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時代のシンボルとして

 メイヴィスの人生と音楽キャリアについては、かつてボブ・ディランにプロポーズされたという逸話も含めて、今年「メイヴィス・ステイプルズ ゴスペル・ソウルの女王」として日本公開されたドキュメンタリー映画「Mavis!」(2015年)にも詳しい。そこでは家族との絆や篤い信仰心が音楽をやる原動力となったことも伝えられる。

 1939年7月10日、イリノイ州シカゴで生まれたメイヴィス・ステイプルズは、ギタリストの父ポップスことローバック・ステイプルズが49年に結成したファミリー・ゴスペル・グループの一員として地元の教会活動を中心に歌い始めた。ステイプル・シンガーズだ。メンバーには長男パーヴィス、長女クレオサがいたが、メインで歌うのは父ポップスと三女のメイヴィス(後に正式加入する次女イヴォンヌも不定期で参加)。レコード・デビューは53年、自主レーベルのロイヤルからで、この時メイヴィスは13歳だった。黒人霊歌や賛美歌を親しみやすい曲にアレンジしたステイプル・シンガーズの音楽は、ボブ・ディラン“Blowin’ In The Wind”やピート・シーガー“We Shall Overcome”などのカヴァーも含めてフォーク・ゴスペル的なスタイルを軸とし、ゴスペルに止まらないポップな感覚で人気を獲得。65年3月の〈セルマの行進〉にちなんだ“Freedom Highway”に代表されるプロテスト・ソングを歌い、キング牧師が主導する公民権運動のシンボル的なグループとなった。

 ヴィー・ジェイ、リヴァーサイド、エピックなどで作品を出していた彼らがフォーク・ゴスペルからソウル路線にシフトしたのが、68年からのスタックス時代。それとほぼ同時にメイヴィスはソロとしてもスタックス傍系のヴォルトと契約を結び、2枚のアルバムをリリースする。スティーヴ・クロッパーらが制作したセルフ・タイトル作(69年)とドン・デイヴィスが制作した『Only For The Only』(70年)だ。ハスキーでダイナミックな声は包容力よりも若さが勝っていたが、過去の名曲を独自に解釈するセンスは似た出自のアレサ・フランクリンを思わせた。前者のアルバムではサム・クックの“You Send Me”も歌い、聖から俗へと舞台を移したサムやアレサを自身のキャリアと重ね合わせてもいたのだろう。ゴスペルを歌ってきた先達がメイヴィスのお手本だった。

 なかでも強く影響を受けたのがゴスペル・シンガーのマヘリア・ジャクソンだ。なにしろ96年にはラッキー・ピーターソンと組んでマヘリア・ジャクソンのトリビュート『Spirituals & Gospel: Dedicated To Mahalia Jackson』を出したほど。クエストラヴ監督のドキュメンタリー映画「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」(2021年)のソースとなった69年の〈ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル〉では、ステイプル・シンガーズとしての出演に加えてマヘリア・ジャクソンのステージでゴスペル古典“Precious Lord, Take My Hand”も歌い上げた。ふたりが同じステージに立ったこのパフォーマンスからも、コントラルトの声で歌うマヘリアに影響を受けていたことがよくわかる。本来はこの日のマヘリアの相手役はアレサ・フランクリンだったとされるが、その代役を務めたメイヴィスが後にアレサのゴスペル盤『One Lord, One Faith, One Baptism』(87年)となる教会ライヴで歌うことを思うと、因縁めいたものも感じてしまう。

 ステイプル・シンガーズは、72年のアルバム『Be Altitude: Respect Yourself』に収録されるファンキーなメッセージ・ソウル“Respect Yourself”と“I’ll Take You There”のヒットでゴスペルの枠を超えてクロスオーヴァーな人気を獲得。その勢いは73年に「ワッツタックス/スタックス・コンサート」として映画公開されたフェスティヴァルの映像からも伝わってくる。そうしてグループの活動が忙しくなるとメイヴィスのソロ活動は停滞したが、“I’ll Take You There”などで〈シャモーン〉(恐らく〈Come on!〉のこと)という掛け声を発してリードを取る彼女は、もはやソロ・シンガー級の存在だったと言っていい。なお、その〈シャモーン〉を後にマイケル・ジャクソンが“Bad”で発したのはメイヴィスへのオマージュだという噂がまことしやかに囁かれたが、これは偶然である可能性が高い。