやるのかと思ってたけど、そういう学校じゃなくて、結構びっくりした。

入学して半年経った時に、ザヴィヌル・シンジケートが近所にライブをしに来たんですよ。それが、凄まじかったの。アンサンブルも、個々の技術も凄いし。

その時のギターが凄くて。ゲイリー・ポールソンっていうまだ20代前半の人で、むっちゃ格好良いギターを弾いてて。〈こういう風に格好良いことできるんだ、これをやりたいな〉って思った。

ザヴィヌル・シンジケートの97年のライブ動画。ギターはゲイリー・ポールソン

僕はキーボードの真ん前に座っていたので、ジョー・ザヴィヌル(キーボード)に声をかけてもらって、〈MIに行ってる〉って話したら、楽屋に呼んでくれて。〈こういう音楽をやりたいんだけど、どうやってやったらいいのかな〉って訊いたら〈とりあえず、ジャズって知ってる?〉〈そういうのをやってみたら〉って返されて(笑)。それが始まりですね。その頃の僕は世間知らずだったから、ザヴィヌルに〈僕、将来このバンドに入りたいんだけど〉って言っちゃったんですよ。それで、〈とりあえずジャズを勉強してからにしな〉って言われて(笑)。そのぐらい世間知らずでしたね」

――神様からそんな言葉をもらってジャズを始めていたとは……。良い話ですね。

「その時、ザヴィヌルのライブを観なかったら、ジャズをやってなかったと思う。だから、いまだにそのライブの瞬間、瞬間が頭に浮かぶし、その時のエネルギー感は絶対に超えないと、って思ってるところはありますよ」