完璧に自分の歌にする
カナダのケベック州で生まれた彼女は、もともとフランス語が母国語だ。英語が話せるようになるのは、かなり後のこと。14人兄弟(!)の末っ子という大家族に生まれ、5歳の時に兄の結婚式で初めて人前で歌を披露したという。そして12歳の時に、後に夫となるマネージャーのルネ・アンジェリルによってその天使の歌声は発掘される。81年に発表されたデビュー・アルバム『La voix du bon Dieu』とクリスマス・アルバム『Céline Dion chante Noël』は、どちらもフランス語で歌われていた。82年には第13回ヤマハ世界歌謡祭のために初来日し、金賞を受賞した。その後も年1~2枚のペースでコンスタントにフランス語アルバムを発表し、87年には通算8作目となる『Incognito』でメジャー・デビューを果たす。それを機に活動を世界に拡大すると、翌88年にはユーロヴィジョン・ソング・コンテストに〈スイス代表〉として招かれ、フランス語曲“Ne partez pas sans moi”(邦題〈私をおいて旅立たないで〉)で優勝。世界的に注目を浴び、快進撃がスタートする。
英語を猛特訓で習得した彼女はLAへと移住。当時シカゴの復活劇に関わり、映画「セント・エルモス・ファイアー」のサントラなどで成功を収めていた同郷のデヴィッド・フォスターらとスタジオ入りする。そうして90年に完成した初の英語アルバム『Unison』からは、シングル“Where Does My Heart Beat Now”がいきなり全米4位を記録。さらに翌年にはディズニー映画「美女と野獣」の挿入歌としてピーボ・ブライソンとデュエットした“Beauty And The Beast”が世界中で大ヒットを記録した。初期マライア・キャリーの貢献者でもあるウォルター・アファナシエフがプロデュースした同曲は、アカデミー賞やグラミー賞などを獲得。同曲を収めた92年のアルバム『Celine Dion』からは、パティ・ラベルのカヴァー“If You Asked Me To”も全米4位の大ヒット。続く93年のアルバム『The Colour Of My Love』からはリード・シングル“The Power Of Love”が、初の全米No.1を記録した。
その“The Power Of Love”は84年のジェニファー・ラッシュがオリジナルで、エア・サプライやローラ・ブラニガンも発表しているが、セリーヌのカヴァーが最大級のヒットに大化けした。お気づきのように、セリーヌと言えばキャリアを通じてカヴァーの選択が秀逸なのだ。エリック・カルメンの“All By Myself”、シンディ・ローパーの“I Drove All Night”、パンドラズ・ボックスの“It’s All Coming Back To Me Now”、デイヴ・スチュワート率いるプラチナム・ウィアードの“Taking Chances”、ジャーニーの“Open Arms”、ハートの“Alone”など、自身の歌唱力を最大限に活かせる楽曲を見つけ出し、完璧に自分の歌とする。その確かな鑑識力は、いち早く彼女の才能を見抜いたマネージャーのルネ・アンジェリルによるところも大きいはずだ。26歳という年齢の差が長年スキャンダラスに報じられてきた2人だが、94年12月に2人はゴールインを果たす。
同年イギリスでは“Think Twice”が初の全英No.1を記録し、ヨーロッパを中心に大ヒット。一方、日本ではドラマ「恋人よ」の主題歌“To Love You More”が95年に日本だけで130万枚のセールスを記録した。またカナダを始めとするフランス語圏では、引き続き英語アルバムと並行して複数の仏語アルバムがリリースされ、常にチャート上位を賑わせた。なかでも95年の『D’eux』はフランス国内だけで450万枚、全世界で1,200万枚というフランス語アルバムとしては前代未聞のセールス記録を打ち立てた。
96年のアルバム『Falling Into You』で初の全米No.1を獲得し、続く翌年の『Let’s Talk About Love』も全米1位を記録。それら2枚は世界各国で1位を記録した。前者からはダイアン・ウォーレンがペンを執り、デヴィッド・フォスターがプロデュースにあたった“Because You Loved Me”、ミート・ローフでお馴染みのジム・スタインマンが手掛けた“It’s All Coming Back To Me Now”、そして“All By Myself”の3曲が全米1位をマーク。後者のアルバムからは、映画「タイタニック」の主題歌“My Heart Will Go On”がキャリア最大級のヒットとなり、映画と同じく世界中のヒットチャートのトップを数か月に渡って独占した。アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、グラミー賞など数々の大賞を総舐めし、〈パワー・バラードの女王〉として不動の地位を確立。ソフト・ロック、ダンス・ポップ、AORなどもさまざまなスタイルの曲を歌っているにも関わらず、バラード歌手としての印象が強いのは、この曲によるところも大きいはずだ。その後、絶好調のキャリアのピーク時点で休養宣言。しばらく出産や夫の癌治療などに専念した後、2002年にアルバム『A New Day Has Come』でカムバック。またもや米英をはじめとする世界のチャートで見事に1位を記録する。