
CD黄金期、怒涛の売り場での日々
――90年代は、J-POPのミリオンセラーのヒット作が連発するCDの黄金時代ですよね。ビーイングもそうですし、小室哲哉プロデュース曲も人気で、渋谷系やバンドも盛り上がっていた。DREAMS COME TRUE、Mr.Childrean、エレファントカシマシと、今でも活躍するアーティストも大勢出てきたタイミングです。1998年には宇多田ヒカルや椎名林檎のデビューもあります。渋谷店も、かなりお客さんで賑わっていたと思いますが。
「もう〈怒涛〉といった感じでしたね。当時はお客さんの間に〈このジャンルの音楽を買うならあの店に行こう〉みたいな空気が、今よりも明確にあった気がします。ただ、渋谷店くらいの規模感のレコード屋というもの自体が珍しかったし、その注目度の高さもあって、多くの音楽ファンが渋谷店に押し寄せていたと思います」
――CDを売るための工夫というか、売り場はどのように展開されていましたか。
「話題性のある新譜はやはりディスプレイも大きく、1階の入ってすぐ見える場所に配置して。試聴機も導入していましたね。今でもありますが、インストアのイベントもよくやりました。それと、当時は1階にラジオブースもあったんですよ。CDを売るために、いろいろ展開していました。
あと、〈100円カセット〉や〈100円CD〉という企画もやりましたね。アーティストを知ってもらうために、1曲だけ収録された音源を100円で売るんです。デビュー前のGRAPEVINEやACIDMANのプロモーションでも、それを作りました。宣伝としてタダで配るよりは、値段が付いてる方が面白いんじゃないかと。無料配布だとガサッと持ってかれて終わっちゃうんですよ(笑)。
ちなみに、当時2階はJ-POPのフロアでしたが、ゲームを売ってるコーナーもありました。たまごっちなんかも取り扱っていて、ブームの時はウチにも行列が出来ていましたね(笑)」
ミッシェルからBUMPまで、新人やインディーバンドを推す工夫
――店を面白くする努力が、いろいろあった訳ですね。
「スタッフも情熱的でした。ある時、スタッフが新人バンドをプッシュしてきたんですよ。〈THEE MICHELLE GUN ELEPHANTっていうバンドがいて、ライブがカッコいいんですよ!と。それで、実際に僕や上司も聴いてみると、〈これは確かにスゴい〉と一致して。それで彼らが“世界の終わり”(1996年)でメジャーデビューしてから、マンスリーでインストアライブをやってもらいました」
――ミッシェルが毎月タワレコでライブを! アツ過ぎますね。
「ファンの方に〈ミッシェルのCDを買うならタワーにしよう〉というような気持ちになってもらえれば、リピーターになってもらえるし、そういう仕掛けはいろいろやりましたね。マンスリーのインストアはミッシェル以外に、スピッツやウルフルズにも出演してもらいました。ちょうど“ロビンソン”や“ガッツだぜ!!”(いずれも1995年)をリリースする前後のタイミングでしたね」
――方向性は違えど、2組ともバンドとして駆け上がっていく真っ只中のタイミングですね。
「それと1997年デビュー組だと、Dragon Ash、TRICERATOPSなんかもいましたね。レコードメーカーだったり事務所だったりといろいろ話し合いながら、どうやって売っていくかを相談していました」
――お茶の間の人気アーティストよりは、ちょっと通好みなバンドを押していたんですね。そこはタワレコらしさということでしょうか。
「正直、もっと有名なアーティストだと、目立つ所にちゃんと置いておけばどんどん売れたので。なので、仕掛けるのはそういう〈曲も良いし実力もある、あとはどう発信していくかが課題〉というバンドが中心でしたね。
インディーズ系のバンドになるとまさにそうで、MONGOL800は元々は地元の沖縄・那覇店からの発信でした。モンパチは、あの頃のバンドでは一番メッセージ性を感じたバンドでしたね。それから、ゆらゆら帝国はメジャーに行く前から店員の間では評判でしたし、BUMP OF CHICKENもインディー時代から店舗では人気でした」