3つの交響曲はドイツでシューマン“ライン”と同時期の1850年代に作曲された。作曲時グノーは36歳だがビゼーは17歳、サン=サーンスは15歳と驚異の年齢。彼らはドイツに始まった交響曲という形式の音楽を何としても創り上げたいという意気込みがあった。山田和樹とモンテカルロ・フィルのコンビはそんな彼らの作品の熱気と躍動を気持ち良く奏でる。弦楽の色彩と木管楽器の軽やかさは現在のフランス語圏オーケストラでは随一のもの。ビゼーはじっくりと濃密な歌を聴かせた2楽章・3楽章が見事。サン=サーンスは明るいモーツァルトのような音楽と“オルガン付き”へつながる響きも伝える。